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言語化し続けなければならない

 おそらく1年ほど前、この文章を書き始めました。noteもこうやって書いたのも、1年前の更新が最後でしょうか。多くを考え、多くを放り投げながらも、今日もまた考えています。考えて考えて、いくら考えても辿り着けてない違和感の正体は影すら突き止められないまま考え続けている気がします。

1年前までに書いていたこと

 言語化するということは、自身で感じていること、考えていること、思っていることなどの抽象性の高いものを具体的なものに落とし込むという行為です。

 言語化するという作業は面倒です。自分の中で、なんとなく浮かぶ感覚や心境など、どこからの刺激・感覚に関わらず具体的に共通なものを探しながら構成していかなければなりません。楽しい、面白い、美しいという便利な言葉を使うことで簡単に済ませることもできれば、何がどのようにそう感じることができ、どうあるのかということを、感覚を詳細に共有しようとすればするほど骨の折れる作業となります。頭も使いますし、伝えたい内容によって使う場所も方法も違うかもしれません。思っていることや現在の感情についても、いつも心に浮かんでいるものであっても……

驚きと混沌と

 1年ほど前の私は、点線内のことを言語化しようと必死に考えていたようです。正直、私は今回もう一度noteを、と思った時に浮かんだこの文章の題について「書き続けなければならない」だと思っていました。だからこそ、書くだけでなく「考え続けなければならない」ということも加えなければ、という想いを抱えて下書きを見に来ました。そこで題を見て驚きます。「言語化し続けなければならない」と。noteに戻って来ようと思った今日の自分は、過去の自分に凌駕していたような不思議な気持ちになりました。私のこの1年、どのような1年だったのだろうかと、自分の記録ムービーがあれば観直したい衝動に駆られました。

思考と感情と行動と日常と、すべての複雑化

 「Simple is best」という言葉は、難しいからこそ鎮座しているのだということを、突きつけられている気がしてきています。子どもの社会は大人の社会の縮図、と言われますが、小さな子ども社会を大きくすると、関係性も規模も何もかもが大きくなり、より複雑化してしまうことは致し方ないのかもしれません。そんな社会の中で、複雑なものを考えるのに思考や感情も複雑なものと化してしまうのも必然でしょうか。

複雑の根本

 日々の複雑な社会の中で生きていくために、複雑さを身につけることの根底にあるものというのは、二転三転するものではないような気がします。土台がなければ宙に浮いた絡まりがある状況になるので、その形なのである場合には空中の中心部が、土台としての役割を果たしているのかもしれません。いずれにせよ、自身の価値観として礎となるものであるからこそプラスとして実や葉がつくと考えると、どこかしらに支えはあるはずです。それらの上に積み上げられたものに、埋もれて忘れ去ってしまうこともあることは、留意しておく価値はありそうです。

言語化するからこそシンプルに

 社会も感情も状況も複雑化していくとはいえ、伝えるとき、考えるとき、言葉にするとき、シンプルであるに越したことはないだろうと思います。言語化することによって失われるものがあるのも、きっと確かです。ただし、言語化しないことによって得られないものがあるのも、きっと確かです。

 いくらここで考えても結論は永遠に出ないものですが、言語化するかどうかも含めた軸として、自身を言語化していくことの大切さや必要性を感じます。どうせするなら正確に。しないのであれば忘れないように抱えていける余裕を持ちたいものです。

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