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母の死と永遠の命の希望

第一報から

 10月30日。週初めの月曜日だったから、同居の孫たちを学校に送り出し、私は自分の職場へ通勤電車で向かっていた。乗換で地下鉄池袋のホームに降り立った瞬間携帯電話が鳴った。父からだった。月曜日の朝に電話があるなんて普通ではない。

「ママが死んだみたいだ。」

その声は意外と冷静であった。

「施設から電話で、朝様子を見に行ったら息をしていなかったらしい。」

 その連絡を受けた私も冷静だった。なぜなら母は認知症を患い、大腿骨骨折もあって特養ホームに入所しており、2022年の年明けに危篤状態に陥っていた。その時はもうこれはダメだと覚悟し、家族全員が病院に駆けつけ、荒い呼吸の母の枕もとで祈りを捧げ、お別れの言葉までかけたのだった。しかし奇跡的に持ち直し、胃ろうの手術をして、寝たきりではあったものの最小限のコミュニケーションが出来るまでに回復したのだった。

 そんな2年間だったので、家族の中では母はいつ亡くなっても不思議ではなく、一日中ベッドに横たわり、自らの意思で何もできない状態で長く生き続けるのは忍びないというのが私の本心であった。更には生前母は延命措置を一切拒否していたし、たまに面会に行くと
「来てくれて有難う」
「忙しいから来なくてもいいのに」
「有難う」
「嬉しいよ」

この4つの言葉をループのように繰り返し、これしか言わないのだ。
 私はただ
「顔見たいから来たんだよ」
と答えて、
「イエス様がどんな時にでも一緒におられるから大丈夫だからね。」
と最後に祈って施設を後にするのだった。

段々と認知症の症状が出始めた頃


 特養ホームまで車で10分ほどの実家に住む父と妹は、週に1回は面会に行っていたようだが、私は、弱りやせ細っていきながらも健気に感謝の言葉を伝えてくれる母に会うのが切なくて、3か月に1度程度しか行けなかったものだ。

 しかし最も強い気持ちとしてあったのは、「信仰のルーツ②」

で書いた通り、母は明確にイエス・キリストを信じることを表明していたので、苦しまずに「死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(ヨハネの黙示録21:4)聖なる神の都へ凱旋してほしいという気持ちであった。

 私をイエス・キリストのもとに連れて行ってくれた母に、福音を伝えることが最大の親孝行だと信じていたので、その最大のミッションを果たせた安堵感もあった。

 その後、母の遺体を教会に運んでもらい、翌日の納棺式を前に、布団に寝かせた母を置いて帰宅する時だけ、今までの母との思い出や愛情が思い起こされ感極まるものがあった。娘が妻と私の手を取り、優しく「祈ろう」と言ってくれたことは、私にとっては深い癒しの時となり、今も暖かいものが胸の内にとどまっている。

葬儀

 キリストを信じる者にとって死は永遠の命の入口である。
 アメリカの黒人教会では葬儀をHome going celebration と呼んで祝福の礼拝としている。
 しかしキリストを信じない者、福音を知らない者にとっては永遠の別離であり悲嘆の時でしかない。

 母は教会での葬儀と私が喪主となることを望み、一任してくれていたし、父もそう願っていた。それゆえに母の葬儀は、永遠の命の希望を証しする伝道礼拝としたい。なぜならば、父と妹、長男夫婦は信仰を持っていないからだ。そして小学生の4人の孫たちがいる。だから天での喜び楽しみを歌う賛美、復活の賛美、再会の賛美を選曲させて頂いた。説教は、母が救われた時に私が取り次いだヨハネ3:16から司式をお願いした本田勝宏先生がして下さることになった。

 父は母と一緒に私の伝道説教を聞き、隣で母が信仰告白をしたことの証人であるし、私の信仰を肯定的にとらえてくれている。何より母と一緒に私を教会に連れて行ってくれた恩人である。
 妹は私と同様な理由で小学校から高校までミッションスクールに通っていたし、最初に両親に連れられて中央福音教会に行った時に一緒であった。
 長男は生まれる前から小学生までは私たち両親に連れられて教会に来ていた。嫁は一応キリスト教主義の大学出身である。種は蒔かれている。

 だからこそ母の死を通し、愛する家族に伝えたい。死は終わりではなく、復活までの眠りの時であり、キリストが再び来られた時に甦らされてキリストと同じ栄光の体で永遠に神と共に神の都に住まうということを。そしてキリストを信じる者はそこで再会できることを。
 その事を深く願い、祈りながら葬儀礼拝をささげた。


 読者の中にも家族に福音を伝えたくてもなかなか難しいと悩んでおられるクリスチャンの方も多いと思う。家族だけでなく、あなたの大切な人に朽ちない希望の福音を伝えたいと切望しておられる方も多いと思う。
 母の葬儀礼拝のすべてを記録したので、用いて頂けるようであれば幸いである。
 喪主挨拶で私の思いを話させて頂いた。
 明るい希望に満ちた礼拝となっている。

(動画は45分20秒で喪主挨拶が終わり、あとは参加者の歓談が続きます。)

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