負けたって負けじゃない(ショートショート)

春の訪れを待ち望んでいるルリビタキのヒッヒッという鳴声が微かに聴こえてきそうな次縹つぎはなだ色の冬空の元、吾郎の心も晴れ晴れと囀っていた。なんたって今日は幼馴染の佐山と、高校卒業以来の遊園地デートだから。

吾郎の人生、負けばかり、続いていた。初めは紙一重で負けた。運動会の徒競走。数十メートル先にピンと貼られたゴールテープ。それを頭一個分の差で破ったのは双子の弟、次郎だった。惜しくも負けたが、悔しさより清々しい気持ちで一杯だった。全力を尽くして負けたからだ。しかも負けた相手が、この世で一番の親友でもある、次郎だったから尚更だ。

次郎とは運動だけじゃなくってテストの点数だってほとんど差は無かった。吾郎が70点なら次郎が75点。それくらいの差だった。だから吾郎も次郎もこれらを差だとも考えていなかった。

時たま友達に

「かけっこでもテストでもいつも次郎の方が上だよな。吾郎、お前のほうがお兄ちゃんなんだろう?」

と言われても次郎はもちろん、吾郎も気にしなかった。

しかし微々たる差が大きな違いとなった出来事が起きた。高校受験で次郎だけが志望校に合格したのだ。自己採点の結果を見たら次郎と吾郎の点差は僅か十点。問題数で言えば三問程度。その三問の差で合否が叩きつけられた。

この残酷な結果を受け、数日間、二人に微妙な空気が流れた。だがこんな大きな出来事ですら、二人の関係性を打砕くことはできなかった。一ヶ月もすれば元の関係に戻っていた。次郎の吾郎に対する態度は一つとして変わらなかった。尊敬でき、頼りになる兄だった。吾郎もそこは同じで、次郎に対しての憎しみはなかった。結果だけを真摯に受け取り、次こそはと、奮起した。負けたことを教訓に日々を精一杯に生きた。それなのに、吾郎は、いつもギリギリのところで結果を掴み損ねた。

体育祭も三年連続総合二位だった。大学受験でも第一志望の大学に落ちた。何より悔しかったのは高校三年間全国大会出場を目指して取り組んだサッカーの県大会決勝でPKを止められてしまって負けてしまったことだ。あの時ほど周りに申し訳ない気持ちになったことはない。

これだけ惜しいところで負け続けたならば、性格が捻くれていってもおかしくないが、そうならなかったのは次郎の存在が大きかった。PKを外して家に帰ってきた日だって次郎は

「あんな緊張する場面でよくゴールの枠に飛ばせるよな。見てて鳥肌立った」

って真に吾郎を尊敬している口調で言ってくれた。それで吾郎は自室で二度目の涙を流せた。

それに佐山の存在も大きかった。佐山は小学五年生の時に都会から引越してきて以来の親友。女子とここまで親友になれているのは佐山だけだ。高校も一緒だったからある意味、次郎よりも深い話ができる相手でもあった。佐山もいつも吾郎に綿花のような優しい言葉を贈ってくれた。高校受験に失敗した時も

「結果は思ったとおりじゃなかったかもしれないけど、吾郎は吾郎だってこと忘れないで。それに落ちたから私と同じ高校に行けるんだから、ラッキーでしょ」

なんて言葉を与えてくれた。

佐山とは大学が別々になって、しばらく会えていなかったが、成人式のために帰ってきて久しぶりに会った。久しぶりに会った佐山は美しい女性になっていた。いや、徐々に女性になっていっていたのに、あまりにも近くにいすぎて気づいていなかった。気づいてしまったら佐山に対してこれまで抱かなかった感情が芽生えた。この芽生えたものが何なのかを放っておきたくなくて、成人式終わりに勇気を出してデートに誘った。

「明日久しぶりにあそこの遊園地行ってみない?」

あくまでも友達として懐かしい場所を訪問してみようよ、と提案する口調で尋ねた。

佐山も明るい口調で

「いいよ、あそこ行くの小六の課外活動以来じゃない?懐かしい、楽しみ」

と答えてくれた。

唐揚げを食べたいと思って家に着いたら食卓にてんこ盛りの唐揚げが並べられていた時以上に嬉しい気持ちが吾郎の心を満たした。

遊園地デート当日。佐山は黒のスキニージーンズに、淡い白色のセーター、その上からオリーブグリーンのショートフーディコートという出立ちで現れた。気取っていないのにお洒落になる。なんて可愛いんだと思いながらも、吾郎は気持ちの変化を悟られないようにと、必死で高校三年までの自分を演じた。後々佐山は言う。あの時ほどぎこちない吾郎はいなかったよね、と。

平然を装ってはいるが、吾郎の心臓は終始バクバクだった。だから観覧車からジェットコースターまでの緩やかな坂道でさえ登るのに息切れしてしまった。坂道の上まで辿り着いた時、少し休憩した。

ふと、さっきまで自分たちが居た所に目を移すと車椅子に乗ったお婆ちゃんと、付き添っているお爺さんの姿が見えた。見えた時には吾郎は元来た坂道を戻っていた。

「ここの坂道意外と急なんです。良かったら上まで押します」

屈託の無い笑顔で話かけた。老夫婦は一瞬警戒したが、吾郎の表情を見たら親切心だけで動いていることがすぐに伝わった。

「じゃあお言葉に甘えてお願いしようかね」

とお婆さんは微笑んだ。

それから吾郎は車椅子を押しながら坂道を登った。お婆さんが驚かないように、なるべくゆっくりとした速さで。さっきより三倍くらいの時間をかけて頂上まで到達した。

「ここまでで大丈夫です。あとは彼女さんとの楽しい時間を楽しんでください」

お婆さんの言葉に吾郎は赤面した。彼女では無いです、とも言えず、言いたくもなく、ただ、ただ赤面した。

佐山はこの一部始終を見ながらクスクス笑っていた。

「やっぱり吾郎は吾郎のままだね。どんなに負けたって優しくい続けられる。そんな所が...」

嘘みたいだけど、近くのジェットコースターの轟音で肝心なところが聴こえなかった。

「そんな所がなんだって?」

「ううん、教えない」

佐山は無邪気に人差し指を口に当てた。

吾郎はジェットコースターの方に体を向けた。

「おい、ジェットコースター。たった今、佐山が俺に与えてくれただろう甘い言葉を盗んだろう。返せコノヤロウ!」

吾郎はそう言って佐山の手をとりジェットコースター乗り場まで駆けていった。

その光景を見ていたお婆さんとお爺さんも自然と手と手を握っていた。

周り一体、煌びやかに輝くビー玉が宙にも転がっているようだった。

終わり



下の物語の登場人物の何年後かの話を書いてみました。三人ともすくすくと育っているようです。


ここまで読んでいただきありがとうございます。