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二十半ば、女

「斉藤さんのお子さん今年から入園らしいよ。」「言ってたね。ママ友グループに入れるか怖いって。確かにああいうの嫌よね。」
「おばさんは入りづらいだろうしそういうグループに入るなら私たちくらいの年齢が丁度いいよね。」
「……え、どうだろ。逆に若すぎるんじゃない?」

 同僚の顔に怪訝さが垣間見えた。この返答は良くなかったかもしれないと思ったが、本心から思わず出てしまった言葉は取り消せない。社会人になって三年、二十代前半をもうすぐ終えようとしている私たちの話題の終着点は毎度のこと同じになってきた。所謂、恋人や結婚、子供の話。周りの友人はそうでもないが、同僚の城山さんは特に気にしていているらしく、職務中の井戸端に直ぐに持ち出してくる。私はその度に何とも煮え切らない答えを返し、逃げるように話題を終わらせる。子宮辺りが縮こまるような感覚に苛まれてしまうからだ。単純に私はまだ趣味に没頭していたいから誰かに時間を費やしたくない。異性に惹かれたことが生まれてこの方ない性分も携えている。それに、子供の面倒を見れるほどの責任感もない。その諸々から、嫌悪感を覚えてしまうのだ。もう一つ、職場の話題に限った話ではないことが一因にもなる。両親との何気ない会話や親族の集まりでもこの話題は必ず一度は上がる。それが貴方にとっての幸せだと、孤独にならずに済むと言われる。押し付けがましいと何度思ったことか。それでも、幾ら嫌悪し逃れようとも年齢を重ねる毎にひしひしと感じるこれらの圧は増すばかり。そして今もまた話題を逸らすしか逃げ場はなかった。結局逸らして別の話題で誤魔化して、疲れていく。
 これは、二十後半手前の私の息苦しさであり、例外ばかりのはぐれ物の思考かもしれない。元より、私は希死念慮を孕んで生きてきた拗らせ者なのだ。父親が産んだことを感謝してほしいと軽口を叩く度産んだのは母親だしそもそも産んで欲しい等と頼んだ覚えはないと心の中で悪態をつく。自分がそんな弄れ者である以上子供を産みたいなどと思えない。おまけに薬も酒も煙草も一通り手を付けてしまっているこの体たらくなのだ。勿論表向き誰にも言っていない。だが、余りに執拗に結婚や妊娠の普通を押し付けられ続ければ、全て吐き出して捨てやってもいいと考えている。今はまだ軽口や談笑程度のものでも、二十後半を超えればきっと、そうもいかなくなるのだろう。思春期のモラトリアムでは足りないまま私は年老いて、周りからは義務でもない普通を押し付けられていく。

酷く憂鬱で最悪な毎日。普通に生きることにこれ程息苦しく感じる人間は他にいるはずだと思って、今日も生きている。