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35歳の孤独

2024年2月、35歳の冬。
心底孤独だ、私はそう思った。

32歳で10年ほど連れ添ったパートナーと離婚して、勇気を出して海外の大学院進学を決意した。全体で2年間あるプログラムの内一年半が修了して、今は日本に一時帰国している。

一時帰国している間のスケジュールは忙しい。大学時代からの友達との楽しいお茶に、お互い会社を辞めた同期との進捗共有、お世話になった先輩との飲み会、などなど。東京には会うべき人がたくさんいる。
それでも、たくさんの人と会う中で、自分はひとりぼっちだと感じざるを得ない。

多くの友達は結婚して、素敵な夫婦生活を営んでいる。不動産を買ってリノべや趣味を充実させているカップルもいるし、愛猫にデレデレのカップルもいるし、子供が生まれてれ忙しくも幸せな毎日を過ごしているカップルもいる。

未婚の男友達は私と同じ一人身だけど、30代半ばというのは男性陣を焦らせる年齢ではないようだ。遊び相手には困っていなそうな余裕を醸し出していたり、兄弟が既に子持ちの場合「もう俺は自由にできるから」などというのを良く聞く。ラグジュアリーな温泉旅館に行ったり、大型バイクを買ったり、独身貴族とは君らのことだね!と頭の中だけで言う。

はたまた私は海外で大学院生活中。日本では住所不定で、離婚後誰とお付き合いしているでもなく、定職もなく、そんな根無草のような状態が、無性に情けなく寂しくなることがある。
会うべき人がたくさんいる東京、その東京が私の孤独センサーをさらに研ぎ澄ます。

私の実家は東北の雪深い街で、両親はそこで元気に暮らしている。実家は帰れば落ち着くし、豊かな自然と美味しいご飯はそこにいるだけで私を満たしてくれる。

不便な田舎の暮らしは、定年後の父と母の結束を強めているようにも感じる。夏になったらこの野菜の種を埋めようとか、今夜は積雪20センチだから明日の朝は雪かきだね、とか。田舎暮らしというのはそれだけで、色々とやることがあるのだ。

そこにぽんっとメンバーがひとり増えたとしても、既に確立された暮らしのルーティンにすぐに馴染むことはなく、私は時間を持て余しがちだ。

会話もそう。流行りのドラマや時事ニュースをネタに共通の小話をすることはできても、父や母を相手に人生観とか恋愛観とかキャリアについて話せる訳ではない。「やっぱり寂しいんだよね」と漏らそうものなら「早く再婚しなさい!同級生のまいちゃんなんて子供が小学生になったぞ!」と一蹴されて終わりだ。

2月のある夜。雪深い田舎町。広い実家のお風呂に浸かる。
「結婚してたとき、幸せだったなあ」
不意に口をついてそんな言葉がでる。言っておきながら自分でびっくりして、次に涙が溢れ出して、嗚咽を出しながら泣く。

離婚したことに後悔はない。そうなる結末だったように感じる。元夫に未練もない。でも、パートナーといた10年間、寂しくはなかった、そう思う。

嫌なことがあっても、私には味方がいるという安心感。
灯のついた家に帰れること。暖房で温まった部屋。日曜の朝しずかに動き出す音。

その全てが、幸せの象徴だった。
バカな私は気が付かなくて、大切にできなかった。
ああ、孤独が染みて死にそう。

今パートナーがいる人、その幸せをどうか逃しませんように。
そして私、また一緒に暮らせる誰かが、どうか見つかりますように!

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