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お風呂で魚肉ソーセージ

娘に「お風呂で魚肉ソーセージ食べていい?」と聞かれた。

お風呂で魚肉ソーセージ。瞬時に「えっ、ダメ」と言いそうになるも、ぐっとこらえて、しばし考えてみた。
えっと、なんでダメって言おうとしたんだろう。

お風呂でなにかを食べる。これは、たぶんマナー的によろしくないだろう。でもお風呂にアイスを持ち込んだことならわたしもある。ジュースもある。アイスなら良くて、魚肉ソーセージはダメというのはちょっと説明がしづらい。

衛生面はどうだろう。お風呂は雑菌が多いと聞く。でも、魚肉ソーセージを湯に浸して食べるわけでもあるまい。そもそも雑菌が、というのならアイスも同様だろうし、床に落ちたなにかを口に入れるなど日常茶飯事である。

いまのわたしに、お風呂で魚肉ソーセージを禁じる理由は、ひとつもない。

数秒ぐるりと考えたのち、「ダメ」のかわりに「なんでお風呂で魚肉ソーセージ?」と聞いてみた。
すると「えっ、だってめっちゃ楽しそうじゃない!?」と娘。

そんなことで楽しくなれるのか。驚くと同時に、うらやましくなった。わたしは「お風呂で魚肉ソーセージ」なんて思いつかない。

家族みんな寝坊してしまい、天気も怪しく、なんとなくすっきりしない週末の朝に、「ベランダで朝ごはん食べよう」と提案するのも決まって娘だ。「寒いし食べるの10分なのに片付けは20分かかる」というわたしに、彼女は「すっごく楽しい気持ちになると思う」と熱心に誘ってくる。

帰宅から就寝までの短い時間のなかに、ぎゅっと「すべきこと」が詰まっている平日の夜。1分でも早く片付いてほしくて慌ただしく急かすわたしをよそに、「じゃあ急いでお風呂入っちゃうね」と言いながらも、娘はわざわざスピーカーを持ち込み音楽を流していたりする。
「ちょっと! 急いでって言ったよね!? なんで音楽聴いてんの!」とお風呂のドアを開けると、娘いわく「同じ急ぐとしても、ちょっとの時間でも楽しい方がいいでしょ。時間は一緒だよ」とのこと。まぁそうか。

毎日をちょっとでも平穏に、無事に穏やかにフラットに、と思いながら暮らしているわたしと違って、娘はなにかにつけて「楽しくする」ことに熱心だ。日々、楽しいほうを選びながら生きている。

あの日、弟と一緒にお風呂で魚肉ソーセージを食べた娘は「楽しかった〜〜」と心からしあわせそうな表情で上がってきた。「かあかもやってみたら?」と聞かれたのに、「かあかはお腹いっぱいだから、いいや」と言ってしまった自分が、ほんとうにつまらない人間に思える。

次に、娘になにか持ちかけられたときは全力でイエスと言おう。速さ、効率、大人の常識、そんなことより「楽しいほう」を選んでみようか。



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