みずいろ記念日
新しい服を選んでいた。義理のお母さんがある服を手に取って、私に見せた。
「この色、どう?たまちゃんに似合うんじゃない?」
キレイなペールブルー。水色だ。
「あ、水色はダメなの…」
反射的にそう思ったが、すごくキレイな色だったので惹き付けられた。
みずいろ。胸がドキドキする。
『私は、この色が好きなんだ』と思った。
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突然だが、自分の母の話をしようと思う。
私の母は、とても優しい。怒られた記憶がほぼ無い。そして私よりぽけーーっとしており、周りからよく『天然ボケ』と言われる。そんな穏やかな母が、私は好きだ。
母は妊娠しにくい体だったようで、私の姉を授かるのに8年以上かかったそうだ。
姉を産んで数年後、卵巣にできた腫瘍が破裂してしまい、気を失って倒れたらしい。そして卵巣の片方を摘出。お医者さんには「2人目を妊娠する可能性は99%無いだろう」と言われたそうだ。
しかしその数年後、自然妊娠した。
それが私だ。
私は小さい頃から母に「あなたが生まれたのは、奇跡!」と言われて育った。改めて振り返ると、なかなか過保護だったと思う。
今考えると『水色』も過保護の一部だったのではないだろうか。
母は、占いを信じるタイプだ。スピリチュアルな事が好き。私自身も占いは好きなほう。
母の信じる占いでは、私のアンラッキーカラーは水色。どうやらそのアンラッキーは一生続くらしい。まじか。
『ハンカチとか鉛筆とかの小物くらいなら、OK』という許可は降りていたが、洋服やカバンなど、体に身に付けるものは水色NGだった。
なので、私の洋服選びの選択肢に『水色の服』は無かった。
不思議なことに幼い頃から「水色はダメ、違う色にしよう」と言われ続けると、水色の服が目に入らなくなる。悲しい、とかは無い。もはや無意識。
大人になって、親元を離れても。結婚して子どもを生んでも。水色は、子どもの服で選ぶ事はあっても、自分の服選びでは選択肢に上がる事すら無かった。
私は小さい頃から母が大好きだったので、母が否定する水色を「好き」と言ってはいけないような気がしていた。
何だろう、この違和感は。
私も、いまこの文を書くまで、自分がこんな事を思っていたと気付かなかった。いや、気付かないフリをしていたのかもしれない。
私の場合は限定された『色』だったけれど、幼い頃からの習慣・思い込みは、恐ろしい一面があるなぁと思う。
これがもし自分の価値観を形成する大事なものだったら?
それをずっと否定されて育ったら、一体どうなってしまうのだろうか。
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1ヶ月ほど前、義理のおかあさんと一緒に洋服を買いに行った。
小4娘も大人用Sサイズの服を着れるようになってきたので「親子で洋服の共有ができるね~」なんて話しながら、店内を見ていた。
おかあさんが、ある洋服を手に取り言った。
「この色、どう?たまちゃんに似合うんじゃない?」
それは絶対自分で選ぶ事の無い、水色の服だった。
もちろん、義理のおかあさんは私が水色の服を買えない事など知らない。
心臓がドクドク動くのを感じる。
『わたし、水色の服が似合うの?!』
という衝撃と、
『いや、でもアンラッキーカラーだし…!』
という思考がぶつかって、混乱している。
「あっ、あぁーーー~~~」
とかいうよく分からない返事をしつつ平静を装うも完全にパニック。
そんな事など知る由も無い、義理のおかあさんは「ほらほら!」と私に服をすすめる。
私は水色の服を胸の前にあて、鏡を見た。
キレイな色。
心の奥のほうに押し込めていた気持ちが、溢れてくるような感覚がした。
私、この服が欲しい。
当たり前の事を忘れていたけれど、私はもうとっくに、良いことも悪いことも自分で自由に選べる大人なのだ。
水色を避けてきた子どもの頃の私。今まで気付かなくてごめん。
私は、その水色の服を買うことにした。
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購入からしばらく経った今も、水色の服を見ると不思議な高揚感がある。
水色の服を着ると気持ちが弾む。
この服を着て、私は不幸になるだろうか?
あの水色禁止令は、母の愛だったと思う。
少し方向性が間違っていたのかもしれないが、私を大事に思ってくれていた事はいつも伝わってきたよ。
大好きな空の色でもある水色は、
私にとって特別な色だ。