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私と着物。 ー着物はじめから今までの道のりー

着物を最初に着たのは5歳くらいかなぁ。
実家に晴れ着の写真が残っていた。
ショートカットの私。

小学校2年生で一燈園小学校に転入してから、
4年生になれば日本舞踊の授業があることを知って、
年に一度の発表会では着物で髪飾りもつけてもらうから、
アップにできるといいなぁと
そこから髪を伸ばし始めて、
今27になるまで肩より短くしたことはない。
なんでかもうその時点で日本舞踊が始まるのが楽しみだった。

上級生から浴衣の着方、
半幅帯の文庫の結び方を教えてもらったのを記憶している。
休み時間に急いで浴衣に着替えて授業に向かう。
発表会にむけて年に数曲稽古をつけていただいていた。
4年生から6年生で菊づくし、花ばたけ、手習子、京の四季
中学1年から3年で鶴亀、藤娘、汐汲などなど
髪飾りや小道具はみんな手作りだった。
今思えば本当にありがたいことだ。

中学に上がってからは先生のご自宅にも伺うようになって、
その辺りから外出着としての着物を着るになようになったのだと思う。
その頃は発表会で着る着物や、ちょっとした着物は
母がヤフオクを駆使して手に入れたものだったり、
おさがり、そして頂き物だったと記憶している。

一燈園の学校が創立75周年の記念式典で、
花の三番叟を舞わせていただいた。
その時のために母が探してくれた着物は
青いおしどりの裾模様の色留袖(お袖は留めてなくて中振袖)
大学の入学式(下の写真)、卒業式、大学院の修了式と
私の中で一番大事な時に着る着物になっている。

1.2012.入学式

高校一年生くらいで、
これは続けるにはお金のかかる世界だなということがはっきりしてきて、
純粋に踊りの稽古を楽しむだけではなくなってしまったことをきっかけに
花柳流の踊りの稽古を辞めることを決めた。

でもやっぱり日本舞踊が好きな気持ちはあって、
母がカルチャーセンターで京舞のクラスがあることを見つけてくれて、
見学に連れて行ってくれた。
そのときの衝撃はいまだに忘れられない。

これまでは先生の後ろ姿を見ながらテープの音と一緒に踊っていたのだが、
京舞の先生は前に座ってらして、
口三味線で曲を進めながら
舞の上半身の振りを鏡のように見せつつ、
どっちの足をどうするのかを指示していらした。
もちろん「おいどが出てるぇ」なんて注意もされながら。

この何に衝撃を受けたかって、
15-20分くらいの稽古の中で、
常に全身を見られているという緊張感、
情報量の多さ、
鏡で反転して全てを覚えてらっしゃること、
もちろん誰がどの曲をどこまで進んでるなんてことも。

今で稽古を続けておそらく10年ほどになるが、
月3回のその集中した時間は何ものにも代えがたい。
そしてまた稽古に行く楽しみのひとつに、先生との会話がある。
もちろんじっくりお話できるなんてことは限られているのだけど、
いつ行っても、
混んでいたって、
常にその場にいる誰一人決して嫌な気持ちにならないように、
気持ちよく稽古して帰れるように、
さりげなく、
というよりもはやその気遣いが染み付いていらっしゃるのが素晴らしいのだけど、
ほどよくみんなに近況を聞いたり、
話を振ったりなさるのが、
いかにすごいかということをひしひしと感じる。

仕事を始めて2ヶ月ほど、本当にしんどくって、
復習もせずとりあえず身体だけを稽古場に運んでいた時期があった。
その時に「どうぇ」と聞いてくださるありがたさ。
きっと復習してないなんてことはお見通しなんだけど、
ただただ真剣に稽古してくださることがありがたかった。

高校2年の時に京都に越してきて、
実家の近くに、正尚堂という古道具と古着のお店があった。
母と一緒に時折着物を見に訪れるようになり、
お年玉で買ったりなんかしていた。
大学生になってからは少し自由にできるものが増えて、
一人でもお店に行くようになって、
手の届くものがあること、
そして自由に羽織って見れることが楽しくって、
よく通った。
休職中には臨時で働かせてもらったりして、
私の着物ライフの基盤になったお店。
特有のお香の香りがクセになる。

そんなこんなで他の古着屋、そして小物屋さんまで足を運ぶようになり、
私の着物箪笥はすっかりいっぱい。

お仕舞と謡の先生でもあり、
そしてお茶も習わせていただいている分林家の引っ越しのお手伝いをさせていただいた時、
もう使わないからとこれまで能装束を保管してらした箪笥をいただいたのが
今の私のメインの着物保管場所。

そうそう
お茶のお稽古を始めてからはやっぱり色無地なんかもいるかしら...
とその当時は「色無地って何がいいんかわからんなぁ...」
と思いつつ選んだこともあった。

お仕舞の会に出る時、
最初は先生から袴をお借りしていたのだが、
先生にご紹介いただいて、母とドキドキしながらあつらえてもらいに行った。
その一枚をこれも10年弱になるのかな、
会のたびに愛用しているが、
憧れの大先輩が、「着付師の方より、能楽師の先生方につけてもらった方が舞いやすいよ」と教えてくださって以来、
「つけてください」とドキドキしながら先生方に頼みに行く。
先生方の迷いない手さばきに見惚れつつ、
「何を舞うんや」
「きつくないか」
なんて声をかけてくださるのが
応援してくださっているような心持ちになって、
私の舞台へ出る前の大好きな時間になっている。

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(写真は2019秋に天河神社で奉納稽古をさせていただいた際の舞囃子「熊坂」)

まぁ
なんと言っても会の醍醐味は
まる1日我々弟子のサポートをするために舞台にかかりきりの先生が、
最後にこれでもか!!
と気合の入ったお仕舞を舞われるのを拝見すること。
その熱い思いに、
いいものを見た、また頑張ろうと思うこと。

もう一つ着物ライフを大きく変えたのは、Instagram。

ずっと京都の芸舞妓さんを撮っておられる方で、
魅力的な写真を撮られる方が
数年前にポートレートをあげておられて、
そこにポートレートモデル募集と記載されていた。
とっても素敵に写真についコメントすると、
なんと撮っていただけることになった。

そこから「美しく着る」
ということを意識し始めて、
衣紋の抜き具合、
衿の合わせ具合、
帯の形から
仕草、
髪型
お化粧。
これまでどこかで自分をくくっていたのだろう
「自分という枠」
それを一歩踏み出す勇気をくれた出会いだった。


そんなこんなで着物は増え続けているのだけど、
着る機会も増えたことで、
いろんな人から着物に関する相談を受けるようにもなった。
浴衣着て見たいねんけど...
卒業式の着物って?
着物は、小物はどこで手に入れてるの?
どうやってお手入れしてるの?

私に着物に関することを発信してほしいって需要もあるのかな、
なんて思いながら、
まだどんな形がいいのか手探り中。

ひとまず着物の情報発信のためにInstagramで新しいアカウントを作ってみた。

この記事を書き始めた当初はまだ保育園に勤めていたのが、
コロナもあって6月末で退職し、
そこから夢だった毎日着物生活が続いている。

私の生活に着物は欠かせない。

さて、これからどう生きていくか。

なんだか流れに任せ始めたら、周りの方が私に良さそうなことを提案してくださって自然とそれが「働く」につながっていてありがたい。

いつの間にやら3000字。

私の文章を
「仕事終わりにほっとして飲むウイスキーのようだ」
と評してくださった方がいらした。
さて、この記事のお味はいかがでしたでしょうか。




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