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マグカップのいいわけ

新しいマグカップを買った。

ずっと欲しかった陶芸家の作品で、淡いブルーとピンクが混じり合った釉薬は、少し霞んだ春の空と桜が溶け合う景色を思わせる。まだ冷たさが残る冬の終わり、わたしはそれを画面越しに見ながら、もうすぐ来る春を思い、なんて素敵だろうとうっとりとした。

人気の作家だ、もしかしたらすぐに在庫がなくなってしまうかもしれないし、そうなれば海外から再入荷の機会は、ずいぶんと先になるだろう。実店舗に行けば見られるのはわかっているけれど、今すぐ買いに行く時間はない。けれど、オンラインで買うのはいかがなものか。わたしは数日の間、日に何度も「まだ、ある」を確認しながら、繰り返し眺め続けた。

わたしにとっては決して安くはないお値段の作品である。ましてや手仕事の品、ひとつひとつ釉薬の出方も違うだろうし、サイズも微妙に異なるはずだ。マグカップは重さや手触り、目には見えない感覚がとても大事だとも思う。

20代のころ、通信販売の会社で働いていたことがあり、ひとつひとつ形が異なるものは「どの子がやってくるかも、ご縁のひとつとして楽しみにお待ちください」なんていう一文を当たり前のように受け止めていたけれど、いざ自分が買うとなると別である。やっぱり見たいし、触りたい。オンラインで買うなど、とんでもない。

それでも、えいやと買ってしまった。あまりにも美しかったのと、外出が減った今、お買い物欲も高まっていたのかもしれない。届くまでドキドキするなぁと思いながら押した決済ボタンだったけれど、そんな感慨にふける間もなく、夕方にポチッとしたマグカップは、翌日の午前中には手元にやってきた。

とても頑丈に(ワレモノなので)、しかしとても美しく包まれた包装を解き、マグカップとおそるおそる対面した。そしてその日から、「あぁこれが手元にあってうれしい」と思いながら、毎日のように使っている。

サイズ感は、かなり真剣にメジャーを駆使しながらシミュレーションしたおかげか、なかなかに想像通りだった。右手で持ち上げたときの重みや、取っ手のカーブも収まりがいい。釉薬の流れる塩梅も、そうかこうきたか、とわたしだけの景色を見せてもらっているようでうれしくなるし、飲み干すと見えるカップの底の表情が、これまたいいなぁとにんまりしている。なにより、このすべすべとした石のような手触りは、きっと使い込むうちに艶を増すだろう。新品の今よりも、きっと1年後、3年後、10年後のほうがお気に入りになっているだろうなと思えるマグカップ。

そう、結果的に、このお買い物体験は大成功だったということだ。

少し大きめなので、このカップで飲むのはコーヒーよりも断然紅茶やハーブティー、もしくは白湯が多い。それもまた、わたしの普段のコーヒー消費を自然と適量に導いてくれている。パソコンに一日中向き合っているわたしのかたわらで、いつもそっと支えてくれるような姿も愛らしい。

マグカップひとつで、こんなにも気分が変わる。景色が変わる。暮らしが変わる。マグカップはほかにもたくさんあるのだし、機能だけ見ればまったく必要のないものだけれど、こんなふうに心をぽっと照らしてくれるのだから、たくさんあってもいいよね、衝動買いも悪くないよね、なんて思っている。

(追記)
マグカップを買ったのは、1年以上前のことです。下書きにあった記事を思い出し、今日もまたこれを使いながら「いいな」と感じているなあと思いながら公開しました。

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