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この世界の地獄を笑って生きていくためには「にゃー」の関係をつくること。 #VRおじさんの初恋

「VRおじさんの初恋」の最終回を観終わりました。

タイトルと、女の子2人の絡みが見られるのか、という浅い理由で興味を持ち、ドはまり完走、私的には突破しあふれ出た言葉を集めてかたちとして残すと決めたのが、最終回1つ前。

このドラマは全32回で、半分くらいでまだ半分あることに気が付き、層の厚い物語であることを予見したのでした。

ソーシャルVRで美少女アバターで活動している中年・ナオキが、天真爛漫な美少女・ホナミと出会う物語で、バーチャルと現実とのギャップ、中年である主人公の孤独、ソーシャルVRを通した救いが描かれた作品

https://www.moguravr.com/vr-ojisan-hatsukoi-3/


「Sense of Gender賞」大賞受賞の記事に書かれている、この表現が初期の私のイメージと重なります。以下が当初の私のツイート。


ここからは、いわゆるLGBTQを自認する私が、自分の体験を曝しながら「VRおじさんの初恋」とのリンクや思い出を語る相当自己満足な空間になる予定です。

・およそ四半世紀前のある10代のLGBTQの話
・同時代の新宿2丁目の話
・同時代のLGBTQの出会い方と、情報のキャッチアップ方法

などが、ざくっと含まれます。お相手の個人の情報はわからないように改変しています。ご了承くださいませ。ご興味あれば、このままお進みください。



Welcom to TWILIGHT

事前情報としての、まゆこさんのスペック

・ノンバイナリー。恋愛対象は女性。クォイロマンティック。
・LGBTQでいうと「Q」
・自分のことを隠してもいないけど、あえて言うことでもないと思っている。
・VRおじさんの初恋は、マンガ未読であった


ホナミ(井桁弘恵さん)が穂波(坂東彌十郎さん)であったときの衝撃


ホナミが現実世界の自分を語り、アカウント停止をした後、直樹が不正アクセスをして現実世界の穂波に会いに行きました。穂波と対面した直樹は衝撃受け混乱し、悩みます。

その様子を見て私は、LGBTQのWEBサイトを通して、出会った方を鮮やかに思い出しました。

その方は、MTF、male to female 男性から女性へ。出生時は男性の体。女性として生きることを望む、また女性の体に程度はそれぞれだが移行することを望む人。

私はその人柄に興味を持ち、惹かれ、お互いにメッセージするようになり、リアルで対面したとき、かつての私は直樹と同じような気持ちだったと思ったのです。

私は直樹のように受け入れられなかった。事前情報も、全部いただいていて、何も嘘はなかった。けれど、私はガワ、つまり肉体を受け入れられなかった。

受け入れられることが偉いとかすごい、よい悪い、ひどい、などはその方の考えなので、一旦脇に置かせてください。

その時に私は、見た目と持つ肉体も「女性」を好むのだと、自分を理解をしました。

直樹と穂波が交流していく姿をみて


私がLGBTQと自覚したのは、その言葉がまだなかった11歳の時。そこからさまざまを経て、仲間や信頼できる方に出会い恵まれ、今の私はいます。そこそこ長く生きてきて、共鳴したとしか思えない出会いがありました。

私が、男性の肉体を持つ方とパートナー関係を持ったんですね。
結果的に今は距離を取っているので、うまくいかないものだとは思いますが笑、こんなことがあるんだなと思ったのでした。自分も変わったのだと思います。

直樹が穂波との関係性を葵に問われたときに「初恋だけでいいんだ」というその言葉と気持ちが、自分サイズでよくわかりました。なぜかはわからなくて、その人がいいと思えました。

けれど、出会って半年以上が経ち、お互いのことに慣れてきてわかったことが、もうこの人とは話し合いができないのだという、直観でした。

話し合いができるという、私にとって大事なことができなければ、私にとって男性の肉体を持つ人は、距離を取る対象の相手となりました。

私は、やはり見た目と持つ肉体も「女性」を好むのです。

残酷ですか?そうかもしれません。けれど、このようなことは男女間でもそれはあるだろうし、おそらく特別なことではないかと思っています。

直樹は穂波と対面した後、穂波と距離を取ったけれど、ホナミに会えなくなることのデメリットを考えると混乱するも、直樹なりに整理し受け入れ「初恋だけでいいんだ」と言葉にする。とても丁寧な方であると思いました。

ああ、同僚佐々木さんと直樹の居酒屋飲み会に参加したい!笑

私的ハイライトは「最後の喫茶店でのやりとり」




この人生を「にゃー」のように生きるのはいかがでしょうか、との、手味噌のポストがあります。


こちら回答に、

Q【何をどうすれば自分はこの地獄を笑って生きていけるのか】
A【ネコのように生きるのはいかがでしょう。にゃー。】

このように答えました。「にゃー」とはあらゆる意味でのネコっぽい感覚のことです。

これが、最後の喫茶店での2人のやりとりにあったように感じました。これが彼らの日常で、想いの伝わりあう2人が発露する「にゃー」が心地よく伝わり、ほくほくして、ほっこりしました。


私は泣かなかった

「VRおじさんの初恋」を観て、多くの方が泣いた!と言っておられた。あの展開ならそうだろうなと思う。

けれど私は、そこはかとなく諸行無常を感じました。そこに泣くことはない。現象ですから。


ものごとは、必ず壊れる方に向かいます。そのほうが安定をするから。
そこに意味づけをするのがヒトであり、起こっていること自体はただの現象。(詳しくはエントロピー増大の法則でご検索ください)

ものごとの維持には多大なエネルギーを使います。だからこそ、人間の関係性の中では、お互いの話し合いや努力が必要で、それを直樹と穂波はされていた。そのエネルギーの源泉が、直樹にとっては初恋だったのだなと、私は理解しています。


マンガを描かれた、暴力とも子さんのツイートより

結局はガワで恋愛しとるんか?でもそれだけじゃないだろう?という話を繰り返し繰り返し折りたたんでいる。
どうか結論を急がずに、時間をかけて咀嚼してもらえたら…という暴力とも子からのお願い。

https://x.com/violencetomoko/status/1793283724177727693


暴力とも子さんのnoteより

孤独な2人が孤独が故に出会い、孤独のままで寄り添った物語が原作『VRおじさんの初恋』。そういう物語でしか描けないある種の救いを表現したかった。

https://note.com/violencetomoko/n/n1779ede1bf9b?sub_rt=share_h


まとめ

17歳の私、雑誌の文通欄で知り合った25歳のおねいさんに、新宿2丁目のオールナイトイベントに連れて行ってもらったことがありました。

100人以上の性別女性のマイノリティを目の当たりにし、「こんなにいるんだ…」と、この世界に私は存在していいのだと認められた気持ちになったこと。

「VRおじさんの初恋」はこのことも、思い出させてくれました。

VRの世界で「にゃー」となれる直樹と穂波は、拠り所を見つけたことで認められた気持ちになれたことでしょう。


まだ観たことがない方はぜひともご覧ください。


マンガもよきです。


以上、この世界の地獄を笑って生きていくためには「にゃー」の関係をつくること。 #VRおじさんの初恋  でした。

いつか、あなたとお目にかかれますように!


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