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心理学の観点から見た〜川村元気の「神曲」〜



神の正体を、知っていますか?

川村元気 「神曲」


 神曲を手にとって見て、本の帯にある「神の正体を、知っていますか?」という言葉に惹かれた。まず簡単に「神曲」についてのあらすじをお話しよう。この物語は小鳥屋を営む檀野家の小学生の息子が通り魔に殺されるという事件から始まる。息子が通り魔事件で刺殺され、犯人は自殺。地獄に突き落とされた父、母、姉の三人が、悲しみと怒りを抱えながらも足搔いていく物語である。

 檀野家の父である三知男は息子の死を紛らわすために仕事に没頭するものの、母の響子は「どうしてあなたは辛いことから逃げようとするの?」と三知男を責める。その後、母の響子は永遠の声という宗教団体に参加することとなった。永遠の声から脱退させるために三知男はあれこれ手を出すものの、上手くいかず母の響子の意志を尊重するかのように三知男も永遠の声に所属することとなる。

 檀野家の姉の花音は母のことを信じたいという気持ちと母の所属している神のことは信じられないという気持ちの葛藤から母を救うために必死にもがいたことで家族の絆が戻っていくという物語である。

喪の作業

 ここからは神曲の登場する主人公たちの心の動きを心理学の観点からお話をしようと思う。主人公たちが直面する心理的な動きとしては突然息子を失ったという「喪失感」である。精神分析学者ジョン・ボウルビィは大切な人が失った場合に直面する心理的な心の動きをまとめたものがある。それが「喪の作業(grief work)」だ。喪の作業は4段階で起こる。

 1段階目は無感覚・情緒危機の段階である。主に「疑惑」の状態である。大切な人を失ったという激しい衝撃で茫然とし、死を受け入れることができず「そんなはずがないでしょ!」と信じられない段階である。
 
 第2段階は思慕と探求・怒りと否認の段階である。大切な人の死は受け入れられるものの、他方では大切な人との死を認めることができずに怒りや愛着が続いている段階である。「なんで自分の子は死ななければなかったのか」という怒りが檀野家の父である三知男に向いていたり、永遠様の前で歌うことでもう一度息子に会えるということを信じていた響子がまさにこの段階にいるのではないだろうか。

 第3段階は 断念・絶望の段階の段階である。この段階は大切の人の死は受け入れられ、愛着は手放されるが、どういう風に生活をしていけばいいかという心の在り方・生活が意味を失い、絶望、失意、抑うつ状態が大きくなる段階である。この段階は神曲の登場人物である最上が花音や響子を永遠の声の信者としてふさわしくないという理由から襲撃しようとしたときに、響子には永遠の声を信じられないという絶望や失意が起こったと思う。だからこそ、永遠の声を信じることで息子の死を受け入れられずにいたという状態が一気に崩れ、息子の死という現実が受け入れられ、愛着は断念されるだと思う。

 第4段階は 離脱・再建の段階である。この段階は大切な人との死を肯定的に受け入れられるようになり、新しい生活での人間関係の再建がなされる段階のことである。最上の襲撃後、息子の納骨ができたことで、新しい生活ができるようになったことで、喪失感を乗り越えることができたのだと思う。

過去ではなくいまへ

 大切な人の死を乗り越えるというのは、本当に難しいことだと思う。私もこの登場人物であったとしても、同じように永遠の声を信じたり、永遠の声に入団した妻と一緒にいたいと思ったり、母のことを信じたいけれども、母が信じている神を信じられないという気持ちが起こったと思う。そんなときはいまの心の動きはこういう心の動きが起こるんだという理解をすることが大切だと思う。私たちはつらいことがあると逃げたくなる。逃げる一番の手段は見えないものを信じること。見えないものを信じることで現実逃避ができる。現実と向き合わなくて済むと苦しまずに済む。だけれども、悲しいときは悲しいし、つらいときはつらいもの。その苦しみを無理に抑えないようにして、つらいときはつらいと叫ぶことが大切だとこの本を読んで感じた。過去に執着しても何も変わらない。でも、執着しようとしたい気持ちをぎゅっと抱きしめてあげること。ひとつひとついまへ意識を向けることが大切なのだから。

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