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後輩へのアドバイスが年と共に変わって来た

先日後輩へのアドバイスをしている自分を省みて、若いころと随分言ってることが違うなと気づいたので、そのことを書いて見たい。

4月に転勤するひとがいて、少人数でささやかな送別会を催した。
すごく久しぶりの会だったので、日頃の言いたいことはあふれんばかりにある。その中で20代の女性が直属の上司とあまりそりが合わず、ついキツイ口調になっている。そのことに自分では自覚があったものの、十分隠せていると思っていたのに、みんなに不穏な空気を察知されているのに驚いて、もっと気をつけなくちゃと話していた。

そこで、わたしは、そんなに押し殺さなくてもいいよと伝えた。
不機嫌に意味も分からずぷんすかしてるのはどうかと思うけど、自分の意見を言えばいいだけで、押し殺すことはないよと伝えた。

昔の思い出話になるが、わたしが20代か30代になりたての頃、すごく気分のアップダウンのよくわかる後輩がいた。そして彼女がイラっとする理由も、当時の男性社員の杜撰さであり、すごくもっともで、わかしから見ると、彼女が怒るのはよく理解できるのだけど、それを知らない周囲の男性社員からすれば、なんでこのここんなイラついてるの?と思われるだけ。〇〇ちゃんが損するだけだから、気を付けたほうがいいよとアドバイスしてた。
当時(1990年代)は、時代的にももっと女性社員は補助的な扱いだったし、波風立てないのが良しとされる風潮だったからだ。

それが今は。
がっつり専門業務をしてるのだし、対等。
なんでこのこ怒ってるの?って相手に不思議に思わせながら不機嫌っていうのは、何の解決にもならないけど、自分の気持ちを落ち着いて整理して、ここを改善してほしいですって言えばいいよと伝えた。
自分が何かで怒りを覚えたことをまるで無かったことにすることがどれほど自分を痛めつけることになるか、そして、我慢してても何の解決にもならないことを、自分の痛い経験からよくわかったので、そうアドバイスした。

このように、自分が30歳そこそこの頃の後輩への感じ方やアドバイスと現在50代だが、若い女性社員へのアドバイスは随分と変わったものだと、似たようなシチュエーションで、自分が話してることに自分で気づいて、変わったものだなと思った。

30年前は、まだまだ女性社員は補助的仕事が多く、大きな責任も持たされていなかったし、大所帯の中で、事を荒立たせず、周囲と上手くやっていく。
要らないことを言わず、引いておくというのがわたしの生き方だった。
ところが、色々な経験を経た末に、いや、我慢し続けるなんてしちゃだめって思うようになった。
もちろん、怒りを感じたらそのすべてをそのままに発散すべしとは思わない。理不尽なことが起こったとしても、それは自分の視点から見た理不尽であって、もしかして相手側から見ると、理屈の通ったことなのかもしれない。そこは、一旦落ち着いて考えて見る。
あと、自分で気づくのは非常に難しいが、自分だけの妙な拘りとマイルールがゆえにカチンと来てる場合もある。
(人が苦情を言っているを見ると、え?そこそんなにこだわることろ?と思う時がたまにあるが、それを自分もしてる場合もある。)
そういった冷静に自分の意見を点検してみることは必要だが、考えすぎて何も言えなくなるのも違う。
もしかしたら、自分の勘違いや思い込みもあるかもしれないという部分を心の片隅に置きながら、こういうことが不都合なので、改善して欲しいと思っています。と提言するのがベストかなと今は思っている。

ようは、わたしから見える視界とあなたから見える視界は違う。違って当然なので、それを話し合ってすり合わせましょうね。ってことなのだ。
たったこれだけのことがわかるのに、わたしは随分痛い目を見たな。

それにしても、いまの若い子たちは男性女性にかかわらず、みんな賢くて優しいなと思う。若いうちから人間出来てるこが多いと思う。

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