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時を経て、点と点が繋がる時
たまたまみたり聞いたりした物事が、予想もしていなかったタイミングで自分の中にストックされていた物事と結ばれた瞬間、
「これはまさに運命だ!」
とか、大袈裟なくらいに私は受け止める時がある。
今日もそんな出来事があった。
福岡市美術館で開催されている、
『永遠のソール・ライター』展へ足を運んだ。
2017年にBunkamuraミュージアムで日本で初の
回顧展が開催された時に、ライターを知った。
その時は、足を運べずに終わってしまい
ライターの名前と、広告で打ち出されていた作品の輪郭がぼんやりと記憶に残っている程度で、
正直、今回福岡で開催される事を知るまでほとんど忘れていた。
今回の回顧展で展示されている作品は、1950年代前後から80年にかけて撮られた写真なのだが、
現代の空気にフィットする。
いや、今の私にフィットしているだけかもしれない。
ライターの作品と共に、彼の言葉がチャプター毎に綴られている。
この言葉たちもまたフィットするのだ。
1950年代のニューヨークって、どんなんだっけ?
と、私の頭の奥の奥に仕舞い込まれている
西洋美術史の年表を引っ張り出してみた。
私の頭の西洋美術史の年表はこんな感じだ。
1950年〜60年
ポップアート(アンディーウォーホル)
1950年後半〜60年代後半
↑に嫌気がさしてミニマリズムが広がる。
ほんとうに雑で笑ってしまうが、記憶に残すには、簡潔でインパクトが重要である。と、思っている。
あー、ミニマリズム。
ミニマリズム。
私がすっ飛ばした美術史の時代だ。
10代〜20代の私は興味さえ持たなかったワード。
狙って、作られたものにしか目を輝かせていなかった。よ👏優良消費者◎
あの時真剣に勉強しておかなくてよかった。
と、同時に思った。
だって、断然37歳の私の方がミニマリズム時代の
作品やアーティスト達の思想に添えられる様な気がする。
素敵なものを残してくれてありがとう、
若き私よ!!!
と握手して伝えたい。笑
ライターの作品をみながら、
なぜこんなに心惹きつけられるのかと考え続けた。
ぱっと観た人には、
何気ない日常の瞬間の様に過ぎていく。
彼の美しすぎる感性で全て計算されて撮られており、偶発的を装っているフレーミング。
、、、なのかもしれない。
真髄は分からないが、そんな妄想が
美術館での楽しみ方の一つだと思う。
「変わらないこと」を守り続けた、
ライターの生き方をミニマリストと呼ぶのであれば、私の中にあるミニマリストの意味が
大きく変わる。
いや、ミニマリズム・ミニマリストの解釈をそもそも誤っていたのかもしれない。
自分に必要なものを見極め、大切に守り抜くということは本来の望む形であるのに、
それはなかなか難しい事だと私の中でなっている。
ライターは、自分自身と唯一無二の存在として
対話し続けており、守るべき事、人が明確であったのであろう。
“神秘的なことは、馴染み深い場所で起こる。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないのだ。”
この、ライターが残している言葉に
なんて生きるセンスがあり、彼の日常は彩りに溢れていたのだろうか?
と、帰り道に心が弾んだ。
そして、そんな解釈ができる様になった自分にも
心が弾んだ。
彼の眼差しで、自分の目の前の世界を眺めていけば私にも新たな光が差し込む様な気がした。
歳を重ねるってやっぱり素敵だ♪
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