キム・ヨンス著 『波が海のさだめなら』

同僚の松岡雄太先生が翻訳なさった小説。献本いただいて,時間がかかってしまったのですが,読んだのでネタバレにならないように感想を。


物語の積み重ね。知識が積み重なるのではなく,ぼんやりとした物語の断片が心に蓄積されていく感覚。心が豊かになるっていうのはそういうことなのかもしれない。

アイデンティティ探しの旅。自分は何者なのかとか自分が何で構成されているのか,そういうことはどんな年代でも人生で何度か通る道だと思う。そういうことを考えたことがある人,または今まさにそういう自分のアイデンティティについて考えている人にぜひ読んでもらいたい本。

松岡先生が前回翻訳された『四月のミ、七月のソ』の訳者あとがきも素晴らしいメッセージだと思ったけれど,今回の訳者あとがきも松岡先生の思いが詰まった文章で共感しました。松岡先生のご専門は記述言語学ですが,そのご専門の研究とは別に,自分の信念を形にして世の中に問う姿勢というのは,同じ大学教員として尊敬の念を抱いています。

松岡先生のインタビュー記事も下記で読めるのでぜひ。

小さなネタバレになるかもしれないが(物語の本筋に大きく関わらないと思うので許してほしい),物語の序盤に実家の部屋の荷物が段ボールに詰められて送られてきて,その中身を取り出してそれについて文章を書きつけるという場面がある。なんの偶然か,私もちょうど先日実家の部屋を片付ける必要があり,2年ぶりに帰省して懐かしの品々に思いを馳せたところだった。その前にこの小説を読んでいたら,あるいは私も文章を書いておいたのかもしれない。残念ながら,限られた時間の中で思い出に浸っていては片付くのに何日もかかりそうだったので,私はほとんど全てについて,一瞥して不要であると判断することになった。

その作業が,今までの自分と,これからの自分にある種の断絶を生むような,そんな感覚がした。年に数回しか滞在しない実家の自室にあって,何年も目にしてすらいなかったようなものでも。そこに物理的に存在していたことと,それが完全に世の中から消え去ること,この違いは大きい。

小説の話に戻すと,この本の物語は複雑だというのが読後の印象で,著者あとがきや訳者あとがきを読んでもそのことがわかる。節の終わりに「え?!」という展開となって次に読み進むと,場面が変わっていてその伏線はすぐに回収されない。そしてまた物語を読み進め,驚きと衝撃をもって次節に進む。後半に進むにつれてそのような展開が繰り返され,少しずつ物語がつながって時折前に戻りながら読み進めた。そして読み終わって,「これは最初から読み直さないと」という感想を抱くのだった。

自分のアイデンティティ,人間の生,私はそういうことを揺るがす(と個人的には思うような)とても大きなことを経験したばかりだった。また,上記インタビュー記事で松岡先生が言及されている

彼の作品の根底に流れる『他者を理解することが本当に可能か?』『過去のことがどこまで現在に結びつくのか』という文学テーマ
https://edit-kandai.kouhou.kansai-u.ac.jp/post/45.html

についても2021年にはよく考えました。だからこそ,この小説を今このタイミングで私が読むことになったのもなにかの縁めいたものを感じざるを得なかった。松岡先生に感謝です。

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