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妊婦になってはじめて福祉を知って

中学生のとき、とても仲良しで大好きな憧れの友人Nがいた。いつでもどこでも自分の感情に正直で、それを自然と表現できる彼女は魅力的だった。
楽しんでるときの笑顔は少しも飾らず純粋に明るくて、唇を尖らせて怒る顔は嫌味がなくて、悲しいときや感動したときには、きっと抑えられないんだろうな、恥ずかしがることもなく大粒の涙を流す……。感情表現が苦手なわたしにとって、彼女の見せるいろんな表情はどれもきらきらしていて素敵だった。

「Nは家でよく言ってるのよ、ぴょん吉ちゃんは頭もよくて、努力家で、尊敬する憧れの友だちだ、って」

Nのお母さんがうちの母に伝えたようで、彼女がわたしに対してそんなふうに思っていたことを、そのときはじめて知った。

「尊敬するのは、憧れるのは、Nのほうだよ……」と、母にぼそっとつぶやいたのを覚えている。

中学という狭すぎる世界の中では、わたしはたしかに成績がよくて、ちゃんと勉強もするほうだった。決して、勉強が嫌いじゃなかった。
でも、Nを見ていたわたしはなんとなく感じていた。わたしが勉強できるのは、ある意味あたりまえなんだ、と。

わたしには2歳差の妹がいるが、わたしにも妹にも一人部屋があって、勉強するための空間がちゃんと存在した。母は専業主婦で、いつも3食用意してくれて、わたしは家事なんてほとんどしたことなかった。父は名の知れた大手企業に勤めるサラリーマンで収入が安定してたから、わたしは小さい頃から「こどもチャレンジ」をやっていたし、受験の年になったら塾にも通うことができた。理系の父はときどき、わたしが苦手な数学を教えてくれたりもした。
つまり、わたしには学生の本分である「勉強」に集中できる環境が用意されていた。わたしの努力なんて関係なく、最初からすべてが整っていたのだ。

一方のNは、もともと1歳差の妹がいたのだが、中学生のあるとき新しく弟が誕生した。あまり詳しく覚えていないが、Nのお父さんは途中から一緒には暮らしていなかったような気がする。離婚だったのか、何か理由があって別居していたのか、なんだったか覚えていないのだけど。
Nは、家ではよく弟の面倒をみていた。お母さんが一人で全部できるわけないから、弟の世話もしていたし、きっと家事もいろいろとサポートしていたんだと思う。期末テストの前だろうがなんだろうが、昼夜問わず泣く新生児が家にいる。受験の頃には歩けるようになっていた気がするが、それはそれで手がかかる。詳しくは知らないけど、わたしの家と比べたら経済的な余裕がないことも明らかだった。

何もかもが、わたしの生活とは違った。

それでも彼女は、家族と仲が良かったし、生まれてきた弟を本当に可愛がっていた。ときには、面倒をみるのが大変だと愚痴っていたけど、すごく大切に思っているのが伝わってきた。そんなNのやさしさを「すごいな」と思った。当時、自分優先の生活をしていて、それが当たり前だと思っていたわたしには、想像のつかない領域だった。

Nのやさしさは、自分の家族に対してだけじゃなかった。Nが唯一やっていた習い事が「手話」だ。手話で歌を覚えてみんなで発表する場があったり、実際に手話者の人たちとの交流会があったりしたようだ。Nはそれをずっと続けていた。
大人になってからは介護の仕事についた。仕事の話を聞くと、かなり過酷な現場に思えた。他の友だちも、「Nはすごいわ、わたしにはできる気がしない」と話すなか、Nは笑って言うのだ。「ほんとだよね。でもわたし他の人より平気なほうなんだと思う。だから続けられてるんだろうね〜」と。

そう、Nは昔から今でもずっと、赤ちゃんや高齢者、障がいをもつ人など、社会的に弱い立場の人たちに寄り添う人なのだ。(社会的に弱い、というのは物議を醸す表現だとは思うけれど、このあとの話をするためにもこのように表現しておくよ。)
わたしが育つなかで勉強できる環境が当たり前にあったように、彼女の生活にはそういう人たちの存在が当たり前にあったんだろう。

わたしの人生には、そういう人たちとの出会いがなかった。もちろん街なかで困っている人を助けたり、学校の課外活動で老人ホームに行ったり、そういうことはあったけど、どれもが特別事項で、わたしの日常生活に彼らの存在はなかった。
ボランティア活動も昔から苦手意識があって、全然興味を持てなかった。そんな自分を、なんだか冷たい人間だなあ……と、少し悲しく思ったりもしたけど、やっぱりわたしの生きる世界じゃない感じがしていた。

自分はどちらかといえば、資本主義構造を必死に生きてきたタイプで、自己実現が好きだった。
受験戦争に勝って希望の高校や大学に進学して、就職活動をして民間企業に就職して、留学したり英語の勉強をしたり、学校で習わなかったいろいろなことを本で読んで知ったり、それが純粋に楽しい・面白いと感じていた。自分を成長させることに夢中だった。
だから、他者に寄り添うとか、手を取り合うといったことには興味関心がなくて、どこか別世界のことのように思えていたのだ。

そんなわたしは4月、妊娠したことが発覚。無事に赤ちゃんの心拍が確認できて産科の先生に「母子手帳もらってこようよ〜」と言われて(先生のこの脱力した言い方が好き)、へぇ、母子手帳って病院じゃなくて市から受け取るのか……という程度には何も知らないまま、市の保健センター的なところに行ってきた。

窓口に行くとスタッフの方が席に案内してくれて、そこから30分くらいの面談が始まった。(手帳受け取るだけじゃない……!? という程度には無知。)
アンケート用紙のようなものを渡され、氏名や職業、はじめての妊娠か、病気はあるかなど、病院の問診票のような内容を記入。その後、こんな質問がやってきた。

妊娠がわかったときどのように感じましたか?

わたしはなんの迷いもなく「嬉しかった」に丸をしたが、他には「戸惑っている」「不安が大きい」などの選択肢があって、それらを見てはじめて、「あぁそうか、みんながみんな望んだ妊娠とは限らないのか」という当たり前すぎることに気づいた。

アンケート用紙記入後は、わたしの回答を見ながら、スタッフさんから色々な質問や確認があった。

「産後に手伝ってくれる人は……旦那さんとお母さまですね。旦那さんはお仕事は何時頃に帰ってきますか?……あぁそれはかなり遅いですね。となると、実際にはお母さまに協力してもらう感じですかね……ですよね、ちなみにお母さまはどちらに住んでますか?……それなら比較的近くなので安心ですね。とはいえ産後すぐは、場合によっては泊まり込みで手伝ってもらうなども考えておいたほうがいいと思いますよ。会話のできる大人がいるだけでだいぶ違いますから。ちなみに……」

といった感じで、まとめると、産後うつを予防しようという姿勢がすごかった。このときわたしは「そもそもシングルマザーとして育ててく人もいるんだよな」「実家が遠すぎて里帰りしない限り、手伝ってくれる人が誰もいないこともあるのか」と、またしても当たり前すぎることに気づかされた。
そして、いかに自分が恵まれた境遇なのかということ、また、そんなわたしにも産後うつ予防のために丁寧に面談してくれることに、あぁ、ありがたや……と頭が下がった。 

ただ、それと同時に、あれ、わたし今までずっとどんなときも自分でがんばってきたんだけどな、努力して乗り越えてきたんだけどな、なんでこんなに心配されてるんだろう? わたしってひとりじゃ何もできないと思われてるのかな? と、相手のやさしさを100%素直に喜べないような変な気持ちに支配され、なんだか戸惑ってしまった。

家に着き、手帳と一緒にもらったマタニティマークのキーホルダーを見つめ、バッグに付けるか否かを迷ったとき、さっきの変な気持ちが腹にすとんと落ちた。「あぁ、そうか。わたし本当に妊婦なんだ……」とはじめて実感した。
マタニティマークが嬉しいからじゃない。妊婦だとわかってわざと突き飛ばしたり、嫌味を言ったりする人がいるニュースを思い出したのだ。

そんなことしてくるやつがおかしい、と頭でわかっていても、実際そんな場面に遭遇したら――。わたしひとりなら文句の一つでも言ってやってからダッシュして逃げられるかもしれないが、お腹の中に赤ちゃんがいる以上、わたしには何もできない。ただただ無力だ。

これまでの人生で努力してきたこと、勉強してきたこと、仕事で培ってきたスキルや、自分が得意としてきたこと。色々がんばってきたつもりだけれど、妊婦になってはじめて、それらが何も意味をなさない状況に置かれた。

赤ちゃんがこのままちゃんと育ってくれるのか――。妊娠初期の流産は染色体異常がほとんどで、母体のせいではないというから、この不安は努力ではどうにもならない。
つわりもまた同様。自分ががんばって治るようなものじゃない。前も後ろもわからず突然しんどい日々がはじまり、終わりの見えない絶望感を前にして、これまでの経験なんて何も役に立たない。

それなりにいい大学を出てたって、英語ができたって、外を歩けば、転ばないだろうか、妊婦だとわかって嫌なことをされないだろうか、とビクビクしている――

そんな自分は、ただの妊婦でしかない。

わたしはわたしだと思って生きてきたのに……あれ、わたしって何? と、自分の個としての価値がわからなくなりそうでこわかった。

「市のサービスもあるから、大変なときは無理せず利用してくださいね」

自分が行政のサービスを受けるかも、だなんて想像したこともなかった。でも、実際に自分がこういう立場になってはじめて知った。人は誰だって、あるとき急に社会的に弱い存在になることがあるのだと。
そのとき福祉は、学歴やら職歴やら関係なく、平等に手を差し伸べてくれるんだと。努力もこれまでの経験も何も役に立たない状況下で、何もかもがはじめてで、無力で不安でこわくて――そんなときに寄り添ってくれるのが福祉なんだと。

社会福祉が必要だということは、まぁそりゃそうだろうとは思っていたけれど、そのありがたみや価値に直に触れたのははじめてだった。

そこでふと思い出したのが、中学からの友人Nだった。Nの素直で、泣いたり笑ったり怒ったり、ころころ変わる表情を思い出して、胸がギュッとなった。
Nが大切にしていたこと――赤ちゃんのことや手話のこと、高齢者の介護のこと。それらはすべて、彼らが努力したかどうかなど関係なく、ただ純粋に「守られるべき存在」を守ることだったんだ、と。 

日本は、子育てに関する福祉制度の充実が、諸外国に比べて遅れている、というのはよく聞く話だが、本当にそうなんだろうか?  実際に保健センターに行って話を聞いて、子育てに関してこんなにもさまざまな市のサービスがあるんだ、っていうことを知った。もちろん市や区によって内容に違いはあるだろうが、制度としてはきちんと存在している。

本当に遅れているのは、妊婦や子育てに対するわたしたち自身の考え方じゃないだろうか。
「この制度、存在はするけど本当に使っていいのだろうか」
「あの人はそんなものに頼らずやっているのに」
「わたしだってがんばってるんだから、あなたも甘えずにこれくらいやりなさいよ」
もともとレディーファースト文化の国と比べたら、日本が文化的に、社会的に弱い人たちに優しくなりきれないのはわかるが、それはいったいいつの時代の話をしてるのか、というのが正直な気持ち。

もちろん、社会福祉ばかり重視して、みんながみんな平等な社会を、なんてうたいたいわけじゃないし、社会主義がいいなんて思想はみじんもない。
これを機に自分がボランティアを始めるとも思えないし、やっぱりわたしは自分磨きを重視して生きていくんだろう。
ただ、役職のある人が偉い、多く稼いでる人が偉い、となりがちな、資本主義社会の競争競争の日々でも、無条件の優しさを持ちあわせたジェントルウーマンでいたいな、と思う。そして、みんながいろんな立場の人たちへの想像力や思いやりを持って過ごせる世の中であってくれたらいい。
それに、誰もがある日急に福祉に助けてもらう立場になり得る世界で、そのやさしさはいつか自分を救うことになるかもしれないしね。

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