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嵐休止前LIVEに寄せて

昨年の大みそかは、嵐休止前ラストライブを友達と一緒にPC画面で見ていた。

わたしは、実は嵐のデビュー当時から、松潤の花より団子あたりで嵐全体がブレイクする頃までの、いわゆる低迷期のころ、嵐ファンであり、コンサートも友達とよく行っていた。その頃は、今のようにチケットが取れないこともなく、申し込んだらすべて取れた時代だったのだ。ブレイク以降、わたしはお茶の間ファンになってしまったのだけども。

そもそもどうして当時すでにしっかりと大人だったわたしが10代のアイドルを見つけて目を奪われたかというと、彼らの不器用ながらももがきながら一生懸命誠実に仕事をしようという姿勢だった。この子たち、こんな若いのに、ちゃんと仕事しようとしてるって思ったことがきっかけ。
櫻井くんでさえ、いまほどお話が達者でもなく、チームワークもいまほどツーカーではなかったけど、気遣いながら常にお互いのことを思い合っていたことは見て取れた。彼らのコンサートはいま素晴らしいと定評があるけど、今ほどお金をかけられなかった当時から、すでにコンサートは抜群に素晴らしかった。えらそうに批評をするようだが、まだ20歳前だった彼らはTVでの立ち回りは上手くなかった。我が我がで誰も前に行くひとがいなかったから。地味だった。
だからコンサート会場での彼らの本当の姿が、人々に伝わりさえすれば、きっと多くの人が、彼らを好きになるのになと思っていた。

では、そんな拙い新人の頃からのコンサートの何がいったい良かったのかと言うと、ひとことで言うと、全身全霊、出し惜しみなく、お客さんが喜ぶにはどうすればいいだろう?という思いをもって、練り上げられたということが隅々まで感じ取れたから。
それは、わかる。はっきりとわかります。
コンサートの終盤でひとりひとり挨拶するのだけど、若いころの挨拶は自信もなく、ひとり反省会かと思うような、そんな自分に厳しくなくてもいいのにと思うようなものだった。でも、そういう厳しい世界なのだろう。その中で生きるってたいへんなんだな、そんな中で、お客さんを楽しませることを考えつくしてくれてるんだろうなと思った。
(※ 最近は知られてることだけど、念のため。ジャニコンは本人たちがすべて演出しています。)
今では松潤考案のアリーナのお客さんの頭上を透明のステージが動いて行くムービングステージは有名になったけど、わたしは、ムービングステージ初お披露目の時の初日初回のコンサートにたまたま入っていたので、初めて動かないはずのステージがぐんぐん自分たちのほうに向かってくるのを体験し、度肝を抜かれた衝撃を今も忘れられないし、ほとんど女子ばかりしかいないのに、歓声がキャー!ではなく低音のウォー!!だったのをよく覚えている。

そんな風に機材だけではなく、とにかくお互いを思いやる気持ち、中の良さ、お客さんに最大限楽しんでもらいたいと、心を尽くすところが好きだった。時は流れて、お茶の間ファンになってしまったわたしだけど、お休みとは言え、最後はしっかり見ておきたいと思い、PCでラストライブは見せてもらった。そしたら、あの頃とまったく変わらず、正直に誠実に、お客さんにこの状況でも最大限楽しんでもらうにはどうしたらいいか?をとってもとっても考えたに違いないコンサートだった。このために時間と労力をかけたに違いないという仕組みが見て取れて、ああ~彼らは変わらず21年やってきたのだな。全身全霊、見に来てくれるひとを楽しませることに尽くすということを変わらずずっとやってきたのだなと思った。

大野くんのファンは寂しいかもしれないけど、引いた目で見てみると、今の年齢とタイミングでの一旦休止は、他の4人にとても良い変化だったんじゃないかと思った。およそ2年もの歳月をかけて、巨大船を停泊させるために、ゆっくりと港につけた。コロナで大変だったけど、誰も感染せずに最後のコンサートをしっかり遂行できたことも、ファンに思いの限りを尽くしてくれたことも、お見事でした。お疲れでした。そしてありがとう。

多くのファンは、きっと好きになって良かった!ファンになって良かった!と思ったと思います。

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