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〝こども〟は死を知らないから強い

どうせ死ぬから住んでみた

3 〝こども〟は死を知らないから強い

住む、といっても、本当に引っ越したりはできませんので
1ヶ月を目安にした長期旅行にすることにしました。
だけれど、行ってみて何を思うかはわかりません。
すぐに帰りたくなるかもしれないし、もっといたいと思うかもしれない。
ですのであくまで目安とし、
帰る日はその時の気分で決めることにしました。
そのあたりも、医者やちはるさんと相談しました。

そしてついに、群馬に行く日がやってきました。
緊張はしていましたが、緊張しすぎていたのか、
一周まわって落ち着いていました。
初めて一人で乗った飛行機は、幼い頃の記憶よりとても狭かったです。
格安だから当然なのですが。

成田空港に着いて、そこから成田エクスプレスで
待ち合わせの東京駅に向かいました。
待ち合わせの時間に間に合うかどうか、
私もちはるさんも、ぎりぎりでした。
ちはるさんは、御子息――コウちゃんを連れて、
広島から帰ってくるところでした。
そこで、東京駅で落ち合おうということになったのです。

なんとか待ち合わせの場所について、ちはるさんに会うと
すぐに、ちはるさんがハグしてくれました。
「よく来たね」
と。
そしてコウちゃんも、初めて会う私に屈託なく笑って、
ハグしてくれました。
こどもとハグをしたのは、こどものとき以来でした。
ちはるさんが新幹線の切符を買ってくれている間、
私は早速コウちゃんと二人きりになりました。

書き忘れていましたが、私は一人っ子で、且つ、こどもが大嫌いです。
嫌い、というよりは、
何を考えているか解らない、言葉が通じない、何に傷つくのか解らない。
そういった恐怖があるので、苦手でした。
同じ意味で、動物も苦手です。
ですが、コウちゃんはそんな私に対してもとてもよく喋り、
私が知らないユーチューバーのことについて沢山教えてくれました。
「ママは?」と何度も尋ねてきましたが、
「あそこにいるよ。ちょっと待っててね」と私が言うと、
「そっか」と、すぐに納得して、ユーチューバーの歌を歌い始めました。
もっと駄々をこねたり泣いたりしてしまうと戦々恐々としていた私は、
思ったよりも扱いやすいと思いました。
しかし今思えば、それこそが私の最大の間違いだったのでしょう。

無事に新幹線の切符を買って頂き、
コウちゃんも上機嫌でホームに出たときのことです。
突然、コウちゃんが繋いでいた私の手を振りほどき、
ホームを全力疾走し始めました。
何が起きたのか解りませんでした。
慌てて追いかけましたが、
追いかけると追いかけっこだと思われてしまって、
どんどん速く走ってしまいます。
私は、早速、噂に聞いていた〝こども〟の特性を目前にすることになりました。

――こどもは3秒毎に死に向かう――

ツイッターなどで、子を持つ親である方のアカウントを
いくつかフォローしていたので、
そのような文言をよく目にしていました。
ちはるさんも私も、荷物を抱えて、必死にコウちゃんを追いかけました。
追いかけたら遊びだと思われると解っていても。
そんな危険な場所で追いかけない訳にいかないと思いました。

やっと追いついて、勿論ちはるさんは怒りました。
とてもとても、強く怒りました。
そして勿論、コウちゃんは泣きました。
しかしその数秒後には、
ちはるさんに抱かれたコウちゃんは「ごめんね」と言って、
満面の笑みでちはるさんに深いキスをするのです。
私は絶句しました。

――なんてことだ。こんなに気分に波があるのか。

「面倒を見て欲しい」と言われて、
「できたら引き受けたい」と言って決めた群馬の旅ですが、
早速自信が無くなりました。
死なせてしまうと思いました。
その後新幹線に乗った際は満員で席が離れてしまい
あまりお話は出来ず仕舞いでしたが、
降りてからも肝が冷えることの連続でした。

エスカレーターの手前にいるときに限って走り出したり、
人混みの中を一人で走っていってしまったり。
危険なときほど、危険なことをしたがるのです。
「おねがい! ゆっくり! ゆっくり行こう!」
私は恥も何もかもかなぐり捨てて声を張り上げて言いました。
そのまま高崎駅で買い物をして、やっとの思いでタクシーに乗りました。
おうちに着いてから何をしたのか、正直なところ、覚えていません。
こうして、私と、ちはるさんと、コウちゃんとの生活が始まりました。
 
生活をしていくうちに、
コウちゃんを見ていて、色々なことが解ってきました。

何か、確固たる自分の意図を持っていること。
無知だから、すべてを遊びに出来ること。
そしてなにより、死を知らない強さ。

〝死ぬ〟ということがどういうことかを知らないからこそ、
危険なことほどスリリングなゲーム、つまり遊びになるのです。
死にたさを15年抱え続けてきた私には、衝撃的でした。
こんなにも純粋に、ただ生きている〝人〟がいることが。

私は、〝こども〟とか〝おとな〟といったカテゴライズが、
あまり好きではありません。
ただ、そのカテゴライズが便利だから、
その名称を使っているにすぎないと思っています。
〝こども〟という呼称には、様々な意味があると思います。
まず第一に、生物学的に未発達であるヒトの総称。
第二に、「幼さ」とか「純粋さ」といった、
所謂、「こどもらしさ」という、イメージに基づいた意味合い。
そして第三に、誰かの「子孫」であること。
きっとこれを読んでいらっしゃる皆さんもそうだと思いますが、
私は〝こども〟の頃から、
「もう○○歳なんだから」「もうこどもじゃないんだから」
と言われることも沢山ありました。
しかし、「こどもらしくない」「可愛げが無い」と言われることも、
多々ありました。
では、どこまでが〝こども〟なのでしょうか。
一体いつまでが、「こどもらしく」振る舞うべき時期なのでしょうか。
成人するまででしょうか。
では18歳で一人暮らしを始めた人間は、
「こどもらしく振る舞うべき」でしょうか。
群馬に着く前から考えていたことでありましたが、
コウちゃんと向き合う内に、よりその考えは強くなりました。

――〝こども〟ではなく、〝コウちゃん〟という一人の人間として向き合うこと。
私の中で、そういった考えが強固になりました。
更に、そう考えることで解ったことがありました。
一般に「こどもらしい」と言われる振る舞いは、
躁鬱病、自己愛性パーソナリティ障害、
注意欠陥多動性障害、モラルハラスメント気質な人に非常に近い。
つまり、「こどもがよくやること」への対策も、
そういった障害や性格への対策が使えるのではないかと思ったのです。
更に、それにより、実際にそういった障害を持っている可能性にも、
気付きやすくなるのではないかと考えました。
現時点で、コウちゃんにそういった障害はありません。
ですが、この考え方は少なくとも、私にはとても有用でした。
「そういった障害がある人間への対応をする」方が、
「こどもへの対応をする」よりも、やりやすかったのです。
「可愛いこどもになんてことを」と思われる方もいらっしゃると思います。
ですが、「3年を生きた一人の人間として見る」ことを
重視する場合に於いて、こういった見方も出来ると、
私個人はそう考えました。

少し話がそれますが、今これを読んでくださっている方には、
〝死んだ方が良いと思う人〟はいらっしゃいますか。
もしいらっしゃるならば、それはどうしてでしょうか。
どうして、すべての〝こども〟には未来があり守られるべきなのに
〝死んだ方が良い人〟がいるのでしょうか。
すべての人間は、誰かの〝こども〟の筈なのに。
であれば、すべての人間が守られるべき筈なのではないでしょうか。
しかしそうなると、「守る人」はいなくなってしまいます。
その線引きは、一体いつ、どこで、引かれるのでしょうか。
私のような、30にもなって、仕事もしないで、税金や親のお金で生活して、
アルコール依存――俗にいう、アル中である人間なんか、
守られるべきではない、死ねば良いと思われる方も多いと思います。
それはごく当たり前の感情だと私は思います。
人を殺したり、パワハラやモラハラをするような人なんか、
この世からいなくなってしまえば良いのかもしれない。

しかし、もし、万が一、コウちゃんが将来、そういった病気になったり、
障害があることが解ったり、人を傷つけたり、
仕事ができなくなって税金で生活するような人になったら、
死ねば良い人になってしまうのでしょうか。
コウちゃんは「可愛らしいこども」である今だけ、
存在をゆるされるのでしょうか。

そういうことに、なってしまうと思うのです。

だからこそ、私はコウちゃんを、「かわいらしいこども」ではなく、
一人の人間として見ることを、一人の人間として知ることを、
強く心に決めたのです。
こどもは、こどもである前に、一人の人間です。親も、勿論そうです。
ならばそんなカテゴライズをすべて取っ払って、
一人の人間として向き合いたい。
そのために、私は、次のようなことを心がけました。

・何が好きで、何が嫌いなのか知ること
・嫌がるときは、何故嫌なのか訊くこと、また、「もしかして、こうだから嫌なの?」と予想したことを問いかけること
・解らないことは解らないと伝えること
・自分でやりたいとき、何かを伝えたいときは、言葉を待つこと
・私が困るときは、真剣に困ると話し、事前に「こうしてくれたら困らない」と伝えること

コウちゃんは、先に述べたような障害に適するほど、
ちはるさんの前では我儘でした。
けれども、ちはるさんがお仕事でいなくなった途端、
お手本のような〝良い子〟になるのです。
アイスがあって、好きな動画を見せてさえいれば、
本当に手のかからない子でした。
私は、それが少し、不安でした。
きっと無理をしている。我慢をしているのだと思いました。

ある日のことです。私とちはるさんがいる、食事中のことでした。
コウちゃんは、ちはるさんのことを突然、叩き始めたのです。
「何か嫌なことがあったの? 解らないから言ってみて。怒らないよ」
私はそう、コウちゃんに言いました。
しかし、コウちゃんは止まりませんでした。
最終的に、「ママのバカ」と言って、わんわん泣いて、
ちはるさんに抱き着いていました。
ちはるさんは私に、「きっと言葉にできないんだと思う」と言って、
コウちゃんを抱きました。
私は、その光景を見て、思わず涙が滲んでしまいました。
ああ、きっと、
「どうしてずっと傍にいてくれないの」
「ママはママなのに、どうして自分だけを見てくれないの」
と、そう、叫んでいるのだろうと思いました。
勿論推測でしかありません。本当のところはわかりません。
けれど、我慢していたすべてが、
だいすきなママだからこそ、だいすきなママにしか言えない、
甘えられないからこそ、それをすべてぶつけて、
駄々をこねているように見えました。

きっと、とても多くの人が、
そういったこども時代を過ごして来たのだと思います。
長子である方は、特に。
私はコウちゃんと同じく、一人っ子でした。
親や親戚の寵愛を、一身に受けて育ちました。
それは、とても恵まれたことだと思います。
きょうだいがいないと可哀想、
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
長子であることを理由に悩んで、病んでいった友が多い私は、
一人っ子という境遇に、なんら不満はありませんでした。
お小遣いもおもちゃも、すべて私のものでした。

それでも。それでもです。
親の寵愛を一身に受けるからこそ、親の都合に納得できない。
自分のためにされていることが、そのときは理解できなくて、
どうして、一番傍にいてくれないのかと、
一番の味方でいてくれないのかと、思うのです。
一人だからこそ、親に見捨てられたらすべてが終わることを、
どこかで、解っているのです。
それなら、それだからこそ、きょうだいがいれば、
と思われるかもしれませんが、
そういったプレッシャーをかけられた親のストレスが
子に向けられてしまうことは、大変な悲劇なのです。
親が、きょうだいを産めないことで自分を責めて、
そのために余裕がなくなってストレスが子に向けられてしまう。
子はいつか、理解します。
「ああ、自分のせいで、親を苦しめたのだ」と。
ですからやはり、きょうだいがいるいないは関係ないのだと私は思います。
そしてその考えを、コウちゃんの存在に後押しされたように、思いました。

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