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比叡山で過ごす宇宙元旦

午前4時半。
轟きと伝わってくる振動で目が覚めた。
鳴っているのは、私のお腹ではない。

「空」

2024年3月20日、春分・宇宙元旦。
滋賀県大津市にある比叡山延暦寺への旅。

建物の中にいるよりも外を歩き周る時間が長いので、ここまで雨と雷がひどければ予定を変更した方が良さそうだ。
午後17時からはみぞれ❄予報が出ている。

レンタカーも冬タイヤではないので行き先を急遽変更した方が良いだろうか。。。。


少し自分の内側へ意識を向けてみた。

こうすることで天気予報が変化していくことは多い。
実際、週末の天気予報では比叡山は雨と雪模様で予定変更は免れないかと思っていたけれど、学びを受け取ろうと内側へ意識を向け、内観を終えてみると予報はどんどん変化していき、雨は小雨に、午前中は☀マークまで見られるようになった。

晴れが良くて雨がダメというわけではなく、自分と向き合っていればいつも天気が良いというわけでもないですが、私の経験上、中止を覚悟していたものが行けるようになったり、逆に中止になったりと、丁度良い具合になります。

内観を終えてまた眠り、午前6時半。
今度は窓からさす陽光と鳥のさえずりと共に目が覚めた。

外は風は強いがピーカン晴れ🌞。
先程までの雷雨が嘘のようだ。
お昼には帰るので雪も心配ないだろう。

「よし!予定通り比叡山へ行こう!」



天気予報とは裏腹に快晴の空を眺めつつ、Saoriとお喋りをしながら車を走らせ、あっという間の1時間。

前回、前々回同様、比叡山ドライブウェイ料金所を越えると、一気に空気感が変わります。

料金所から東塔・根本中堂の駐車場までは、琵琶湖や杉の木立を眺めながら約15分の道のりです。

車のウィンドウに霧吹きのような雨が当り始めました。
これぐらいは想定内。折りたたみ傘で十分、余裕を持って歩けそうです。
”霧雨の中の比叡山”、それもまた風情があって美しいじゃないか。


いつの間にか霧雨が雪に変わりました。
ぶぶあられのような、コロコロとした可愛らしい雪です。
予報では17時からみぞれだったので、すぐに止むだろう。

ところがあっという間に木立が白く染まり始めました。

山には静寂が流れ、風でゆっくりと舞う雪はとても幻想的で美しく、どこからともなくシャンシャンとトナカイのソリの音が聞こえてくるような風景でした。
はたまた錫杖(しゃくじょう)の音だったのでしょうか。


景色が美しいのは良いけれど、これ以上降ると車が困ったことになります。

でもまぁ、もう引き返すタイミングではないので大丈夫だろう。

いつも通り、休憩だなんだとしているうちに、きっと天気もいい感じになることだろう。

今回は3つのエリアに分かれる比叡山延暦寺の、一番端に位置する横川エリアに行きますが、東塔エリアの大駐車場でひとまず休憩とします。
※西塔・横川にもありますが、東塔駐車場でおトイレを済ませておくことをオススメします。

車を止めると、あれよあれよという間に雲間に太陽が顔を出し、すっきりと晴れ渡りました!

とはいえ寒いので、朝自宅で淹れてきたコーヒーと、Saori が持参してくれた米粉のブラウニーやフィナンシェを車の中で頬張る。

さぁ、横川(よかわ)に向けて出発だ!


東塔駐車場から更に車で15分。

花が咲いているのではなく、蕾と新芽が赤い

気温は低いものの、やはり暦上では春。温かな陽射しで目覚め始めた木々に、小さなツボミがふっくらとして春を感じる。先程までの雨や雪の名残りだろうか、山霧に太陽の光が当たって虹色の空気が流れる。

車に乗っていても、足元がスゥーっと気持ちがいい。

横川は東塔と違い、とても静か。
入場料を支払い、歩き出すとまた雪が降り始めました。
景色を楽しみ、絵看板で歴史を学び、勝手にぺらぺらと感想を述べながら歩くのが楽しい。

横川エリアの見どころは、➀横川中堂、②元三大師堂(がんざんたいし)。

➀横川の中心となる大堂で、848年に根本観音堂として創建、本尊には、慈覚大師円仁作と伝えられる聖観音菩薩がまつられています。舞台造りと鮮やかな朱塗り、船が浮かんでいるように見えるのが印象的な建物です。こちらで、不動明王様にご挨拶をさせていただきました。

可愛いくてぴっかぴかの花
雪が降ったと思ったら晴天

②比叡山の復興に勤め、また大きく発展させた元三大師・良源の住居跡。
お正月の三日に入滅されたことから元三大師と呼ばれています。
また、良源は角大師(つのだいし)の名を持ち、法力により自らの姿を鬼に変え、世に流行っていた疫病を追い払ったその姿は厄除け・魔除けの護符となり、人々に信仰されてきました。
優れた霊力で多くの人々を救ったと言われています。
また、現在のおみくじの創始者だそうです。


境内の森をぐるっと散歩しました。

元三大師御廟(みみょう)が現れました。
お詣りはしなかったのですが、そこを過ぎた辺りからなぜかお線香の香りが何度も鼻をかすめる。
気のせいかと思ったのですが、ここは敢えて偉大な方と繋がったと思うことにしましょう。

御廟の字が読めなくて、今検索していると興味深い記事が出てきました。

 “元三大師御廟”がある。ここが【比叡山四大魔所】の一つなのである。元三大師の墓所は、開祖伝教大師の墓所と区別するために【みみょう】と呼ばれている。なぜそこまでして【御廟】という言葉にこだわるのか。それはこの廟所が比叡山にとって非常に重大な意味を持っているからなのである。
元三大師の墓所の奥はただ切り立った崖であり、ここから先には何もない。しかも京都から見ると北東の位置にある。つまりこの御廟は比叡山の最果ての地であり、京都の鬼門に当たる比叡山の、そのまた鬼門に当たる横川の、更にはその最も鬼門に当たる場所にあるのである。要するにこの地は鬼門中の鬼門であり、魔なるものを封じる最前線ともいうべき場所なのである。
良源はこの地に葬られることを望み、また遺言として墓所は荒れるに任せるように言ったという。彼は自分が葬られる場所がどのような意味を持つ場所かを理解し、そしてそこに葬られる自分の役目を全うすることを誓ったのである。それは自らを魔なるものとし、魔魔を抑えることを意味するのである。
足繁く人が訪れる場所でないにもかかわらず掃き清められた御廟の周囲と、名もない草木が生えるに任せた墓所とのコントラストは、ある種の凄まじさを覚えるに十分であった。

日本伝承大鑑より

肉体が朽ちてもなお、この世を護る。とてつもない覚悟と志です!!

他にも、自らの肉体に悪鬼を閉じ込め、入滅した僧侶の話を聞いたことがあります。

無知なことは悪いことではない。
御廟の読み方を知らなかったおかげで、この文書に出会い、漢字の読み方以上のことを知ることができました。

お腹も空いてきたので、東塔駐車場に戻り、お昼ご飯の相談をしていると今度は笑けるほどの大雪が降り始めました!

真っ白!


お昼は琵琶湖近くの蕎麦屋に行こう!と決まったあたりで雪は小雨に変わり、空気感が切り替わりました。

幾重にも重なる不思議な空気感、神聖な神様時間は終わり、普段の音も色も戻ってきます。

この切り替わりに関しても、いつもSaoriと感覚が同じで、大体2人同時に「あ!終わった!」とか「あ!神様来てくれてる!」と言います。

2人だから経験できたこと、叶えられたこと、乗り越えられたこと、たくさんあったし、これからも2人ならできる!とお互いへの感謝を胸に比叡山を後にしました。


よくよく考えてみたら比叡山での滞在時間はわずか1時間ほど!

春の陽射し、桜の花、つぼみ、雪、雨、風、霧。。。

天候が忙しく変わる中、傘を取り出す必要もなく、不思議な密度の濃い〜時間を過ごさせていただきました。


比叡山は、風水の考えに沿って作られた平安京から見て鬼門に位置するため、東を守る青龍の山。(東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武)
東の青龍は、春(1・2・3月)を司り、恵みの雨を地にもたらします。

この日はもしかしたら、青龍の恵みが降り注ぎ、そして春のお彼岸だったことから、最澄さんや良源さんも比叡山に帰って来られていたのかもしれません。

信じるか信じないかは、あなた次第!


綺麗な色の琵琶湖を眺めながら無事にお山を下り、油かす蕎麦が気になりながらも、山菜蕎麦で冷え切った身体と胃袋をさっぱりと温め、炙りたてのみたらし団子を食べて帰路につく頃にはどしゃ降りの雨。


次はまた、温かくなってから。
お弁当を持参して山歩きをしたいと思う。


愛をこめて
たまひろ


2023年10月(東塔)と12月(東塔&西塔)の比叡山への旅はこちら↓↓↓






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