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肺がんだった話(3)

初診~告知までをつづったのは、このお話で最終です。
前回までの記事、こちら

前回の急遽おこなった診察で、
"小細胞肺がん"と正式な告知うけました。

1回目の入院時には、
まったく夫の面影がなく、リンパ節の腫れにより
全身浮腫みでパンパンで身体を寝かすとうまく息が出来なく、
まともに寝ることが出来ない状況でした。
発覚してから10日もたたないうちに、こんなにもなるのかと思うと
少しでも早く検査や治療できてよかった。

入院期間は検査と治療で5週間以上の予定と言われたが、
ステージが3か4かで治療方法が変わるため、あくまでも未定

ステージを決めるため、入院当日から数件検査。

・脳に転移してないかどうか
・骨に転移してないかどうか
・胸水に癌細胞がないかどうか。
とにもかくにも片肺以外から癌が1つでも見つかった場合は、
もうそれは、ステージ4。

ステージ3だった場合の治療方針と
ステージ4だった場合の治療方針をセットで主治医から聞かされる。
3と4を一緒に聞いてしまうと、
4だった場合の手遅れ感、どうしようもない感が半端ない。
早期発見がいかに大事かを知らされる

で、結果はというと

検査① 脳に転移してないかどうか
  →全身浮腫みにより、寝転ぶと呼吸困難になる為検査できず
検査② 骨に転移してないかどうか
  →検査の結果、転移なし!
検査③ 胸水に癌細胞がないかどうか。
  →”癌細胞が発見”された・・・。

肺にたまった水から癌細胞がでたため
"小細胞肺がん ステージ4"
と正式な告知うけました。

面会時間外で主治医が夫に告知していたため、
先に知ってしまった夫はかなりのショックだったと思います。
頑張ってクールを装うタイプの人なので
顔に出さないのが精一杯だったに違いない。

泣いていても意味がないと思いつつ
この先くるだろう現実がよぎる度に号泣してしまいます

夫「先生に余命とか聞かれますか?と言われたけど、
奥さんもネットとかで調べて分かってると思うのでいらいないです」

と言って余命宣告を聞かずにいた。
たぶん聞きたくなかったんだと思います。
本人はどれくらい認識してて、どれくらいの覚悟があるのか。
夫婦であったとしても、私にはまったくわかりません。

そんな私の調べでは13~14ヵ月とありました。
余命なんてものは、あくまでも統計でしかないし
私であっても明日生きてるという保障はありません。

しかし、少なからず奇跡を起こした人がいるのも事実です。
だから、奇跡を起こすしかありません
その日偶然Threadsで「"奇跡は必ず起きる"と唱える」
と、いう投稿が流れてきました。これまた奇跡。
奇跡という、安直で不確かな言葉に頼らないいけないのも事実。

現実は現実と受け入れたうえで、
それでも奇跡を起こす!と気合入れる

この状況をどう、乗り越えていくかを
二人でたくさん話をしないと私は思ってましたが・・・・。

というわけで、今までの経緯を時系列にならべると

3月03日 右鎖骨あたりのしこり発見
3月04日 初診(職場近くの内科)
3月04日 初診(大きめの病院)→肺がんの疑いあり
3月07日 初診(大病院)→ほぼ肺がん
3月11日 造影剤使用のCT検査→小細胞肺がんの告知
3月15日 入院と検査(胸水に癌細胞あり)→ステージ4aの告知
3月18日 1回目の抗がん剤治療はじまる

2週間のうちに一気に人生が変わっていきます。
病気が病気だけにスピーディーに対応してくださった病院の方々には、
感謝です。

夫の闘病生活が本格的にスタートしました。
次は入院生活や治療、夫婦の関係をついて書いていきたいと思います。


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