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ライフストーリー③《100チャ54》

東京で出会った初恋のトーマスが、サンディエゴの実家にきてると連絡が来て会いに行った。当時アメリカにかぶれてヒッピーまがいな格好をしていた。僕はお母さんに嫌われて、彼に素直になれなくて復縁は惨敗に終わった。

1997年。時代はまだダイアルアップ方式のネット検索だった。Windows95のパソコンでAOLのクラシファイドから、今で言う出会い系のゲイセクションで出会った人としばらく付き合った。

③21〜30歳迄
1998年 21歳の誕生日前後から自分はゲイだと、カミングアウト。アメリカは本当に多種多様の国。自分らしく生きられる。尚が言ってくれた事、俊介の反応。それが思い出に残ってる。

ガーディアンエンジェルと自分が呼ぶ、ネイティブアメリカンと白人のハーフのケイシーと出会ったのが21歳で3年位付き合った。

2000年6月に学校を卒業。23歳で初めて日本に長期一時帰国。よしゆきさんから2丁目を更に教えてもらった。一ヶ月だったけど濃厚だった。アメリカのノリでヒッチハイクで北海道迄行った。

アメリカに帰ってきてから、日系企業に飛び込みの弁当屋でバイトをした。元気がいいからうちに来なさい。と有名醤油会社の子会社にあたる日本食卸の会社に就職。

24歳はあの911の年だった。朝電話が鳴り、日本に帰国した仲間から、『テレビつけてみろ‼️』と連絡。映画のワンシーンの様な光景。一体何が起こっているのか、戸惑いながら会社へ。帰り道ラジオを聴いていると、明日はロサンゼルスを狙うと言う犯行声明が出たらしい。狙われているダウンタウンで渋滞にハマるあの時の気持ちは忘れられない。

テロがあってすぐ、支店長が変わった。色々あって労働ビザ申請が降りず、10月に仕事を辞めることになった。後になって人のアドバイスはよく聴いた方が良いと本当に思った。生き残る術はそこにあったのだから。

幸か不幸か、11月にJapan Expoで仕事を貰うことが出来、イベント会社で働いた。次の年はイベント企画を任された。そのことがきっかけで、自分は生涯の夢を見つけることになった。

生活の全てが輝いていたその時、若かった自分は恋愛にのめり込んでいく。

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