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「従順さのどこがいけないのか」将基面貴巳〜三角な自分でいるのは難しい〜

 タイトルに吸い寄せられ、久しぶりに新書を読みました。

 私は小さい頃から、人の命令に逆らえない子でした。親や先生に「○○しなさい」と言われたら、逆らうという選択肢を持ち合わせていないのです。何も考えずに、言われたことを実行していました。そこには、大人に対する盲目的な信頼(やるべきこと、やってはいけないことを決めるのは大人で、その内容は理にかなっているという認識)=思考の放棄があったと思います。物心ついたときから、自分一人で妄想するとき以外に思考することがとても苦手でした。自分の意思や考えには価値がなくて、親や先生の思う通りに素直に行動することが最適解だと考えていました。自分が意見を言うことで誰かが不快になったり、ちょっとしたことでも誰かの選択が変わったりすることがとても怖かったのです。小学校でも、先生の言うことを大人しく機械的に聞いて当たり障りなく過ごしていました。

 そんな態度が変わってきたのが、小学校3年生の時でした。大好きだった担任の先生に「みんなはもう小学校3年生なんだから、新聞くらい読むんだよ」と朝の会で言われ、早速読み始めてみると、子ども心にやりきれないことや理不尽なことが毎日たくさん起こっているんだなと悲しい気持ちになりました。そして、何も言わないことは、世の中では今の状態を肯定していることと同じだと思われるんだと気づいたのです。それから、今度は自分の気持ちに素直になろうと思えるようになりました。それが、自分の心を守ることにつながると感じたからです。この変化があったおかげで、いろんなことを知りたい、と思うようになりました。

 ところが、社会人になって、尖った三角がどんどん丸くなっているのを感じています。職場において、丸くなることで心が楽になると気づき、どんどん幼少期の自分へ逆戻りをしていくようなのです。(あの頃の純粋さは失われたままですが…….。)敵をつくらず、誰とでもそれなりの友好関係を築き、おかしいと思うところがあっても波風立てず日常を維持していく。知らない方がいいことも沢山あって、逐一心がすり減るなんて思ってたら生きていけない。
 入社後数年が経ち、「だいぶ丸くなったね」と同僚の方に言われた時は本当にどよよ〜んとショックでした。自分の信念ではなく、自分の保身を第一にした自分。心の平和は守れても、やっぱりどこかで自分を殺している気がします。ここでちょうどいい塩梅を見つけられるのが、優雅に世渡りをする秘訣なのでしょうか……?今のところぬるま湯に浸かり切っている私に、喝を入れてくれる一冊でした。
 





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