正欲
朝井リョウさんの『正欲』を読み終えました。
読み終えて、また一つ人を許せる度合いが小さじひと匙分くらいだけ増えたような気になっています。
世の中には色んな人がいるよね、ってことを改めて痛感しています。
そして自分自身も決してマトモで正常な人間では無いことを痛感しています。
自分だって正常ではないのだから、自分が正常じゃないなと感じる相手が正常かどうかだなんて、確定できない。
何が正しいのかを判断するために法律が存在していて、その法律から逸脱した行動をした人は、法の元では、正しくない、と判断される。
だけど、法律的に正しい行いだけをしていれば幸せになれるのかは、また別の話になってくる。
『正欲』では、このあたりの話をとても上手く絡めて書いている。
職業柄、正しさを明確にしないといけない検察官を登場させ、正しいことと、想いやることは別物なのだと突きつける。
水にしか性欲が沸かない、正しくないとされる性欲を持った男女を登場させる。正しくない性欲を持たなければ、この世で正しいと考えられているカップルや夫婦にさえなれず、幸せになどなれるはずはないのに、正しくないとされる性欲を持ったもの同士が偽りの共同生活を営む中で幸せを見出していく。
水にしか性欲が沸かない、正しくないとされる性欲を持った男と、正しいとされる性欲を持ちながらも、その性欲の対象である男を受け入れることも受け入れてもらえることもない女を登場させる。正しくないとされる性欲を持った男が抱える悩みと、正しい性欲を持ちながら誰からも必要とされない女が抱える悩みを通じて、多数派も少数派も、正常とされる人達も異常とされる人達も悩み葛藤していることを描いている。
正欲は、性欲についての話だけど、生欲、生きる欲についての話でもある。
どんな人だって悩みながら生きている。じゃあそんな世の中で生きていける人と生きていけない人の差は何なのか。それは繋がりがあるかどうかなのか。本当にそうなのか。一人で引きこもり繋がりのない人間は皆生きていけないのか。義務教育である小学校にすら行けず正規のレールから外れてしまった者は、生きてさえいけないのか。
どうなんだ。本当にそうなのか。孤独にならぬように繋がりを創造していくべきなのか。
正欲では確かに正しくない性欲じゃない者同士が繋がることで、生きる欲を得た。だが、それだけが正解では無いと思う。一人を好む人だっている。人と繋がっていなくても、自然や他の動物との繋がりを感じることで生きていける人もいる。
正解は一つじゃない。
じゃあどうやって人と人は理解し合えば良いのだろう。
相手の立場に立つ?相手の視点で自分を見る?
何が正しくて何が正しくないかもすぐに変貌していくこの世の中で、それで解決する?
きっとしない。だから、生きていく限りずっと葛藤し続ける。
葛藤の中で幸せを追い求める。
幸せを追求していきたいという欲は、正欲なのだろうか。
なんの正解も導き出せないまま彷徨っていく
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