アドリブだけどアドリブじゃない

劇場版のアドリブを考察してみる。
まずは春田と牧、二人のキャラクターの違いが対照的で萌えることをお伝えしとく。

春田はドラマ1話の合コンで「恋がしたい!」と声高々に宣言する程、恋愛に対する想いが強かったんだよね。「恋がしたい」なんて台詞、考えたら今までの恋愛ドラマで言ってたのは女性主人公だった気がする。でもそれだけ、恋に情熱を燃やせるタイプで、恋に堕ちたらハマるタイプ。
逆に、誰からも愛される愛嬌あるキャラクターのお陰で仕事はやっていけてるけど、お人好しが功を奏さず成績は奮わない。そもそも人と関わる仕事が好きで、気にはなるけど成績に対してはそれほどの焦りはないように見える。
一方の牧は、初出勤での紹介でエースと称される程、仕事に関しては誰もが認める出来る男だった。でも逆に恋愛に関しては何の前触れもないシャワー告白&キスに始まり、まるで子どもみたいな要領の悪さ。感情だけで行動して後で後悔する。考えすぎて自分で身を引く典型的な拗らせタイプ。

そんな二人が晴れて想いを通わせたドラマラストは、バックの青空のように晴れ晴れとした気持ちになった。最高の結末だったよね。

さて、劇場版になって、みんなが驚いたところ。
そう!二人のイチャラブシーン!何が起こったのか!?冒頭から劇場が小さく震えたって言うじゃない。
そしてみんなが悶え死にしてる二人のイチャイチャラブラブシーンの全ては、圭くんと遣都くんのアドリブだということ。どうしてアドリブが生まれるのか。春田と牧を演じた二人の心情はどんなものか。
ちょっとそこを交えてアドリブとは、を考えていきたい。

アドリブっていうと思い付きみたいに聞こえるけど、まさか!花火のシーンでも二人は長く撮影止めてまで話し合ってたって言ってたでしょ。
全て計算尽くだし、二人の中では空白の一年だってちゃんと存在する。出来上がってる。その上でのあの春田と牧なんだよ。

何食べのケンジ役の内野聖陽さんがインタビューで言ってたこと。
「『ベッドの中での二人はどんなんだろう』って西島さんと話した」と。
何食べってキスどころか手を繋ぐシーンもない(あったらごめんw)。だけど、二人のバックグラウンドはきっちり話して決めてからじゃないと、到底真の演技なんてできない。

OLはきっとそれどころじゃない。空白の一年は二度ある。脚本家はもちろん監督も出演者もその間、彼らがどんな風に暮らしてきたか全部考えてるよ。その空白の一年の分も最低でもプロットレベルの物があって、なんなら映像化できるレベルのものにまでしてるかもって思ってる。あのアッキーだって指輪してるので結婚してるってわかるけど、子どもがいるという設定までしてあって、だからアッキーは飲み会参加率低いっていう裏設定ね。
そこまで準備して、地盤をガチガチに固めた上で、当然ある背景として二人の(それ以外のキャラも)一年後が描かれてる。
春田も牧も、あのテンション一緒でしょ?それぞれに演技プラン考えてんじゃないよ。二人があの日から一年どんな風に過ごしてきたか、劇場版の脚本を元に詰めに詰めてて、恐らく体の関係についても、決まったものがあるはず。それを感じさせるでしょ?あの二人は。

脚本の段階で読むと、まさしく徳尾ワールドなんだけど、台詞回しや動作が随分とドラマの春田と牧(その他の役も)に寄せてある。ドラマのシナリオでは余りに映像と違ってて、相当二人が修正入れていったのがわかる。でも劇場版のシナリオを読むと、セリフも場面転換もほぼその通り。徳尾さん本人も「ト書きなどで役者の動きを制限したくない」って言ってて、そこは役者の解釈や監督の感覚に任せたいってことなんだけど、徳尾さん自身も結果ああいう映像になるのはある程度織り込み済みなんだよ。徳尾さんだって劇場版作るにあたって相当試行錯誤してる。シナリオ読むだけで、その演者とスタッフの一体感が見て取れる。
何度も言ってる脚本(実際の映像でも)の余白は、そういう背景の自由さを監督や役者に委ねることで、別の監督や役者が撮った時にまるで違う作品に仕上がる可能性を秘めているっていうところが、徳尾さんの面白さだなと思う。だからって筋は変えようがない。でもいかに脚本を膨らませるのかを委ねているのが、他の脚本家より度合いが大きいのが面白い。あのシナリオを先に読んでから劇場版を観たらもっと驚いたかもしれないよね。こんなにも雰囲気が変わるのかと。

その上で、演じられた春田と牧。

ちょっとアドリブをいくつか挙げてみる


〈アドリブ1〉
春田がフォーエバーラブという言葉に踊らされて怪しい指輪買っちゃって、一旦失うも必死に追いかけて取り戻した時、指輪(ケース)にぶちゅぅぅっとキスする。
あの指輪は春田には牧への愛そのもの。最初のアクションシーンの派手さの中で、まず最初に春田の牧への想いが如何程かを見せつけられる。

〈アドリブ2〉
春田の部屋にやってきた牧に嬉しさのあまり上裸で抱きつく春田。シナリオには上裸は書いてある。でも抱きつくとは書いてない。あの最初に牧を見て春田が驚く表情。

妄想→
牧と電話で喧嘩しちゃって、牧の逆鱗がおさまらないまま何週間も経ってしまった。牧からの電話もメールも一切ナシの状態。そこに突然牧が現れる。恋い焦がれた牧が笑顔で立ってて、春田の嬉しさ一気に爆発。もう裸のイケメンなんか忘れちゃってる。
そんな感じに見えませんか?笑
牧も牧で本社異動の相談をしなければと香港くんだりまで出掛けていったけど、ホントは仲直りしたかったから照れ隠しに「你好」なんて言っちゃった。とかね。

きっとここだって何らかのバックグラウンドが決めてある。春田と牧はいつ振りに会うのかとか。

〈アドリブ3〉
きんぴらごぼうが春田の髪についている。牧がそれを指摘してとってやる。二人笑い合って歩いていく。
シナリオはここで終わり。ご存知の通りこの場面、遣都くんがブッ込んでくる。ネクタイ掴むのもきんぴら食べさせるのも遣都くんのアドリブ。

花火の話をする時も牧は随分と浮かれてて、あれは何だろうと思ってた。花火を見る約束をしてたのは会話の雰囲気でわかるけど、どうしてあんなにテンション高めなんだろうな。

そう前日譚だ。去年の夏、春田が上海に発つ前に、春田から花火を見る約束をして牧へプレゼントした浴衣。春田からの初めての贈り物と初めての約束。牧にはこの花火が特別なものだとわかる。
だからこそのあのテンション。もうずっと前からその日は空けると決めてあった。春田は忘れていた訳ではないだろうけど、きっと牧の方が遥かに楽しみにしていたんだろう。それを伺わせる橋の上でのシーンだった。
ここは前日譚としてシナリオがあるけど、多分これに近いくらいの背景は他の場面でも用意されてると思ってる。

その上でのあの牧の甘いシーン。ようやく春田と花火の約束を叶えることができる喜びで浮かれポンチな牧でした。
そしてそもそも二人の関係性はあの日から随分と進んでいて、上海にも香港にも牧は何度も春田に会いに行ってたんじゃないか。
あの浮気現場(違うけどw)に遭遇する日までは牧は営業所勤務だ。そうドラマと同じ環境。

営業所にいるか本社にいるかで、牧の環境はガラリと変わる。

部長が言ったように「営業所には現場を学びにきた」牧は、春田の仕事振りを通して現場の仕事を学ぼうと必死だったろう。けど営業所は本社とは違い何かと緩い。お客様との対話、ポスティングに物件案内、展示会やクレーム対応まで、やる事は多岐に渡るが、それでも仕事のスピードは全然違っただろう。
ドラマで牧の初勤務の日、当然のように夜遅くまでポスティングをしていた事に春田が驚いていた1話。本社勤めだった牧には、あんな時間は遅い部類に入らないし、仕事は適当に終わるものではないと思っている。だけど営業所ではそうじゃないと牧だって次第にその匙加減に慣れていく。
牧には、言い方は悪いが営業所の仕事は本社に比べて楽だっただろう。家にも早く帰れて料理も出来て、好きな本だってじっくり読めちゃう。営業所ならそんな充実した生活が出来る。だからこそ、春田の良さを感じる余裕が出来たし、春田から仕事を学ぼうとした分、より深く春田を知り、想いが真っ直ぐ向かっていったんだろうと思う。

劇場版で急に牧が仕事人間になったように見えるが、まいまいも「忘れてたけど牧くんってエリートだったわね」と言ってるように、みんな、そもそも牧がエリートで、本社でバリバリ仕事してた事を忘れてない?
豊洲地区の再開発プロジェクトに携わってた牧。きっと劇場版での仕事に近い忙しさで仕事してたんだろう。
だから営業所にいた時の牧は、力が抜けてて、恋に対して一生懸命になれた。ドラマでの牧は「恋も仕事も」って状態。だから春田とのラブストーリーが生まれたし、恋に感情を揺さぶられている牧が見られた。そこにみんなハマった訳でしょ。私もそうです。
でも本社でアジア全体を視野に入れたビッグプロジェクトに参加するなんてのが、牧には夢だったとして、なんらおかしなところではない。
営業所勤務がどれくらいの期間なのか牧にも予測がつかないだろうが、いずれ本社に戻ってそんな大きな仕事を任されたい想いはずっと持ち続けていたんだろう。

本社に戻ってまたバリバリ仕事をするようになったって、牧の春田への想いは何ら変わらない。久しぶりに春田とじゃれあい高揚した牧があんな風にネクタイを掴んでみたり、きんぴらを食べさせてみたりしちゃうのは至極当然なんだ。あのアドリブのお陰で、牧の春田への想いが変わらないどころか強くさえなっていると感じられる。

さらにこの後、駅で二人が別れるシーンも追加されている。
牧は自分から言い出して春田家を出てしまったが、私はどこかで牧はそれを後悔していたんじゃないかと思う。自分としては仕事のためもあって家を出たけれど、せっかく春田が帰ってきたのに一緒にいる時間を自ら削ってしまう行為は、牧自身を追い詰める。ただ淋しい。こうして別々に帰っていくことが淋しい。そしてそれを自分で選んでしまった。春田を振り返った牧は春田への恋しさがあったけど、春田も同じように淋しさを感じて振り返る。お互いが同じ想いなのに別れてしまうのは、後の決別を予感させる。
牧は未練にも似た気持ちを断ち切って駅への階段を降りていく。それを春田はずっと見守っている。もう一度牧が振り返ると思ってたのに、そのまま姿は消えてしまい、春田は一人エア突っ込みをする。
微笑ましいけど、どこか寂しい。

話が随分逸れたけど、シナリオが読めることでそのバックグラウンドがどういう風に形作られたのかを想像できるのが楽しい。

〈アドリブ4〉
サウナのシーン……はもういいよねw
あ、でも一個だけ。遣都くんがしたシナリオにない大きな追加部分がある。それは春田への接触。かの有名なお尻ペンペン。
お尻突き出した圭くんも悪いけどw、それに間違いなく応える遣都くん。ドラマでもキスシーンは例外として、タクシーに春田を乗せたり酔った春田をソファに運んだり、バックハグやラーメン屋前で押されるなどなど、接触シーンは沢山あるけど、なんかお尻叩くってのは意味が違ってくる。そこも二人の関係を匂わせる重要な場面なんだよね。これもアドリブなんだっていう(感動)

〈アドリブ5〉
花火のシーン。二人でお祭りに繰り出す場面、場繋ぎのようなその中で春田が「牧ってベビーカステラに似てるよな」って言う。これはその前に牧が「(あれ)ベビーカステラ(ですよ)」って春田に言うのを受けて春田が言うんだけど、まるでベビーカステラのように甘くてフワフワした二人の雰囲気を表してる。
劇場版を観た時からツイートでも『ベビーカステラ』の文字が踊ってたよね。どこまで圭くんが計算して言ったかはわからないけど、こんな流されてしまってもおかしくないくらい小さな声のセリフが、一代ムーブメントをおこしてしまうなんて(大袈裟)、やっぱりアドリブの力って凄い。

あ、アドリブって言うと役者だけの力って思われがちだけど、圭くんが発したこの言葉は相手役の遣都くんがいて、詰めた後は自由に演じさせてくれる監督がいて(カットかけないとかで引き出されるものがある)、リハなんかで反応してくれるスタッフがいたりして生まれるものだと思う。
その上でアドリブ凄いって言ってます。

そして問題の別れのシーン。なんとここのセリフはほぼ脚本通りなの。でもここは寒い中大勢のエキストラを抱えたシーンで、その中で長く撮影を止めて詰めに詰めた場面。このセリフが脚本通りな凄さと(徳尾さんと役者監督陣とに齟齬がない)、セリフのない瞬間ほど表情や目で感情を表しているとこ、マジで凄いんだよ。
今更語り尽くされてるけど、まさしく脚本には説明されない感情の起伏をちゃんと役者が表現して、監督やスタッフがそれをちゃんと見せる撮り方をしてるっていうのが、もう鳥肌が立つほどプロってすげぇってなる。
二人が別れてしまうシーンなんで、そっちに意識取られるけど、回数重ねるとそういう意味合いでも感動するようになる。

〈アドリブ6〉
炎の中で言うセリフもほぼほぼ脚本通り。
ただ前に考察した時にも書いたけど、春田が10個の誓いを語り始めるシーン。

参考:「『春田の夢』と『も』の効力」


「俺、牧と本気で家族になりたかったんだよね」
これ、シナリオでは
「俺…牧と本気で、家族になりたいって思った」
なんだよー。
ここを過去形で語った圭くんの意図はわかんないけど、この後を劇的に逆転させる凄い効果があるよね。過去形にすることで煽られる不安。だけどその後のセリフがそれを覆す愛の言葉に変わっていくの、ゾクゾクくるんだよ。
10個の誓いもシナリオでは最初から「ケンカばっかりしても」っていきなり「も」がついてる。
でも実際は「牧が料理作ってくれなくなって、メールも返事が遅くて、パンツも一緒に洗ってくれなくって、ハゲちゃって、デブになっても…」
詳しくはこの前の考察読んでもらったら早いけど、「も」が出てくるまで牧は不安だった訳。ダメ出しされてんのかなって。
このセリフ感覚は多分圭くんが20年の役者人生で得たもので、まぁ天性のものかも知れないけど、とにかくこの変更点は私的には見事としか思えない。
ストーリーって山場が必要で、でも平坦な場面でも小さな山場がいっぱいあるのが飽きさせない秘訣だと思うけど、まさに圭くんのセリフ回しはそれだなって思う。
遣都くんが演じてる牧に圭くんが引っ張られてあの春田が出来上がったみたいな意見をよく見るけど、あれは逆も然りなんだよね。遣都くん自身が言ってたでしょ。「圭くんの春田に会えば自然と牧に戻れる」って。あれはそのままの意味だと思う。圭くんが引き出す牧が遣都くんの中にあるんだよね。お互いがお互いを牧にし、春田にした。もちろん部長や政宗やマロやちず、他全てのキャラクターの中にあって成立してるのは言わずもがなです。

「牧じゃなきゃ嫌だ」
「春田さんじゃなきゃ嫌だ」
このシーンはシナリオでは
「お前じゃなきゃダメだ」
「春田さんじゃなきゃ嫌だ」
なんだよね。
シナリオの春田のセリフ、いいと思うんだよ。「お前じゃなきゃダメだ」って、意味合いは実際のセリフと大きく違わないけど、春田はね、牧じゃないとダメなんだってのグッとくる。春田はダメになるんだよ他の人じゃ(試してみてもきっとダメなんだ)。ポンコツな春田の影を残してる。
そしてそれに応える牧のセリフが「春田さんじゃなきゃ嫌だ」ってのがね、お前って名前でちゃんと言ってよ、オレは春田さんじゃなきゃダメなんじゃない、他の人じゃ嫌なんだ(他を一切排除した自分の選択意思)って、春田の気持ちより重い。
なんで変更したのかは、圭くんが春田の気持ちを牧と同じ重さにしたかったからだろうなって思う。どっちにしても萌えたけど、圭くんが選択したセリフが圭くんが考える春田なんだってことだろう。尊い。

〈アドリブ7〉
牧の旅立ちの時。シナリオ読んだだけでは、やっぱりあの切なさや絆の強さは感じられないよね。ほぼ脚本通りのセリフの中で消された唯一のセリフ。
春田の「よくできました」
この後にキスってなってるけど、あの切迫感の中ではそぐわなかったね。でもきんぴら橋で遣都くんが入れてくれたもんね。テンションはかなり上げてたけど。

結局、二人のシーン(アドリブ)全部あげてたわ。

言いたいのは脚本が映像になる時、第一には役者の脚本の読み込み具合でいかようにも変わっていくってこと。そしてスタッフや監督とで作り上げていく過程で生まれるアドリブ。アドリブはアドリブ(自由な即興)じゃなく、生み出されるべくして生み出されたものだと思う。
ドラマ4話でも「牧、俺も食べたい」「あげないよ」の名シーンはアドリブだった。でもそれが生まれたのは監督がカットをかけなかったから。監督がカットをかけなければ春田と牧とちずのまま演じ続けなければならない。監督も三人の演技を見ててこの先に何か生まれると信じてカットをかけなかった。っていう信頼関係とお互いの信用なんだよね。
鋼太郎さんが「ただ春田を愛してたらいい」って何度も言ってたけど、あんな蜷川幸雄の後を任され舞台監督もしてるような凄い役者が圭くんに委ねるような発言をさせるのだって、座長の圭くんを信用してるし認めてるからなんだよね。
圭くんが何度も言ってた、おっさんずラブの現場のやり方を他の現場でも実現させていきたいっての、やっぱりよっぽどの事なんだよ。やり易いってレベルじゃなくて共演の役者からも監督からもスタッフからも引き出されるものがあって、作品を作る上で最高の環境で演じられたこと、だからこそ最高の作品が生み出されたことの感動があったんだよね。役者なら一度はそういう作品に出会いたいものだもの。
ちゃんと伝わってます。って言いたいね。

色々感想はあるだろうけど、私は劇場版好きだよ。こんなに春田と牧だけを書き連ねてて言うのも何だけど、春田と牧だけじゃなくて、マロと蝶子や政宗、ちずや鉄平、ジャスや狸穴、牧の両親、たくさんのキャラクターの感情を練り込んでるんだよ。だから焦点がブレたように思うかもしれないけど、私なんかは政宗が好きだし、彼の幸せの一遍でも観れたから満足だし、新キャラの二人の背景や心情も春田と牧の物語に重要な絡みになる訳で、よく考えられたいい作品だと思ってる。

ちゅうことで来週応援上映行っちゃうぞ!

おっさんずラブへの愛を語るnoteです ドラマをリアタイし激ハマりし、今なお漂っています