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コロナ禍を経て見えてきた新たなバイブルスタディの形

 前回の記事「のほほんとしたオッさんクリスチャンが神学校入学に導かれたきっかけ」で、私がどのように召命を受け、どんな経験をして来たのかを書いた。

 約3年にわたるコロナ禍で、それまで私が伝道の柱として進めてきていたゴスペルミュージックを用いたミニストリーは、中断を余儀なくされた。
 一方でその代替案として浮上したのがzoomやteamsといったWEBミーティング用のツールである。
 当時私は勤務先企業で採用や教育に携わっており、対面での面接、研修が出来なくなってしまったかわりに、このWEBミーティングのシステムを利用することで何とかリカバリーしたのであった。
 これは多くのビジネスマンが直面したことだろう。キリスト教会もしかりである。
 世界中の多くの教会が教会に集まらないという苦渋の決断をした代わりに、オンライン礼拝を導入。自教会だけでなく、普段は聞くことのできなかった他教会・他教派・他国の牧師のメッセージをはじめ、賛美や祈りを含めた礼拝そのものに与ることが出来るようになっていった。
 私の教会では逆に「集まること」に拘り(へブル10:25)、感染対策を厳重に行いながら主日礼拝だけは1回も休むことなく続けて今に至るのであるが、ゴスペルクワイアのような飛沫飛びまくりのような集会はもちろん、礼拝以外の諸集会はすべて休止となったのである。

 ともあれ、そんな閉塞感満載なコロナ禍であったが、教会のメンバーで聖書をじっくり学びたいという人がいたので、それなら仕事で使っているzoomでやってみようかなと思い立った。同じように聖書を学びたいニーズを持つ人があと2名いたので、最初は私と3名の人たちとで月1回のペースでテーマを決め、オンラインバイブルスタディをスタートさせた。

 そのことを他教会で信徒リーダーとなっている中央福音教会(私の教会)出身の2人にそれぞれ別の機会に雑談で話すと、自分たちもぜひやりたい!と言う。
 彼らは結婚などの事情により他の地区の教会に移ったのだが、環境が変わって、「聖書を深くがっつり学ぶ機会がなくなってしまった」という共通した渇きを覚えていたのだった。ましてやゴスペルクワイアディレクターをしていたり、前に立ち発信する役割が多かったりという彼らからすると、アウトプットばかりでインプットする機会が少なすぎるというのだ。だから神学校に行きたい思いもあるのだけど、神学校ならどこでもいいわけではないし、育児中であったり仕事の事情だったりでモヤモヤしているところだった、と言うのだ。
 ふたりが申し合わせたように同じような悩みを吐露するので、「それなら」と思い立ち、前述の3対1のバイブルスタディとは別に、このふたりと私の2対1でミニストリーリーダー向けの神学バイブルスタディをオンラインで開始することになった。

 こうして2クラスのオンラインバイブルスタディが走り始めたのである。

 どちらのオンラインバイブルスタディも私がこれまで神学校で学んだことをベースに項目によってテキストを定め、シラバスを作成しパワーポイントを表示しながら講義・質疑応答する形で行い、基本は1時間。神学バイブルスタディは2時間で進めていった。特に後者のクラスはそれぞれのために祈り合って締める。
 いずれにしても、聖書にじっくりと向き合うことは神の御心にふれることなので、皆の心が整えられていくのがよくわかりシェアする側も受け取る側も上からの恵みに満たされるのだ。

 私は中央福音教会に植えられ、大学生の時に初めて日曜学校教師としての奉仕を開始し、今も成人科の担当教師として継続している。その間、組織神学の第一人者であった佐布正義師の説教を約50年聞き続け、神学・ギリシャ語の講義を10年ほど受講した。

佐布正義師

 また、前のnoteに記したように、中央聖書神学校通信科で4年学ぶこととなった。通信科はほとんどの授業がオンラインである。
 それらの経験が全て、コロナ禍において用いられることとなるとは全く想像していなかったことだ。

 このように、ともすればすべてがマイナスのように思えてしまうコロナ禍であるが、それをも益と変えて下さる神の深い恵みのご計画に驚きと感謝を禁じ得ない。

 実は、このオンラインバイブルスタディはさらに広がっていくこととなる。それについてはまた次回。

#聖書 #バイブルスタディ #キリスト教 #コロナ禍  #オンライン キリスト教



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