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結婚記念日の度に思い出すのはハートのストロー

おはようございます。

今月は僕らの結婚記念日です。結婚記念日の度に思い出すことがあります。

それは、結婚する1ヶ月前にした、妻こと、つきみぐの手術のことです。

今から2年前。

つきみぐにプロポーズをし、結婚することが決まりました。

結婚が決まってからも行うことが山積みでして。

つきみぐは当時、隣県に住んでいたので、引越しの準備などもし始めなければいけませんでした。

そして引越してくる時の問題として、今までかかりつけだった病院に通いにくくなってしまう問題がありました。

つきみぐは子宮筋腫でした。子宮筋腫は良性の腫瘍です。悪性になって命を脅かすものではないのですが、腫瘍が大きくなりすぎると、生理痛が酷くなったり、貧血になりやすくなってしまいます。手術前のつきみぐも正にこれらの症状に悩まされていまして。

解決策としては手術が一番だということで、引越し前にかかりつけ医が手配してくれた大学病院で手術することになったのです。


手術当日。

命に関わる手術では無いので、手術を受ける当の本人も緊張している様子はありませんでした。

話の中心は、もっぱら麻酔について。

全身麻酔の予定だったのですが、全身麻酔って、麻酔されたらものの数秒で意識が無くなってしまうらしくて。

しかし何故かつきみぐはこの麻酔に抗ってやろうとしていました。

「他の人が数秒で意識無くなるのなら、私は1分以上は絶対意識保ってみせるよ。」

そう自信満々に伝えてくるのです。

「お、おう、頑張れ。手術終わったら何分耐えられたか教えてね。」

「任しといて!というかもし麻酔が全く効かなかったらどうしよう。」

そんなことをのほほんと話していました。

後日談として、「先生、麻酔効かなかったらどうし、、、」くらいで意識が無くなったそうです。めっちゃ普通に麻酔効いてる。


そんなこんなで手術の順番が回ってきて、ドラマでよく見るようにストレッチャーに乗せられ、看護師さんに付き添われ手術部屋に入っていくつきみぐ。

それを見送るのは、僕とつきみぐのご両親。

お義父さんとお義母さんも一人娘の手術とあって内心は不安だったんだろうけど、表面上は平然としていました。(この手術の待ち時間に、お義父さんから、娘を頼むよ。と言っていただき、真に結婚を認めていただいた気分になったのも懐かしい。)

手術自体は3時間程で無事に終了。

しかし病室にストレッチャーで運ばれてきたつきみぐは、手術前と大きく様子が変わっていました。

「痛だいー、痛だあい!!」

と泣き叫んでいたのです。

通常であればその姿に心配心が湧くのだけど、先日の会話のことがあったので、心配しつつも、可笑しくなってしまって。

というのも、先日の電話でのやりとりで、つきみぐはこう言っていたからだ。

「先生から手術後、痛みが襲ってくると思うので、痛み止めの注射を打っておきましょうかって言われたんだけど、断っちゃった。だって注射怖いもん。」

「えっ、でも痛み止め打ってたほうがよくない?」

「いいの、いいの、何よりも注射が怖いもん。」

そうやって頑なに注射を拒んだ結果が、この有り様だからだ。

痛い、痛いと泣き叫ぶつきみぐ。その姿はまるで赤ちゃんのようで。(オムツもしていたので尚更そう見えた)

その様子を見て看護師さんが、今からでも痛み止めの注射を打ちましょうか、と提案してくれたので、すぐにお願いした。

そしたらものの数十分で痛みは消えたようで、泣き叫ばなくなった。(ほら、だから最初から痛み止め打ってたらよかったのに、と思いつつも、安堵の表情に変わっていくつきみぐの顔をみたら、指摘したい気持ちなど消えていた)

一件落着。

このまま眠るのかと思いきや痛みが収まったら、次は喉が渇いたみたいで。

起き上がれないので、看護師さんがコップに飲み物を入れて、ストローを挿してくれた。

このストローは入院する際の持ち物リストに含まれていた。

あれ、待てよ。入院用に購入したストローってもしや。

嫌な予感は見事に的中した。

コップに突き刺さっていたのは、この場に一番適していないピンク色のラブリーなハートのストロー。

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思わず看護師さんも声を出して笑っていた。

「入院用のストローにこんなストロー用意してくる人初めてよ。可愛いわね。」

そういいながら、痛みと闘い終えたつきみぐに優しく飲み物を渡してあげていた。

渡されるや否やよっぽど喉が渇いていたのだろう。グビグビと一気に飲み干してしまった。

なんともマイペース。

つきみぐはいつもこうなのだ。

通常ならば、シリアスになりそうな場面においても、持ち前の性格でその場を一気になごましてしまう。

そんなつきみぐを見て、この子となら一生楽しく暮らしていけると確信した。

そしてその確信はニ年経った今でも揺るがぬどころか強固になっている。

うちの両親など、我が息子の僕では無く、つきみぐと話をしたくてご飯に行こうとしょっちゅう誘ってくる有様だ。

この手術のようにこれから先も、何があるかはわからない。だけれども僕らならどんなこともいつかは笑って話せる。

さあ、来年の結婚記念日にはどんな話で笑っているだろうか。

苦渋に顔を顰めてできた皺だとしても、全て笑い皺にしちゃおうぞ。

終わり









ここまで読んでいただきありがとうございます。