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【エッセイ】左右の心得 -対話篇-

先日、後輩のハム山が運転する車の車中において我々は次の様な話をした。

『玉井さん』
『何』
『運転していて不安になってきたのですが、こんな辺鄙な場所に目的のお店があるのでしょうか』
『心配するな、もうじき着く。君、次の交差点を右に曲がりなさい』
『えっ、右?』
『そう右だ』
『右って箸を持つ方ですか?』
『普段貴様がどちらの手で箸を持つのか知らないから、知らない』
『そうですか。それは困ったな』
『なぜ』
『実を言うと私、たまに左右の判別がつかなくなることがあるのです。そういう時は箸を持つ手をヒントにして左右の方向を思い出すことにしているのです。だって普通、箸は利き腕で持ちますからね』
『やはり貴様は馬鹿だな』
『何っ』
『だってそうだろう。貴様は何故、箸を持つのが利き腕だと決めつける?私は右利きだが箸は左手で持つ』
『えっ、右利きなのに左手で箸持つんですか、違和感ないですか?』
『一切ない。親の方針か知らぬが幼少の頃よりずっとそうしているからもう慣れた。そういうわけで私の様な人間もいるし、右投げ左打ちという野球選手もいるし、世界に目を向ければ箸を使わず食べる民族もいるではないか。つまり、貴様の「右って箸持つ方ですか?」という質問、それ自体が破綻しているという訳だ』
『なるほど。箸という私のチョイスの問題でしたか。では質問を変えましょう。右ってフォークを持つ方ですか?』
『パスタの場合は右手。ステーキの場合は左手』
『スプーンは?』
『パスタの場合は左手。スープの場合は右手』
『グラスは?』
『飲む場合は左手。叩き割る場合は右手』
『ナイフは?』
『もうやめなさい、無意味な質問は。貴様はまだ私の主張の意図が分かってないようだな。私が言いたいのは、利き腕とその用途をリンクさせて左右を判別するのは各個人の環境によって異なるし、利き腕の利用シーンによっても変わるから無意味、よって利き腕なんぞを当てにするな、ということだ』
『なるほど。やっと理解しました。そういう理屈でしたら思い切って左右の概念は捨てましょう。なにも左右でなくたって方向の判別はできますしね』
『で、一体どうするのかね』
『 “方位” を用いて判別すればいいのです』
『どういうことかね』
『では早速やってみましょう。まず、今現在、我々の車はどの方角に進んでいますか?』
『北だ』
『とすると目的地へ行くためには、どう進めばいいですか?』
『次の交差点を東に曲がりなさい』
『その次はどう進めばいいですか?』
『南西に進んでY字路を南東に曲がりなさい』
『その次は?』
『道なりに南東に進むにつれ徐々に進路が南南東に逸れていくからT字路を東北東に曲がりなさい』
『その次は?』
『東北東に進んで十字路を北北西に曲がって南南東に位置するコンビニが車の進行と共に東南東に見え始めたらウィンカーを南南東に出して東南東の路肩に車体を東北東に向けて止めなさい』
『その次は?』
『もういいよ俺が運転するから』
『ありがとうございます』

以上の会話を通じて私は何を学んだのか。
それは「カーナビ」という商品が如何に優秀であるかということである。

<終>

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