自己効力感と見えないなにかを信じること
「これからの時代の子育てにおいては『自己肯定感』より『自己効力感』が大事」なんだそうだ。
知人のライターさんがあるセミナーで聞いてきたことらしい。
かつて一緒に育児(赤ちゃん)雑誌を作っていたメンバーの
プライベートなグループラインで教えてくれたのだけど、
メンバーみんなが、「そ、そうか…わたしどっちもないわ」
という反応だった。
「子ども以前に自分だわね……」という感じで、その話題は終わった。
***
自己肯定感と自己効力感の違いについては、あちこちでいわれているけど
前者が「自分が存在していていいい、価値のある人間だ」と思うことだとしたら、後者は「何か未来の目標や出来事に対して、自分はできる、乗り越えられる」と信じる力、みたいなものらしい。(現在の個人的把握)
確かにわたしにはどっちも足りない気がする。
でも、物事はなんとでもなる。とは思う。
うまくいくかどうかわからない。うまくいかないかもしれなくて怖い。
でも、物事はあるところにわたしを運んでくれるだろう。
それはきっと悪いことばかりじゃないだろうって。
そういうふうに思えるようになったのは、二人目の子を妊娠している時だったと思う。
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ずいぶん前に、soarというウェブマガジンで書いたのだけど↓
わたしは妊娠初期に妊娠糖尿病になって、
おなかにいる子は、障害があるかもしれないし、
無事生まれるかどうかもわからない、と
担当医に早々に宣言された。
それから10ヶ月(に満たず、結局8ヶ月で産んだんだけど)
不安がなかった日はなかった。
「無事に産めるか」と問うたとき、
わたしに自己効力感のかけらもなかった。
夜中に子宮収縮が起きやすく、泣きそうになりながら
病室の(入院していたので)トイレにいくと
今にも赤ん坊がでてきそうになる。
この子はどんな顔をしてるんだろう。
どんな形をしているのだろう。
見えない、ということが怖かった。
エコーとかではわからない、目の前にいないものが怖かった。
***
自分には何もできないかもしれない。
でも、その存在を信じることは、多分できる。
見えないものがいま、居るということは、わかる。
だったらそのことだけに集中しよう。
何度目か泣いた夜にわたしはそう決めた。
障害があるかもしれない。無事生まれないかもしれない。
でも、それはしかたがない。
ただそのときまで、それからも見えないものと一緒に居よう。
***
結果、娘は元気に8歳になっているのだけど、
それもこれも奇跡でしかない。
わたしが何かしたわけじゃなくて
でもわたしが何もしなかったわけじゃなくて
そうなった、ということだ。
その体験があるから、
わたしは子どもへの教育も
自己効力感をもってしてなにかしていないし
自己肯定感がちょっと低い部分がある親でも子も
OKと思っている。
自信がある子育ての方が怖いもの。
***
そして、自己効力感って、いうか、
なにかを成し遂げることって、
そういうものなんじゃないかって今のわたしは思う。
たった一人の人間が決めた目標をごりごりとこなしていく力
(があると信じること)より、
今、目にはみえない不確かなものも、
きっと在る、居る。
そしてちゃんとそれはどこかにつながっている、と思うこと。
命ってそもそもそういうものなのかもしれないし。
そう思えば、自分はやっぱり居てもいいんだし、
何もしていないようでも何かをしているんだから、
それでいいんだ、と思える。
***
新しい命が宿ったり、尊い命がふと消えてしまったり、
そんなどうしようも自己の効力なんか効かない日常がある。
だからこそ、確かにそこにあった
いまは見えないものの存在を、
わたしは今日も大切にしようと思う。
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