痛みを受け入れる覚悟をすると逆に幸せになる
久しぶりの記事投稿になります。
いよいよ水瓶座時代へ本格的に突入ということで、ここ数年間のわたし個人の学びと気づきってこれだったなっていうことを書いてみたい。
わたしのここ10年に起こった出来事により、悩みや課題は色々あったが、それを通してわたしが何を学んだかというと「自分の尊厳を守ること」だったと思う。もともと人のお手伝いをするとか、助けるとかが苦痛ではない、むしろ好きな方だった。けど、やりすぎてしまい自分が疲弊してしまうところに気づき、ストップをかけること、自分のテリトリーや、自分の幸せな気持ちを大切にしつつ、自分とかかわるひとと共に楽しくやっていくさじ加減を日々見つけていくということだった。
そして、自分の尊厳を大切にしていくためには嫌われる覚悟を持つこと。何かを断ったり、困っていることについて、改善を求める要望を伝えるなどは、場合によっては波風がたつ。これをむかしのわたしは極端に嫌う傾向にあった。自分の思いを通す時には風圧もあるし、痛みを伴うかもしれない、ひどいひとと相手に思われるかもしれない。これをわたしは嫌がっていた。けど、痛みも不利益も受け入れようという覚悟が出来てからは、とても楽になった。
振り返って見て、昔のわたしは「いいとこどり」をしたかったのだなと感じている。自分の希望、要望も通したい、けど誰からも嫌われたくない。そのためにはどうしたらいいんだろう?なんて都合のいいことを考えていた。そして、ストレスを抱え込む。
自分のやりたい事のためなのに、自分が矢面に立って痛みを引き受けようとせず、誰かの陰に隠れる。依頼心があったなって思う。卑怯とまでは言わないまでも、ずるかったなと思う。
でも、心のことを学び、自分の気持ちを繰り返し内観し、自分の希望を発見し、じゃあそれを叶えてあげたい、気分の思いを表現したいと思った。
そして小さな、時には大きな勇気を出して、何度もチャレンジしてみた結果、昔は感じたことのなかった自由または解放感という感情を何度も味わうことになった。(ここでわたしの言うチャレンジとは、主にひととの対立を伴うかもしれないことを起こすということ)
反対されたり、嫌われたり、は嬉しいことではもちろんない。けど、その不利益を受け入れるという覚悟が、わたしを幸せにするポイントだなと感じた。
そして実際、ことを起こしてみると肩透かしに簡単スムーズに進んだこともあったし、やはり対立してしまったこともあった。それについては、のちにフィードバックして自分で再検証してみると、また新たな発見をするし、軌道修正してゆけばいい。これの繰り返しだなと思う。
ひとは、こんな些細なことに気づくのに、とても長い時間をかける。けど、些細ではあるけど簡単ではない。だから、気づいたら世界は拡大する。
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