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【 意味ある自殺 意味ある生】

「何故人は自殺してはダメなんですか?」

「世の中には生きたくても生きられない人がいるじゃないですか、そうゆう人に臓器移植をしてあげる方が意味があると思うんです。こんなにも死にたいと思って生きているよりも、誰かの役に立って死んだ方が意味があると思いませんか?この世は私さえ存在しなければ本当に素敵なんです」


彼女とのLINEのやりとりは私にとっていつもとても難しい問答のようでした。

臓器提供の意思表示カードを持って少しでも人の役に立てるように意味ある死を遂げる方が良いのではないかと告げる彼女に対して

「あなたに生きていて欲しい」なんて伝えようものなら

「どうして私がちはるさんや親が生きてて欲しいと願うからと気を遣って苦しい思いをしてまで生きなきゃならないのですか?」と返ってくる事すらありました。

ものすごく正直な話をしたらいつも私の心の中にあった気持ちは「わからない」でした。

わからないとはその子が死んでもいいか生きててもいいかなんて事でなく

「意味ある自殺や意味ある生なんてあるのだろうか」と言うことがわかりませんでした。


確かに、今この瞬間も様々な怪我や病気によって生きたくても生きられず死んで行く方がいる。もしも健康な臓器さえあれば助かる命があるというなら、彼女の言う通り臓器提供をするという 

意味ある自殺があるのかもしれない

でもやっぱりどーしても私はその事を受け入れられずにいました。

だから彼女からLINEが来るたびに

「生きてて欲しいと思う親御さんや私の存在はなおちゃんをすごく苦しめてると思うけれどやっぱり死んでいいよって言えないよ」と繰り返すばかりでした。

ある日のやり取りでなおちゃんはこんな事を言いました。

「どうしてちはるさんは自殺を否定するのですか?」

世界自殺防止デーでは毎年歌い、自殺防止月間ではあちこちで講演している私のような人間は自殺否定派と思われることが多い。確かに自殺を予防し、自殺を食い止めたくてこの仕事をしているのだけれど私は自殺を否定した事は一度も無いのです。

「なおちゃんも知ってると思うけれど私のお父さんも自殺をしたから私は自殺を否定した事は一度も無いのです。むしろ、自殺をする人を否定することは私の根幹を否定することになります。

私の根幹には父がいて、父のDNAがあって、私と言う人間は父がいて初めて存在するから、その父の死を否定することは、父を否定することになって私の根幹を否定することになるから」と。

そう彼女に返信しつつ改めて私の中でいつもの思いが湧いてくるのです。 

「何故人は産まれて来ることは選べないのに、死ぬ事だけは選べるのだろう。なんて残酷なんだろう」と。死ぬ事も選べなければこんなに苦しむ人が生まれることもないのに。

本当は私のような立場の人は言ってはならないのだと思うのだけれどなおちゃんが考える意味ある自殺というものも私はその人の選択なのかもしれないと全く否定ができないとさえ彼女には伝えていました。

だからいつも彼女に言えることは 「本当にあなたを苦しめているとわかってるけれどやっぱり生きてて欲しいんだよね」と。

きっといつか自分の子供にそんなふうに言われても私はそう伝えると思うのです。

「こんなにも苦しい思いをしているあなたにそれでも生きてて欲しいと伝えるなんて私のエゴ、親のエゴでしか無いけれどどうか生きていて欲しい。だから、今日も生きててくれて本当にありがとう」と毎日伝えると思うのです。

だけど文字で書くととても薄っぺらいものになって書いた瞬間に私が伝えたかった思いとは違ったものにいつもなってゆきます。




だから私はコツコツ積み重ねるのだと思います

時間を言葉を行動を積み重ねて積み重ねて

積み重ねて私の思いを相手に伝えるしか無いといつも思っています。




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