音楽写真家という道の途中で ~ photographer 平舘平氏インタビュー【part1】
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音楽写真家という道の途中で ~ photographer 平舘平氏インタビュー【part1】

ひらばやしふさこ

  インタビュー連載5人目のゲストは音楽写真家の平舘平(たいらだて・たいら)さん。主にクラシックコンサートや音楽家のプロフィール写真を撮影するカメラマンとして活躍しておられます。
 友人の紹介で平さんに初めて会ったのは一昨年のクリスマス。上野の文化会館で開かれる室内楽コンサートの開演前でした。東京藝術大学の声楽科出身でコンサートの撮影をしていると聞き、なぜ声楽ではなく写真を選んだのだろうと思いましたが、聞けないままで時間切れ。
 その後、音楽や写真に関する平さんの想いを断片的に聞く機会があり、「音楽とは真理のようなものに手を伸ばそうとする行為」といった言葉に惹かれ、じっくり聞きたくなってインタビューさせていただきました。
 part1 はカメラマンになるまでの道のりの前半、芸大受験から卒業まで。平さんと音楽の関わりの根っこになる部分です。【全4回】

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平舘平(たいらだて・たいら)
音楽写真家。1988年、横浜市生まれ。東京藝術大学音楽学部声楽科を卒業後、複数のコンサートマネジメント会社、スタジオエビス勤務を経て独立。クラシック音楽を専門にコンサート、ポートレート、ドキュメンタリーを撮影している。音楽祭、音楽関連誌などで活動中。

「のだめカンタービレ(*)」を読んで突然音大を目指す

----- 芸大の声楽科を卒業して、演じる側ではなく、それを写真に撮るというある意味特殊な立ち位置の仕事をしておられますが、そこに至るまでの道筋をうかがっていきたいと思います。
 最初に確認させていただきたいのですが、芸大に入ろうと思った動機が「のだめカンタービレ」を読んで「音大って面白そう」と思ったからというのは本当なんですか?

 そうです。高校2年の時にあれを読んで音大って面白そうだから行ってみたいと思いました。かなり不純な動機ですよね(笑)

*のだめカンタービレ: 音大生を主人公にクラシック音楽をテーマとして描かれた漫画作品。2001-2010年の連載。作者は二ノ宮知子。テレビドラマ・テレビアニメ、実写映画化もされた人気作品。

----- それまでピアノを弾いたこともなかったというのは音大生としては稀ですよね。

 そうですね、芸大の同級生は小さい頃からピアノを習ってクラシック音楽に親しんでいたり、合唱もしくはなんらかの楽器をやっていた人ばかりでしたね。 

 僕はそのどれでもなくて、芸大を目指す半年くらい前にサックスを習い始めたのが初めての楽器体験でした。音大受験しようと思った時点ではソルフェージュという言葉も知らなかったんですよ。オペラを初めて生で観たのも芸大に入った後です。

----- 高校2年の時に急に「音大行きたいな」と思っても、「子供の頃からピアノを習っていないと無理」と言われて諦めた人も多いと思いますが、周囲の大人からそういうことを言われたりはしなかったんですか?

 無理とは言われませんでしたね。高校の音楽の先生に「音大に行きたいんですけど」と相談した時も、サックスでは無理だけど声楽なら可能性があると言われました。サックスに拘りがあったわけではないので、合格できる可能性のある声楽科を目指すことにしたんです。その時点では声楽家という職業がどういうものかもよく知らなかったんですよ。そんな奴は芸大の同級生の中で僕だけでした(笑)

----- それでも合格できると信じて音大一本に絞って浪人したんですね。

 音大に行くと決めて受験準備していく中で、行けないかもしれないとは思いませんでしたね。行くもんだっていう感じでした。当時はそこまで意識しなかったですけど、思い返してみると、落ちたらどうしようという不安などはなかったと思います。

----- 音大志望でなくても浪人中は不安を感じる人が多いと思いますが、「行くもんだ」と思っていたところに今の平さんに繋がるものを感じます。

 模試なんてないし、周りに音大を目指している人もいなかったから、誰かと比べて合格可能性を測ることはなかったんです。だから根拠がないと言えばそうなんですけど、受かると思ってましたね。

----- それは自分が声楽に向いていると信じていたからですか?

 向いているとかは思っていませんでしたね。ただ、歌は楽しかったんですよね。練習すればするほどよくなるから。今思えば、それが向いてたということなのかもしれません。

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学生生活は楽しかった。けれど...

-----  一浪して入った芸大はどうだったんですか?「のだめ」を読んで想像していたのと違いもあったと思いますが。

 「のだめ」より変なところでした(笑)

-----  変なところ?どういう風に?

 「のだめ」では、音大には凄い変わり者がいっぱいいるみたいな描かれ方をしてるじゃないですか? 主人公の ”のだめ” みたいなちょっと感覚系天才肌がいて、千秋さんみたいな万能系がいて、それぞれに変わり者で。実際の芸大では、ああいう人は普通で、それよりもほんとにやばい人がいました。

----- その「やばい」は褒め言葉ですよね。美術系もやばい人は少なくないと思いますが、交流はありましたか?

 僕、1年生、2年生で芸祭実行委員というのをやっていて、2年生の時は実行委員長だったんです。音楽系だけではなく、美術系も含めた全体の取りまとめ役でしたから、美術系の友達も沢山できました。芸祭のこと以外でも、一緒にゲームしたり遊んだりもしてて。そういう美術系の人たちと一緒というのも凄く楽しかったですよ。

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芸大時代。友人たちと。(写真提供: 平舘平氏)

 だから、いろんな友達ができて楽しく過ごせたという意味では芸大はとても楽しかったです。

 だけど…実行委員長までやって芸祭に打ち込むのは、歌に向き合うことからの逃避だったんですよね。

----- 逃避というのは?

 僕、音大を受けると決める前は、クラシック音楽にあまり触れたことがなかったんです。お祖母ちゃんがコンサートに行くのについていったり、学校の音楽教室で年に1回オーケストラを聴く程度でした。

 普通の高校生が聴くような音楽を聴いていて、好きな音楽はロックとかだったんですよね。それも、ロック好きと言えるほど聴き込んでいたわけでもなくて。

 音大に行ったら楽しそうだと思って声楽を始めたのであって、声楽家になろうと思って始めたわけではなく、クラシック音楽が好きで始めたわけでもない。

 受験準備を始めてからは、受験のために練習する必要のある曲はもちろん、それ以外も少しは聴くようになって、「クラシック音楽もいいじゃん」ぐらいには思うようにはなってました。

 芸大に入った時点でその程度です。歌手の誰々が来るからチケット買って聴きに行こうなんて考えたこともなくて。

 同級生たちは一緒に食堂でご飯食べる時も鼻歌でオペラを歌ったりして、誰々の歌手がどうとか、ここのアリアがどうとか話してますけど、そういう話には一切ついていけませんでした。知ってるのはせいぜい自分がやったことのある曲くらいでしたから。

 そういった曲や歌手に関する知識そのものについては、「そのうち詳しくなって差がなくなってくるのかな」くらいに思えていました。

 でも、知識量の差の奥には熱量の差があることに気づいていました。特に女子学生は「何としても」と思って入ってきているわけですよ。「我こそは」って。男友達たちもやっぱり、「何とか自分が」と思っているので、誰がうまい誰が下手みたいな話をずっとしてて。

 そういう風にみんなが全力でやっている中にいて、僕は同じように全力で打ち込むことはできない、知識量の差が埋められたとしても熱量の差は埋められない。そう感じていました。

 僕がそれまでやっていたのは、いわば達成です。ちゃんとこの曲を歌い切るっていうようなことをやってたんです。受験だから。

 音楽っていうのはそんなことではなくて、もっと歴史に基づいたものだし、もっとフィジカルだし...。

----- 音楽がフィジカルというのはどういうことですか?

 うーんと、身体と繋がっているっていうか、文化的っていうのと同じようなことなんですけれども、あっちの人が生活して話している身体の動きとかと繋がっているところでもあるし。つまりそれは精神、メンタルでありフィジカルでありなんですけど。

 そういった音楽性にちゃんと踏み込んだことがなかったんですよね。踏み込んでいるふりはしてましたけど。このフレーズがどうとか話はしてました。でも、ほんとの意味でやってはいないというのは自分でも感じていて、だから芸祭に走ってたんです。

 芸祭の委員をやった理由には、元々、何ごとでもやる側に回りたくなるというのもありました。音楽なら演奏する側、写真なら撮る側、イベントなら主催者側をやりたくなるんです。だから芸祭も委員になったというのもありますけど、委員長までやって没頭して遊んで飲んでいたのは、自分のやるべき音楽から目を逸らして逃げていたわけですよね。

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休学。そして復学

 そんな風に、音楽はそこそこにやりつつ、遊んでばっかりいた結果、2年生の芸祭が終わった時点で、ぷつっと切れて鬱みたいになっちゃいました。 

 当時、川崎駅前でバイトしてたんですけど、ある日、夜の11時頃にバイトが終わって帰る時、どういう気分だったか正確には思い出せませんけど、ぷつっと切れたようになって、歩く人歩く人に喧嘩を売りそうな状態になってしまったんです。自分ではどうすることもできなくて、交番に入って押さえつけてもらって、両親に迎えに来てもらうことになりました。

 朝になってから親に「申し訳ないんだけどちょっと休ませてほしい」と言って、「まぁ、わかった」ということになりました。

----- そのまま休学したんですか?

 正式に休学したのは、もう少し後、年が明けてからですね。それまではしばらく学校には行かず、欠席していました。

 単位を取っておきたかったこともあって、年末のメサイアという声楽科全員が出演する公演には出ました。本番が終わった後に、学年のみんな 50人くらいに「すみません、ちょっと調子がよくなくて 1年学校休みます」というメールを送り、そこから休学したんです。

----- 休学中は治療を受けたりしていたんですか?

 休学し始めた頃はカウセリングを受けて、薬をちょっと飲みながら、朝早く起きて生活リズムを整えていましたね。回復してきてからは昼間のバイトも始めました。

 その時は芸大を辞めようかと考えました。正直、いろんな疑問を持っていたので。

 自分がほんとに音楽家になるのかっていったら、多分違うと思いました。また、そもそも日本人がクラシック、ましてやオペラやる意味あるのかなぁって思ってました。これは未だにいろんな意見がありますけどね。

 そんな疑問を感じていたこともあって、辞めようかと考えたんですけど、なんだかんだ言ってやっぱり音楽が好きで、苦しいけれども結局それに救われることが何度もありました。思い返せば。

 それで、音楽家にはならなくても音楽に関わる仕事をしようと思って、復学しました。1年間休学する予定でしたけど、先にレッスンだけ復学しようということで半年でいちおう復学という形にしました。先生も変えて、それまで履修していなかったコンサート制作やマネージメントの授業も取り始め、結局、5年かかって卒業しました。


タイトル・プロフィール・インタビュー写真: Ikuko Takahashi

続きはこちら >>> 【part2】「何者かになりたくて」

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ひらばやしふさこ

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ひらばやしふさこ
フリーランスでライティング・編集などを仕事にしています。企業クライアント直案件の黒子役が中心です。神奈川県の海の近くで、三毛猫の環(通称タマちゃん)と同居中。宅地建物取引士。スミダ読書会主催。