紹介内容の方向性について【双極性Ⅱ型寛解の為にやったこと記録1】
今日から、私が双極性障害Ⅱ型が寛解したと感じるまでに試してみて効果を感じた行動について大まかなテーマにまとめていきたいと思います。
が、今回はまだ具体的な方法論には至らず、自分の中で完全に手探り状態の「伝え方」を、自分のスタンスを含めて言語化して模索していくポエムに近くなると思います。
これをやれば良くなる!という話は話で、今後書いていきたいと思いますが、そういうものを求めている人は今回のは読まなくても大丈夫ですね
単なる健康法紹介ならもう色々試して、少しガッカリしてる人には読んでほしいかも
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確度の高い方法は皆知ってるので求められてないという話
こういうのを書くときに、大局的に考え方をどう変えるかといったアプローチから話すのが良いのか、運動やヨガなど健康状態から改善していく方法の話が求められているのか、それともその時の気分を変えたり苦しみを減らすライフハック的なメソッドから手を付けたほうが良いか、少し悩みます。
人生相談の掲示板などを眺めていると、「やる気の出し方」にしてもパッとその場で出来るものに対して反応が良くて、運動するとか健康状態を良くするとかそういう長期的な回答は求められてないよなぁという感じがします。
健康的な生活とか運動とか、それが出来たらみんなやってるよ、言われたらまぁそりゃそうなんですが。
とにかくあんまり求められてないことを語ってもしょうがないと思う一方で、運動にしても、日光とか手軽でありがちな回復法にしても、精神が置かれてる環境次第で効果の差が大きいため、あまりその辺を共有せずにこれが効く!とも言い辛いんですよね。
素晴らしい方法でも無条件に効くとは限らないという話
たとえば自分の話をすると、私はマインドフルネスに挑戦したことが病気だった10年ちょっとの間に3回ありました。多分3年目くらいに初めて簡単なハウツー本を買ってしばらくやって、これは良い、とは思ったものの、本に書いてあるような安らぎとかは得られずそのうち止めました。
そして8年目くらいにマインドフルネスの創始者の本をBOOK OFFでたまたま見つけて、本の内容が凄く良かったのでしばらくやってたのですが、やはり一時的な気休めになるものの根本的な回復とは繋がってる感じがしなくて数か月でやめました。
3回目が去年です。その時、世相も相まって久々に病院通い再開するほど病状が悪くなったので、今一度出来る事をやろうと思い、前回の本をもう一回読み直して真面目に取り組んだところ、、これが滅茶苦茶良くなったんですよねー、ホント寛解したの6割くらいマインドフルネスのお陰だと思ってます。今でもちょっと気分が落ちてきた時にやると俄然精神状態が良くなるので本当にありがたい。
でも、そういうわけで、マインドフルネスがいきなり治してくれたわけじゃなくて、それまでに色々考え方を変えたり、他の要素があって下地が出来た状態でやったから良くなったんだと思うんです。だから単純にマインドフルネスすれば良くなるとは言えない。でも逆に他の人は私が10年くらいかけて作った下地を最初から持ってて、回復まであと一歩で苦しんでるかもしれない、なので気軽にお勧めするのも大事だと思う。
それでも色々お勧めしたいし、試してみてほしいという話
要するにですね、今後の記事ではやはり敢えて私の回復過程という文脈を無視して気軽におススメしようと思います。私と同じ人生を歩むのは無理だし、まず伝えるのも無理だし。。
その上で、もしこれを読んでる人がいたら覚えておいてほしいのは「今試してみて効かなかったことはやるだけ無駄な時間だった」と思わなくていいということなんです。気分が変わった時にまたやってみたら、2回目だから気付けるものもあるでしょう。
でも、そういう先々の為の努力すらむなしいと感じるかもしれません。実際私は昔そうでした。そんな時に出会った、今でも私の心のヒーローである、努力の狂人のような野球選手います。その自著を読んでいて最も心打たれた言葉に以下のようなものがあります。
「(勧められたことは気軽にやってみる。もしその方法が良くなかったと感じて止めても)捨てるという行為は選択肢をひとつ減らすことが出来たということだから、それはそれで進歩である」
選択肢が減るってなんだかマイナスっぽい印象ですけど、実際には人生に示される選択肢はぼんやり眺めてると多すぎて、逆に何したらいいのか分からなくなるんですよね。どれが正解なのか、誰も教えてくれないし(仮に教えてくれる人がいたらその人は大体詐欺師です)
着実に自分の手で先のない選択肢を消していけるのは、そのまま、自分の手で人生を進めてるのと同じなんだなとこの文章を読んで感じました。私にとってはその発想そのものが希望でした。
ひどいうつ状態になると夕飯をスーパーで選ぶことも出来ずに不甲斐なさで泣いてしまうというエピソードを時々に聞きますが、そういう時、「これは食べたくない」と一つ除外できるだけで少し選ぶのが楽になる、そういう話でもあると思います。
ちなみにこの言葉を信じてとりあえず雰囲気怪しめのヨガ教室に通って、途中から母体が宗教団体だと分かり勧誘がキツくて止めたりもしましたが、、まぁその経験も間違いなく回復にはプラスでしたよ、本当に。だから何かを試してみる=前に進むという行為そのものに回復に繋がる力があると私は信じています。
だから、実際のところ苦しんでる人たち全員に効果のある回復法などは無いと分かってるのですが、それでも私のこれから書く記事たちが、読んだ人が自分の力で歩を進めるための一つの足掛かりになればいいなと願っています。
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書いてて思った今後のテーマのメモ:
「精神が置かれてる環境」というものについて。回復の過程のどの段階にいるかにとってかなり重要なファクター。前も少し触れたけど「現在進行形で過度なストレス原因を抱えてる人」は、「元気になろう」とする前に、まずそこを取り除くことから始めてほしいと思ってる。でも例えば被虐待児のような人格形成時に長期間ストレス状態に置かれた人は、すでに親元を離れていても脳内はずっと警戒状態に置かれている場合があり、そういう人は一般的な回復方法を試す前に、「自分はもう警戒しなくても良いのだ」ということに気付かないと「精神が置かれてる環境」は現在進行形の人とあまり変わらないということになる。
虐待までいかずとも、そういう「原因から離れても脳内環境は原因に支配されたまま」という状態の話は実体験としてあって重要だと思うから書きたい、でも結構センシティブな話なのでもう少しまとめてシェアしたいなと思った。 終わり
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