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演劇ユニット丁丁公演 『ハコ』 裏話 後編




こんにちは。

今回は、前回の裏話の記事の後編になります。

前回の記事はこちら。
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先日行われた演劇ユニット丁丁の公演で、新作『ハコ』を上演しました。
今作の執筆裏話をしたいと思います。

※ネタバレを含みますので作品未読の方はご注意ください!
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昨年11月。
今回の企画のプロデューサーである関口さんから公演のお誘いがあり、演出の工藤さんも含めた三人で最初のミーティングが開かれました。
公演や企画の概要は大体ここで決まったのですが、私は完全にノープランの丸腰でミーティングに臨んだので、いざどんな内容の作品を上演するか、という話題になった時、書くネタが思いつかずに困ってしまいました。
その場で必死にネタ帳を漁ると、「〇〇しないと出られない部屋」というワードがメモされていました。
これはネット上の創作に用いられるネットミームの一種で、登場人物が何者かによって空虚な部屋に閉じ込められ、「〇〇しないと出られない」というお題を出される不思議な部屋のことを指します。
以前、劇場建築の授業に出た時に、昔から現在まで続く主な劇場構造はまるで「芝居が終わらないと出られない部屋」みたいだな、と思ったことがありました。
多分その時のメモなのでしょう。
私のネタ帳やメモ帳は基本的にメモの役割をなしていないので、こうやって当時の自分の意図を想起したり推理しなければなりません。

しかし、このおふざけのネタは意外にもミーティングを通って、このネタから発想したお話を書くことになりました。
が、完全にタイトルオチの思いつきネタのため、いざ長編にするために構想を練ろうとしても、一切、何にも思いつきませんでした。
このワードをメモした時の私だってまさか本当にこのネタを書くことになるとは思っていなかったでしょう。
今回の企画は小劇場演劇で予算も限られているため、好き勝手に書くわけにもいきません。
実現可能な範囲内で書く必要があったし、一からネタを考え直すには時間に余裕がありませんでした。
どうにかこの「〇〇しないと出られない部屋」を詰めていくしかない、と私は気合を入れました。
一人では限界だったので、友達に相談したりもしながら、朝も昼もどうしたらいいか考えました。
その間、エーちゃんとババちゃんは天使になったり女性になったり死んだり生き返ったりしました。
気合を入れて構想を練ってみた結果、完全な迷走暴走機関車に成り果ててしまいました。
このままでは手に負えないと機関車から飛び降り、構想は再び一からやり直し。
関口さんや工藤さんともたくさん相談しながら、最終的にサスペンス路線に乗り換えることで落ち着きました。

その時作ったプロットでは、AとB、二人の人物が謎の部屋に閉じ込められており、謎の二人組の俳優が謎の芝居を行っていて、お芝居が進むにつれ色んな謎が解明されていく、といった趣旨のものでした。
上演版と骨組みはほぼ変わりません。
今作では、現実、劇中劇、回想が入り混じる複雑な構成をしています。
実は以前からフラッシュバックのような、現実と非現実、現在と過去が交錯してしまう物語を書くことに興味がありました。
サスペンス路線に変更した今回のネタに、そのモチーフは合うと思いました。
だったらそれをネタ帳に書いておけばいいのに、と忌々しく思います。
そして、こういった複雑な物語を書くことは、私自身にとって大きな挑戦でした。
新しいことをしてみよう!というワクワク感の一方で、これをわかりやすく関係者各位に伝えるには工夫が必要で、物語の概要を伝えるプロット作りをものすごく頑張った記憶があります。
何なら全作業中一番頑張りました。

プロットの段階で、エーちゃんが錯乱してしまうシーンは一番の見せ場にしようと思いました。
錯乱した結果どんなことが起こるか、登場はしないが言及される人物・佐倉さんとの関係性や他の登場人物たちとの関わりなど、未決定事項だらけではありましたが、実際に書き始めた時は、この見せ場に向かって空欄を埋めていくような作業になりました。
これが面倒くさいの何の。
常に逆算して考えなければならないので、ものすごくエネルギーを使いました。

2024年1月1日。
約1ヶ月で初稿を書き上げました。
あけおめ初稿です。
初稿では、「〇〇しないと出られない部屋」のネットミームのイメージを引き継いで、ナンセンスで下品な雰囲気を意識したギャク調のお話でした。
ギリギリ締切に間に合わせて初稿を上げたはいいものの、まだこの作品を掴みきれていない、という感じが強くありました。
この作品でどういうことを書きたいのか、物語の鍵を握っている需要人物のBがどういう人なのか、そもそもシリアスでいきたいのかギャクでいきたいのか、わからないことだらけでした。
なので、登場人物や場面を掘り下げようとしても限界を感じてしまっていて、初稿明けの無気力とあいまって、悶々とした正月を過ごしました。

そんな時、目に飛び込んできたニュースがありました。
松本人志さんの性加害疑惑です。
原稿中はネットやメディアから距離を取っていたので、この報道が世間を騒がせていることを、その時初めて知りました。
有名人で、内容もショッキングなものだったので、大きな衝撃を受けました。
同時に、つい先日書き上げたばかりの初稿にものすごい不安を感じました。
密室に閉じ込められて行動が制限された人物が卑猥な言動をすることを面白おかしいものとして描いていいのか?という疑念が浮かびました。
記事の内容が真実であろうとなかろうと、一方の出来事に嫌悪感を抱いておきながら、他方で似たような状況の出来事を面白いと笑えるのか?
フィクションと現実の境が明確にあるとは、私は思いません。
フィクションを作る人間も享受する人間も現実に生きているからです。
「〇〇しないと出られない部屋」も、今回報道された内容に似た性暴力事件も、私が初稿を書き出すよりもずっと昔からあります。
でも、私が作品を書く人間として、自分の作品と実際の事件との距離を考えたのは、今回が初めてでした。
私は、この初稿をそのままにして世の中に出すことは絶対にできないと思いました。
二稿は、大幅な改変が必要だと考えたのです。

また、作品に関連したショックと同時に、この報道を駄目押しにして、私はプロの創作の現場に対して強烈な不信感を持つに至りました。
旧ジャニーズ事務所、宝塚、歌舞伎界、ピクサー、映画業界などなど。
最近の報道だけでも、優秀なクリエイターがその権力を持ってして弱い立場にある人を虐げる事例は数えきれません。
芸能界やクリエイター業界がクリーンな現場である、と本気で信じていたと言えば嘘になります。
しかし、こんなに薄汚い場所だとは予測できませんでした。
実態も知らずに、そんな業界に憧れて志して、今創作活動をしている自分がとても恥ずかしく感じました。

そして、自分に対しても恐れを抱きました。
いつか有名な作家になりたいと思っていたが、もし私が有名になって権力をもつようになったら、私も誰かを傷つけてしまったりするのだろうか。
悪意がなかったとしても、誰のことも犠牲にせず、搾取せず、必ず尊重しながら仕事を行うことができるだろうか。
作家、演出家、監督、プロデューサーという立場は、大きな決定権を持っているが故に現場の人たちに対して強い力が生じがちです。
もし、俳優やスタッフが出された要求を嫌だと思っても、拒否したり意見したりする余地や環境を残しておかなければ、力の強い人たちはその要求を強制させることだって可能かもしれません。
そして、有名で優秀なクリエイターであればあるだけ、そのような横暴が看過されるのです。
こういった創作現場の権力問題は当然今になって取り上げられているものではなく、俳優が不快感を感じるようなセンシティブなシーンの撮影の際に演じ手の希望とクリエイターの要望の落とし所を模索し、より良いシーンを導くインティマシーコーディネーターや、創作の場で客観的な立場から検証、助言、調整を行うドラマターグ等といった職業も存在します。
その人たちの仕事や存在が、創作現場をより安全で健全なものにしていることは明らかです。
しかし、その仕事内容はまだ一般的に知られていませんし、今回の企画のような小規模な団体の公演にそのような役職を設けることはとても難しいです。
私は、自分の興味関心のために他者を顧みないことや、利用しないこと、そのように傷つけないことは、ものすごく気をつけていなければ不可能だと感じました。
今回の一連の報道で、私は私が恐れる、なりたくない将来の姿を見たと思いました。

そこで思い至ったのは、この受け入れ難い大きな不安や不信、失望感をそのまま書いてみてはどうか、ということです。
物語の中心人物である佐倉さんは、挫折をきっかけにして道を踏み外してしまいました。
その時、情熱を大きく削がれて鬱屈としていた私の状況と、佐倉さんの姿が重なるような気がしました。
佐倉さんだけではありません。
実は今回の件が発端となっただけで、ずっと前から窮屈な閉塞感やプレッシャーを感じていたのではないか?
自分自身や世間、将来に対する漫然とした不安は長い間存在していたものではなかったか?
こう考えると、次々に自分の心にある暗い部分が浮き彫りになってきました。
こうして、初稿に手を加え、大幅な変更を施して上演版の土台となった、『ハコ』第二稿が生まれました。

なんとここまでが前置きです。


ここからはより裏話っぽい感じでいきます!

タイトルの『ハコ』は、建物を指すハコと、心理療法の一種である箱庭療法のダブルミーニングです。
ババちゃんが精神科医という設定なので、彼らしいタイトルをつけられたと思います。

この作品は「演劇」というテーマを考えつつ、私のダークサイドを解放した結果出来上がったお話です。
密室は劇場、エーちゃんは観客、ババちゃんは演出家、女優と男優は俳優、佐倉さんは作家の役割を持っています。
演出家であるババちゃんはある意味で観客でもあります。
彼は作品が観客に与える悪影響や、俳優への危険性、作家の意思や存在なんかはまるっと無視して思うままやりたい放題やります。
Aは一方的な決め付けや無責任で攻撃的な言葉で周囲の人を傷つけます。
俳優たちは自分たちの利益しか考えません。
女優は目立ちたがり屋で他人より優位に立つために人を陥れてマウントを取るし、男優は組織の経営者でもあって、保身で頭がいっぱいで権力にすぐ屈服します。
佐倉さんは無知で思い込みが激しく、簡単に他人に利用されてしまいます。
そして、全員が自分が持っている加害性に無頓着です。

と、このように見ていただければわかる通り、己のダークサイドを全開放して、私がなりたくない人、すごく嫌な人、を意識した最低最悪人物を構想しました。
努力の結果、大方望み通りの最低最悪人物が出来上がりました。地獄です。
構想通りに出来たはいいものの、全員嫌な奴すぎて書いているのがかなり辛かったです。
特にエーちゃんは酷かったです。
もうエーちゃんのセリフは書きたくない、と思うほど気が滅入りました。
いつも意図的に善人を出しているつもりもないし、自分の作風は比較的暴言てんこ盛りだと思っていましたが、思ってもいない暴言や自分が言われて不快な言葉をあえて選ぶのは、それだけでもだいぶハイカロリーでした。
もう本当に大変でした。

反対にババちゃんは、セリフ面で苦労したことはないものの、なかなか噛み砕けない最も厄介な人物でした。
未だにババちゃんとは何者なのか、不思議なところがあります。
一番最初のプロットの時点でBの役柄やプロフィールだけ完全に空白だったことがあるくらい、実は上演の直前まで解釈が揺れている人物でした。
何度も何度もババちゃんの描写を書き直したため、俳優さんとスタッフさんには多大なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
でも、書き直すたびにババちゃんという人に対する理解が深まっていくのが感じられて、とても充実した良い作業時間を経験できたと思います。
一方で、ババちゃんがサイコパスのような描写留まってしまったのは残念です。
これは単に私の力が足りなかったことが原因だと思います。
ババちゃんの考えや発言は完全に常軌を逸していますが、彼はどこにでもいる普通の人だと思います。
普通の人なのに、他人の気持ちが全然わからなくて、あんなにおぞましいことを平然とやってのけたりします。
それが、彼の恐ろしいところです。
本当はそんな風にババちゃんを書きたかったのですが、うまくいきませんでした。
また書き直してリベンジしたいな、という気持ちがあります。
そうしたら、いずれ何らかの形で発表したいと思います。

今作は、頭を捻らせ、心を痛め、力の限りを尽くして挑戦し、自分への戒めも込めた作品なので、忘れ難い思い入れのあるものになりました。
一方で、初めての公演の演目がこの話って暗すぎない?もっと明るい話にするはずだったのに・・・という後悔が少しあります。
とはいえ、公演の経験自体はとても素晴らしかったです。
普段はもっと明るい楽しい話も書いてますよー!とアピールするために、今後も頑張って書いていこう、と決意しました。
次は私のライトサイドも見せられるよう、努力します。

また、今作の制作作業を通じて、クリエイターとして作品を作り出す責任を深く考える機会を得ました。
この機会を今後の創作に活かしていきたいと、強く思います。

どうぞ、次回作にご期待下さい!


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