わたしのパズル
最初のピースはカラスがくわえていた。
公園で羽を休めていたカラスは、わたしの視線に気付くと咥えていたピースをぽとりと地面に落とした。
かあとひと声鳴き、空に羽ばたいていく翼は夜闇のように真っ黒だ。見る間に小さくなっていく姿を眺めながら、わたしはコンクリートに転がるピースを拾い上げる。それが寄り集まってパズルになるとわかっていても、手持ちのピースが少なすぎて他とあわせることができなかった。
わたしはピースを手のひらで包み、その冷たさにわけもなく泣きそうになった。けれど涙の流しかたですら忘れたのか、ただぼんやりと手のひらの上のそれを見下ろすしかできなかった。
今の自分にできるのは、パズルを集めること。
わたしはいったい何者なのだろう。
○
わたしの頭の中は常に、「パズルを集めなければ」という思いが渦巻いていた。
自分は何者なのか。名前はなんというのか。どうしてこんなことになってしまったのか。教えてくれる人は誰もおらず、ただひとりあてもなく彷徨っていた。
パズルを集めればわかる。しかし、そのピースはいったいどこにあるのか。どれだけ集めれば良いのか、集めた先にはなにが出来上がるのか。完成図がまったく見えない以上、頼れるのは自分の直感だけだった。
わたしはその第六感を頼りに、公園を出て住宅街を歩いていた。
その道中、見つけたピースはひとつ。今度は猫が持っていた。警戒心の強い野良猫はうかつに近寄ると逃げられかねないが、猫もまたカラスのように、わたしをしげしげと見つめると地面にそっとピースを置いた。
今度のピースも、完成図の手掛かりにはならなかった。大なり小なり形は違えど、色合いが同じでどのエリアかもわからない。先ほどカラスからもらったピースにはつながる箇所もなかった。
どうやら自分は、とても数の多いパズルを作ろうとしているらしい。うんざりした気持ちでピースを握り締め、わたしは手にした欠片がかすかにふるえていることに気づいた。
ふたつのピースはお互いに呼び合っているようだった。磁石のように吸い寄せられはしないものの、触れるとかすかに感じ取れる小さな小さな揺れで共鳴しあっている。
やがてピースは仲間の気配を感じたのか、手のひらの上で行き先を示す。わたしはそれを信じて先にすすんだ。
いくらも歩かないところで、ゴミ収集の看板を見つけた。今日は燃えるゴミの日か、動物除けのネットの下ではちきれんばかりに膨らんだゴミ袋が並んでいる。かしこいカラスはネットの隙間からゴミ袋を引きずり出し、よってたかって中身をつつき道路に散らかしていた。
それぞれの家庭で出たゴミの量は多く、風にとばされたティッシュやビニール袋があちこちに散乱している。うだるような暑さで生ごみが腐ったのか、鼻をつくにおいをこらえながらわたしはゴミの山に近づいた。
わたしの存在に気が付くと、カラスは逃げるでもなくこちらに視線を向けてスペースを空けた。ありがとう、とかけた言葉が伝わったのか、カラスが一羽かあと鳴いた。
手が汚れるのもかまわずゴミを漁り、わたしはビニール袋の中からたくさんのピースを見つけた。先ほどのカラスや猫はここからピースを見つけたのだろう。こんなものを拾ってどうするのかと思うが、それがヒントでたくさん集めることができたのだから、わたしは彼らに感謝しなければならなかった。
集めたピースを手のひらに乗せると、仲間との再会を喜ぶかのように共鳴が強くなる。
わたしがここにくるまでに、ほかのカラスや動物たちがピースを持ち去ってしまったのかもしれない。けれどこれだけの量を見つけたのは大きな成果で、わたしはピースが隠される主な場所を知った気がした。
集めたピースの共鳴を頼りに、わたしはまた次のピースを探す。ピースはまだ形を作れるほど集まっていない。このパズルがやがて何の形になるのか、あいかわらずわからぬままだった。
わたしが次にたどり着いたのは近所のコンビニエンスストアだった。
共鳴が教える先は店内ではなく、外に設置されたゴミ箱だ。カラスと家庭ごみを漁ったときにも思ったが、道行く人々はわたしがゴミを漁っていても気にならないらしい。生ごみにまみれ悪臭をまとうわたしは遠巻きにされる存在なのだろう。
予想通り、ゴミ箱の中からまた新しいピースを発見した。けれど先ほどより量は少なく、あいかわらずどこのものかもわからない。ピースが手の上からこぼれるほどになり、わたしは集めたものをレジ袋に入れて運ぶことにした。
ピースを集め終わると、コンビニを示していたピースがおとなしくなる。しばらく静かにしていたかと思うと、また新たな仲間の気配を感じて道を示す。コンビニの店内に興味はないらしい。
せっかく涼めると思ったのに。わたしはため息をこぼしながらも、ピースが導くままに歩みを進めた。昼間の太陽は遮るものなく照り付け、アスファルトからはいきれがたちのぼっている。早く集めてしまわないと、ピースが氷のように溶けてしまいそうで不安だった。
パズルを完成しなければ、わたしは何もわからぬまま彷徨い続けなければならない。道行く人に声をかけたところで、自称記憶喪失の怪しい人間に進んで関わろうとする者はいないだろう。
ピースが示した先ほどと違う公園だった。歩き通しだったわたしは木陰で身体を休めたが、喉が渇いても飲み物を買うお金もない。公園の水のみ場にひとりの子供がいたが、わたしが近づいても知らんぷりでごくごくと喉を鳴らしていた。
例にならって公園のゴミ箱を探してみたが、そこにピースはなかった。隠すほうも何度も同じ手を使うわけではないらしい。ピースはいぜん公園の中で共鳴しているけれど、たくさんの遊具がひしめくこの場所から小さなピースを探すのは至難の業だった。
足が疲れて、わたしは芝生の上に座り込む。ベンチはサラリーマンが午睡に使っていた。
なぜ自分はこんなことをしているんだろう。
そう思ったところで、答えを知るのはパズルのほかにない。集めない限り自分が何者かもわからない。しかし、いたるところに隠されたピースをひとつひとつ集めるのは骨が折れる。
くじけそうになる気持ちをこらえ、わたしは空を仰いだ。
子供たちの遊ぶにぎやかな声がする。サラリーマンのいびきが聞こえる。風に吹かれた梢がささやくように揺れ、青葉がはらはらとわたしに降りそそぐ。木々の枝に区切られた空はやけに青く見えた。
わたしが暑さに顔をしかめると、ピースも同じ気持ちかじっとりと汗ばんでいた。あまり気温の高いところには置かないほうがいいだろう。わたしはなるべく涼しそうなところにピースを隠す。袋を木の根のくぼみに置いて、ふと、視線を背の低い垣根にやった。
「――あ」
こういうのを、灯台下暗しというのだろうか。ピースは垣根の下に隠されていた。木の根に押し込まれるようになったそれは半ば埋められているように見えた。
数はそんなに多くない。けれど、目についたものを拾うとピースは共鳴をやめた。そしてまた次の場所を示し始める。もう公園に用はないらしい。
袋を抱えて立ち上がり、わたしは軽いめまいを覚えた。倒れるほどではないが、膝をつくとすこし楽になる。熱中症を疑ったが、気分の悪さはすぐにおさまった。
あらためて立ち上がり、わたしは辺りをぐるりと見まわした。変わったところは何もない、平凡ですこしだけ緑の多い公園だ。
わたしはこの場所を知っている。そう思った自分に自分で驚いた。
やっぱり、と小さなつぶやきがこぼれる。しかしその声に気付く人はおらず、風にかき消されて空に散る。梢のざわめきのほうが大きかった。
ピースを集めるごとに、わたしは記憶を取り戻していくらしい。パズルを完成することができれば、わたしは自分が何者なのかわかるのだろう。
○○
ピースの共鳴を頼りに近所の公園をめぐり、わたしは手持ちの数を増やした。
けれどそれも、あらかた探し回るとぴたりと見つからなくなった。ピースの共鳴もやみ、おとなしくわたしの腕に抱かれている。手がかりを失うと急激な焦燥感に襲われた。
早く、パズルを完成させなければ。
わたしは手持ちのピースをあわせてみることにした。下手に歩き回るよりも、ひとところに留まったほうがピースも仲間の気配を探しやすいだろう。人目もはばからずに道路に座り込んだ。
人通りはない。平日の午後だというのに、買い物に出かける主婦の姿ですら見ない。このあたりに住んでいるのは、家に帰って寝るだけの労働者や学生ばかりのようだった。
はじめはまったくわからなかったピースも、ふたつみっつと合わさるものが出てきた。ひとつ、大きなパーツに仕上がったものもあるが、それも単体では意味がない。もう少し手数を増やさないと完成形を推理するのも難しいだろう。
あらためてそれらを袋に戻していると、静かだったピースたちが急にふるえだした。ピースの共鳴が大きいのは近くに仲間がいるから。しかし、あたりには民家の壁しかない。
ピースの揺れが、仲間が近づいてくることを教える。しかし、人の気配はおろか車や自転車が近づいてくることもない。空を見上げても鳥の姿もなかった。
近づき、近づき、そばに来ると手の中のピースが強くふるえた。それでもピースの姿はなかった。
姿の見えないそれは、やがてわたしから遠ざかっていった。
「……一体、どこに?」
共鳴をやめたピースを手に、わたしは呆然と呟く。ややあってから、ふと自分の足元を見つめた。
「地下?」
この熱したアスファルトの、下。そこにあるものを考えると上下水道だろうか。あの流れの速さから考えればそうかもしれないが、コンクリートを突き破ってピースを取り出すなんてとうてい無理に決まっていた。
今のピースはあきらめるしかない。
共鳴をやめたピースがどこか寂しげで、わたしはごめんと呟きながら立ち上がる。どうやらこれ以上ここで待っていても進展はないらしい。
ピースが流れてきた道を頼りに歩けば、またなにか手がかりがあるかもしれない。そう、この先には商店街がある。
どうやらわたしは、ここの地理を知っているらしい。
すこし歩くと、住宅街を抜けて商店街にたどり着いた。
シャッターの目立つさびれたアーケードは、近所にできたショッピングモールが色濃く影響している。しかし人々の希望は失われず、学生が買い物をすると何かとサービスをしてくれる優しい街だった。
アーケードの中を歩くと、さっそくピースの共鳴が始まる。しかしコンビニや公園ほど多くはなく、あらかた探してしまうとピースは再び静かな状態に戻ってしまった。
手がかりがどんどんなくなっていく。状況の打開策を見つけなければと、わたしは商店街を歩きながら頭を懸命に働かせた。
自分はこの商店街を知っている。この地域になじみがある。わたしは誰なのか、どうしてこうなってしまったのか。ほんの少しでも手がかりが見つかればいいのに。
歩き続けることに疲れて、電器店のテレビの前で立ち止まった。
夕方のワイドショーのはじまる時間だった。画面の中で、やわらかな色合いのブラウスを着て着たアナウンサーが淡々と原稿を読み上げている。政治の話、芸能の話。不思議とその情報はわたしも覚えがあった。
『――帰宅途中に行方不明になったミクリヤユイさんですが、いまだに足取りがつかめていません。警察はミクリヤさんがアルバイトに行くと家族に伝えて家を出たことから、家出と事件の両面で捜査を進めています……』
ミクリヤユイ。
画面に映る女子高生の写真を、わたしはウィンドウにはりついてまじまじと見つめた。
行方不明になっているのはわたしだった。
○○○
ミクリヤユイ。それがわたしの名前だ。
テレビのニュースがきっかけか、集めたピースをつなげると次々と記憶がよみがえり始めた。
わたしは一週間前に、アルバイトに行くため家を出た。家族に行ってきますと告げた記憶はあるけれど、残念ながらその後の、失踪したという理由はまだわかっていない。
蘇った記憶もまだぼんやりと曖昧で、霞がかかったように白んだところがたくさんある。わかることといえば、今までわたしがピースを集めたところが以前から歩き慣れた道だということだった。
ゴミ箱でピースを拾ったコンビニ。あそこがわたしのアルバイト先。高校の同級生や、大学生の先輩たちと仲良くなって、時給が安いながらも毎日一生懸命働いていた。
アルバイトを通じて友達が増え、さらに楽しくなった学校生活。クラスでいじめがあったわけでもなく、家族はみな仲が良かった。いくら考えてみても、失踪するような原因が思い当たらない。
わたしは商店街を去り、再びあてもなくさまよっていた。
ピースの共鳴はなくなってしまっていた。ごくまれに騒ぐこともあるけれど、見つけられない回数が増えた。一体ピースはどこに隠されているのだろう。
ミクリヤユイというわたしは普通の女子高生で、特別問題があるわけでもなく、進路に頭を悩ませテストの結果に肩を落としながらも、友達と仲良く遊んだりアルバイトにいそしんだりして、青春を謳歌していたはずだ。
歩きに歩いて、大学の近くに来た。来年、わたしもあの大学を受験する予定だ。アルバイト先の先輩はそこの学生で、近くのアパートに住んでいた。
ゴミの収集看板を見つけるなり、手の中のピースがやかましく騒ぎ始めた。やはりゴミの中に隠されていることが多い。学生ばかりでマナーがなっていないという収集地区は、燃えるゴミの回収が終わっても袋がいくつも放棄されていた。
ピースを拾うと、めまいを感じ視界が歪む。地面に膝をつくわたしの頭に、ひとつの映像が流れた。
部屋の一室。布団の乱れたシングルベッド。真っ暗なパソコンの画面。フローリングに投げ出された白い脚。
自分の部屋だろうか。けれど、女子高生の部屋にしては物が少ない。本当にこのパズルは穴だらけで、与えてくれる記憶も断片的でつながりやしない。
集めたピースをあわせると、ようやくひとつのパーツが完成した。誰もが目にしたことある身近なもの。それはわかるが、はたしてこれは誰のものだろう。
できあがったパーツを手にもち、わたしは額に寄せる。失った記憶を取り戻したい。そう心で願うと、映像が頭の中に流れ始める。
一緒に遊びに行かない? 新しい映画面白そうだよね。
スマートフォンに届くメッセージ。何度もかかってくる電話。夜遅くに家まで送ってくれる人。途切れ途切れに、パズルの欠片がそれを教えてくれる。
「わたし……」
失踪する前、わたしは誰かと約束していた。
そしてその人に、何か伝えたいことがあった。とても大事なことを言うつもりだった。しかし、肝心なところをピースは教えてくれず、悔しくて唇を噛んだ。
――ユイちゃん。
突然、パーツが大きく振動した。わたしは驚いて取り落としてしまったが、それはアスファルトの上でも激しく震えている。まるでわたしになにかを伝えるような、今までにない強い共鳴だった。
集めたピース同士が、強く呼び合っている。
激しいめまいがする。部屋の一室、パソコンの画面。投げ出されたわたしの脚、夕暮れの暑い西日。
ユイちゃん。わたしを呼ぶ声。
甘く、囁くような声。ゆいちゃん、ゆいちゃん。耳元で囁かれ、誰かがわたしに覆いかぶさる。
『ユイちゃんが好きなんだ』
声が蘇る。聞いたことのある声だった。
わたしはピースを拾い上げる。腕の中で、結合したそれがわたしに教えてくれる。この声は誰のもの。そしてわたしのこと。
「……先輩だ」
アルバイト先の先輩。よくシフトが重なる、近所の大学に通っている先輩。やさしくて、頼りがいがあって、いろんなことを教えてくれる先輩。
映画に行こう。ご飯を食べに行こう。勉強がわからないところは教えてあげるよ。
ユイちゃんのことが好きだ。
「先輩……」
記憶にあるのは彼の部屋だ。一人暮らしのアパートはこの近くにあるが、はたして場所はどこだっただろう。
頼りないわたしを叱責するように、ピースが強くふるえる。他のピースを探すときのように、その振動がわたしに進む先を教えてくれる。
わたしの行きたい道と、ピースが教えてくれる道は一緒だ。この先に新しいピースがあって、そしてわたしの知りたいことがある。
わたしはなぜ失踪したのか。
誰かに――先輩に、はたしてわたしは何を伝えたかったのか。
たどり着くまでの道。ピースを見つけた。
側溝のどぶをさらうと出てきた。人の家の庭にも埋まっていた。
まるでヘンゼルとグレーテル。転々と隠されたピースが、行く道を教えてくれる。
ユイちゃん、とわたしを呼ぶ声。甘くまとわりつくような声。それを聞いて、わたしは一体何を思っていたのだろう。
一番大事なピースがない。だから思い出せない。こまごまとしたピースに隠された記憶も必要だが、幼いころの思い出なんてあとでもいい。今は、自分を取り戻すための手がかりを集めなければならない。
核がないといけない。多くを知っているピースがないと意味がない。
共鳴を続けるピースに導かれながら、わたしは先輩の家へと歩く。家に彼がいるかなんてわからない。でも今は、行くしかない。
バイトに行ってくるね。家族にそう告げたわたし。いつもならまっすぐコンビニに行くはずなのに、その日にかぎって違う道をすすんだ。
半そでのユニフォームは店についてから着る。ミクリヤと名前のついたわたしのネームが、カバンの中でケータイとぶつかってかちかちと音をたてる。
その日で、わたしはバイトを辞めるつもりだった。それはどうして。そのピースはまだわたしの手元にない。
ピースの共鳴が弱まり、わたしはたどり着いたアパートを見上げる。ペンキの色が薄れた壁。年季の入った階段。錆びついた自転車が並ぶ砂利道。乱暴に停められた車。大学生の集まるアパートなんてどこもこんな感じだ。
先輩の部屋は二階。わたしは埃のたまった階段を上る。導かれるまま、部屋にたどり着く。
チャイムは鳴らさなかった。鍵がかかってるのも気にしなかった。
わたしは部屋に入り、玄関に散らばった靴を踏んで短い廊下を渡った。ワンルームの小さな部屋。ベッドの上に寝転がる先輩の足が見える。
西日が差して暑くなった室内。開け放たれたベランダの窓。パソコンは電源を入れるまま机の上で放置されている。
わたしの腕から、抱えきれなくなったピースがこぼれおちる。その、どしゃ、という音に気づいて先輩はこちらを向いた。
「――ひッ」
短く吸った呼気が声帯をふるわせたらしい。彼はわたしを見て目を丸くしていた。
驚きのあまり硬直する先輩を尻目に、わたしは台所に向かう。この部屋はピースに満ちていて、互いが呼び合う共鳴で部屋全体が振動しているようだった。
冷蔵庫の前で膝をつく。そしてためらいもなく開けた。先輩がやめろと叫ぶ声だけが、静まり返った室内に響いた。
中を見て、わたしはやはりと呟いた。
ペットボトルの飲み物が入った冷蔵庫。食料の姿はなく、みはらしのいい仕切り板の上に、行儀よく鎮座しているピース。わたしの記憶に欠かせない、核ともいえる大事な欠片。
それはわたしの――ミクリヤユイの、切断された生首だった。
○○○○
「やめてくれ……」
先輩のかすれた声が聞こえる。けれどわたしは気にせず、冷蔵庫に手を伸ばして生首を持ち上げた。
冷たい。そして、重い。きんきんに冷えたスイカを持っている気分だった。けれどそのスイカには耳があり、鼻があり、髪がある。閉ざされたまぶたや鼻から流れた血は乾いてこびりつき、青白い顔を汚している。保存状態がよかったのか、他のピースのように腐りかけてはいなかった。
わたしの膝に乗せた袋から、ピースたちがこぼれていく。それは細切れにされたミクリヤユイの身体。カラスや猫がくわえていたのは指先や手首の一部で、集めたピースで手首と思われるものを作ることができた。
苦労して集めたピースもほんの一部で、どこのものかもわからない肉片や臓物のほうが圧倒的に多い。燃えるゴミとして処分されていた生ゴミは腐りかけたものが多く、半ば溶け出しているものもあった。それがフローリングの上にべちゃべちゃと落ちて、ひどい臭いが鼻をつく。
むき出しになった骨が、床に落ちるときにこつんと音をたてた。わたしは気にせず、核のピースを食い入るように見つめていた。
そうか、だからわたしのことが誰も見えなかったんだ。
耳たぶに触れた指先から、生首の持つ記憶が伝わる。息もつかせぬほど大量に押し寄せる情報にめまいがする。それでも取り落とすまいと、わたしはしっかりとピースを抱きしめた。
ピースが――わたしの首が教えてくれる。わたしがこうなる前のことを。わたしがどうしてこうなってしまったかを。
わたしはアルバイトを辞めるつもりだった。働くのは好きだったけど、続けることが精神的に苦痛だったからだ。
『ユイちゃん』
そうわたしに甘い声で囁く先輩。わたしは彼と恋人同士でもなんでもなかった。
先輩から一方的に言い寄られていた。しつこくメッセージが来て、電話が何度も鳴って、家の前で待ち伏せされた。意図的に同じシフトに入ってはしつこく遊びに誘われた。無理やりキスされそうになったことだってある。
耐えられなくなって、わたしは先輩との接点を断つことにした。けれどアルバイトを辞めたところで先輩が大人しくなるとも思えず、言葉ではっきりと拒絶することに決めた。
けれど、一人で乗り込んだのが馬鹿だった。
『ユイちゃんは僕のものだ!』
もともとストーカーの気があった人だ。わたしはあっという間に部屋に連れ込まれ、押し倒されて頭をどこかにしこたま打ちつけた。
どこに打ったのかはわからない。わたしはそれで死んでしまったのだから。
先輩はわたしが死んだことで我に返ったのか、罪に問われることを恐れて死体の隠蔽を考えた。
そして作り出したのが、わたしのパズルだ。
つい先日まで一緒に働いていた女の子の身体を切り刻み、こま切りにしてゴミと一緒に捨てた。人の身体だとわからないほどばらばらにして、わたしは生ゴミになった。
捨てるゴミにも限度があったのか、トイレに流すこともあった。今もわたしのピースたちは地下を流れ続けているのだろう。カラスのお腹の中におさまったものも多いだろう。
すこしずつ時間をかけて解体して、すこしずつ処分した。わたしは死んだ瞬間、想い人から、処分に困ったゴミになったのだった。
そして最後に残ったわたしのピース――首だけが、最後まで部屋に残されていた。
わたしが死の間際に見たものは、先輩に押し倒され、頭を打ちつける寸前の、自分の投げ出された脚だった。
「……先輩」
彼を呼ぶわたしの声は、生前出したこともないほどに低く、ぞっとした声だった。
「わたしの身体は、どこ……?」
自分の顔を抱き、腰を抜かした先輩を振り向く。誰もわたしの存在に気付かなかったのに、彼にだけ見えるのが滑稽だ。
わたしは幽霊だった。
集めていたのは自分の体だった。
できあがるはずのわたしの死体は、散り散りになって二度と完成することはない。
「ねぇ、先輩?」
立ち上がると、膝の上のピースが散らばり、体液が流れ出た。
「ユイちゃん……」
歩み寄ると、先輩は手で這って逃げようとする。しかしワンルームの部屋に逃げ場などない。わたしはあっさりと彼に追いつき、その眼前に生首をつきだしてみせた。
「ゆるしてくれ、ユイちゃん……」
「ゆるす?」
それは、今までわたしにつきまとっていたことか。それともうっかり殺してしまったことか。あるいは、わたしの身体をばらばらにしてしまったことか。
不思議と、自分を殺した人を前にしても、憎しみを感じることはなかった。
パズルは完成しなかったものの、自分のことを思い出すことができた。生きていたらあれがしたかった。これがしたかった。でも、もう遅い。今のわたしに、できることなんてかぎられる。
恐怖に焦るあまり、手をすべらせ床にはいつくばる先輩。わたしはただ、それを見下ろしていた。恨みや哀れみとか、そういった感情を彼に抱くことも億劫だ。彼に対する思いは無であり、それは生前となんら変わりなかった。
ひいひいとなさけない顔で許しを請う先輩の前に、わたしは自分の首を置く。パズルはもう完成しない。ならばもう、このピースに用はない。わたしはここを去ることにした。
玄関の戸が開く音がする。
わたしはミクリヤユイの失踪が、ようやく解決することを悟った。
『――行方不明になっていたミクリヤユイさんの遺体が、同じアルバイト先の男子大学生のアパートで発見されました。警察はミクリヤさんが大学生にしつこく言い寄られていたことから捜査し、自宅でミクリヤさんの切断された頭部を発見。十九歳の少年を逮捕しました。その後の調べにより、少年は殺害したミクリヤさんの遺体を細かく切断し、生ゴミとして捨てたほか、トイレに流すなどして処分したと供述。警察は押収した配管を調べるなどして、ミクリヤさんの遺体を捜索中です……』
了
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