見出し画像

自分をゆるす

自信満々に電車を降りて、改札を通り出口を探して気づく、あれ、ここいつもの駅じゃないや。気を落とすこともなく、いそいそとホームにもどる。乗り換えた車内で本を読んでいて、今度は駅を通り過ぎてしまい、またいそいそと乗り換えてもとのところへもどる。

これは日常茶飯事で、駅であれバスであれこんなことばかりなので、自分のうっかりにいちいち苛立つ年頃を過ぎてからは、そういう自分を知らぬ間にゆるし、共存できるようになった。

とはいえ、この間うっかりしたせいで仕事の大事なものが入った大きなカバンをどこかでなくしてしまった時は、さすがのわたしも狼狽えた。
しかもすぐに気づかず、おそらく忘れてきた日から2週間もたってから手元にないことに気づいたのだから、目も当てられない。

クライアントに返さなくてはいけないものが入っていたので、心中ざわざわぐるぐるおえっとまでなりそうな勢いで、ああどうしよう、たのむから見つかってくれと、駅と警察に京都でも大阪でも駆け込んだのに見つからない。

はやく上司に言わなくてはいけないし、言ってしまったほうが楽になることは分かっているのに、なかなか言い出せず、昼になったら…夕方になったら…と引きのばしては、「ごまかしはきかないと思って生きる方が良いのだ、そんなことはわかっているのだ」と、どうにか正気を保っているふりをする。

今日言えなかったからには、朝までは忘れて楽しもうと夜は音楽や本に集中するも、頭の片隅にずっと嫌な塊がある。というような日々を1週間ほど過ぎてから、これはもうだめだと観念して、意を決して上司に伝えた。
頼りがいのある上司は、一緒に平謝りしてあげるけど、それまでにできることは全てやろう、保存期間が過ぎていてもバスとタクシーに一応連絡しよう。と言ってくれ、かけたバス会社で、警察に届けていますよとカバンはすぐに見つかったのだった。(警察よ、なぜ見つけていたのなら教えてくれない)

もう情けなくて笑ってしまうけど、いや実際には笑えず、ただひたすらにほっとした。
生きていると、些細なできごとに振り回されていちいち自分にがっかりする。

そのたびに、

「私は私の失敗をもう完全に許してやらなくてはならない」

という宮本輝の本に出てきた言葉を思い出して、ああそうだわたしもわたしを許さなくては、直さなくても良いような些細なことにいちいち落ち込んでいてはいけない。と思う。でも、また1週間後くらいには別のことで落ち込んでいたりするのだろうな。

なんてことを戒めのため書き起こし、反省したらもう繰り返さない!と決意した数週間後に、出張先でスマホをなくすのだった。はて、もう自分をあきらめようかしら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?