【同人アンソロ】レビューVol. 02『怪獣症候群』
今回扱うのは同人作品、『怪獣症候群』です。
7名の作家さんが『怪獣』をテーマに短編小説を寄せ合った、同人小説アンソロジー本です。
普段お世話になっている天野青空さんが寄稿されているのをきっかけに知り、購入しました。
読んでみたらどの作品も個性的で面白くて、とても満足だし刺激になりました。
今回、天野さんに作品の感想をいつも沢山もらっている分のお返しも含めて、取り上げさせて頂こうと思いました。
非常に勝手に、書きたいこと書いてます。不快に思われたり、的外れなこと言ってたらホントすみません。ホントに。
あとは、作品によって随分感想の分量が違っちゃっているけど、大目に見てやってください。
作品が気になった方は春火文学さんのBOOTHから(R-18指定)。
■作品紹介
レゾナさん(音柴独狼さん)がきっかけになって、春火文学さんが企画・取りまとめを行った小説アンソロジー作品。(詳しい経緯は存じ上げません)
参加する7人の作家に与えられた条件は2つ。
「怪獣を登場させること」
「必ず一人、怪獣に対して、他の人類とは違う感情を抱く人物を出すこと」
様々な趣向、様々なテーマで描かれる『怪獣』たちの暴れっぷりに、ワクワクが止まらない。
※ここからはネタバレありなので、大丈夫じゃない人は一旦ストップ。
■レビュー
1)怪獣の花嫁 作:天野蒼空(あまの そら)
作品を構成している各シーンがどれも印象強くて、読み終わった後も脳裏に各シーンがしっかり残りました。そのイメージのキャッチーさがとにかく良かったと思います。
特に、やはり冒頭のシーン。崩壊した街の瓦礫の上に、ただ一人花嫁が残っているカットの鮮烈さといったら!
そこだけが三人称で上空からの視点になっているのも、演出の効いた構成だと思います。
登場人物が出来るだけ絞られていて、『君と私の世界』にひたれる空気感がたまらんです。っぱセカイ系なんよ。
あとカップルの会話がリアルでナチュラルです。二人の時間がちゃんと作品の中心要素として存在感がありました。
作者の背景事情が何となく透けるせいだろうか。本人の筆力の賜物。
序盤、会話の中で徐々に舞台設定が明らかになっていく、というのは意図としては良いと思います。ただ、惜しむらくは、会話と説明の繰り返しになり、テンポが損なわれてしまっていて、説明の内容も、やや入って来づらいように感じられてしまいました。
その前のシーンが、地の文がメインで視覚的なシーンだったから、ここは思い切り会話を優先したら、テンポの強弱が効いて良さそう。
でも、分かります。こういうSF的世界観って、説明の加減が難しいんですよね。
自然な文章の中に説明を盛り切らなかったら、「あとは雰囲気で分かってくれい!」と読者の読解力と想像力にぶん投げてしまうのも手のひとつ。この作品では二人の世界が大事だから、外側の世界のことは、ある程度ぼんやりしていても、それはそれで雰囲気が出ますし。
作中、二週間が経過する場面で、「怪獣がどこから来たのか」という根底の説明をいれたのは、時間経過を表現する手段として上手く役立っていると思います。
最も印象に残った一文は「風が冷たくなっても、私たちは温かいままだった。」
読んでいて、一瞬が永遠に感じるような素敵なフレーズ。この一行に作者の魂を感じました。勝手に。
インパクト良し、構成良し、魅せどころ良し、のまとまった作品だと思います。「怪獣の現れる世界の日常」が、主人公たち二人だけの小さな世界と怪獣に破壊される街のスケール感を上手く繋いでいて、とても読みやすかったです。
2)オーバーフロー 作:咲樂(さくら)
のっそりと始まる、灰色の日常。その中から徐々に這い出して、芽吹いていく怪しい非日常と、子供の柔らかい狂気。そして、少女の日常からはみ出して溢れていく狂気……
親に放置された子供と、現れた「何か」に対する親心のような、好奇心や共感。オーソドックスな構図を上手く取り込んで、序盤に読者を引き込むのに成功していると思います。
印象的にリフレインして提示される命題がありますが、どうも作品の主題と繋がっているように思えないのが気になりました。作中に『個』を失っている者は出てこない訳だし、主人公たちがそうなっていくのだというのなら、エンディングが早い。
むしろ、作中でこれも繰り返し使われる「カエルの子はカエル」というワードがあるが、素直にこちらの方に主題を感じます。物語がこの言葉に乗っていくのか、あるいは反っていくのかという部分が作品の肝になってくるのでは。
また、主人公の母親の存在感がやや希薄に感じました。事件に対する母親の言動と、それに対する主人公の反応が描写されますが、もっと存在感に説得力を持たせられれば、インパクトの強いシーンになったと思います。
やはり、物語のメインはまだこの先にある、という印象。ある意味では、この状況設定、このキャラクタを与えられたら、大体みんなここにたどり着く、というところで終わっている感じがします。振り返れば振り返るほどにこの先の物語が気になる。つーか生殺しですよぅ。もっと読みたいっす。
構成のソツのなさ、伏線の扱いの巧みさ(ラストシーンに関わる言葉を再登場させるタイミングが素晴らしかった。勉強になる!)など技術的に磨かれた印象があり、エンターテイメントとしての良質さを感じました。
ただ、上でも指摘している通り、主題の確立や、主題へのフォーカス、物語のセットアップで終わらせてしまう惜しさなど、構造・構成的*な部分で惜しいところがある気がします。
あ、でもこんなエラソーなこと僕なんぞが言っていいのか分からんと思ってしまうくらい、巧みで臨場感ある小説でホント面白かったです。とりあえず作者さんが気になったので、カクヨムに連載してらっしゃる別作品は読み始めました。
*構造:作品を通して提示していくもの。作品の内部構造。
構成:シーンの並べ方。作品の骨格。
という使い方をここではしています。
3)ジュラシック新撰組 作:獅子咬五右衛門佐武郎札良(ししがみごえもんざぶろうふだよし)
全体的に読みづらいです。でも、すごく楽しく読めました。
勢いが良くて、筆がノっているのが読んでいて分かる。熱くなるシーンでトントンと畳みかける語りが心地いいし、こちらをノせてくれる。盛り上げる場面にも演出が効いていて格好いい。
読みづらさの原因は、主に「視点」の問題。誰が行動し、誰が喋っているか読み取りづらいから、そのたびに足止めを食らってしまいます。冒頭のシーンで特に感じます。
読んでいて、中盤以降(大江山の場面に入った頃)にようやく、キャラクタたちの個性が掴めてきました。そこから読み返せば、最初から口調を書き分けようとしていることも分かりましたが、やっぱり導入の部分で読み取りづらいのが気になってしまいます。
①地の文がどこ視点なのか、ブレがある
基本的に山南敬助の視点だと思いますが、それが伝わりづらいです。
例えば最初のページ、「山南敬助は、沖田総司といきつけの茶屋に来ていた。」ならカメラが山南の背後に張り付いていると思います。原文では、どうも神視点めいたイメージで見えてしまうと思います。
カメラ位置がずれないよう、ブレそうになったときには意識的に我慢して、なんとか書き方を探してみる。そういう踏ん張りも必要だと思います。
②場の全員のテンションが一様に高く、喋り方にも差異がない
キャラクタが名前だけで配置されているような印象を受けました。
書き始める前にシーンを思い浮かべながら、「このキャラはこんな感じで、それに対してこのキャラがこう返す感じ……」みたいな妄想が脳内でしっくり来てから書き出したりしたら良さそう。
妄想を楽しんで、それをおすそ分けするのです。
③表記ルールの揺れ
これはついでなのですが、キャラクタが頭の中で考えている言葉が
「( )」
で書かれているときと、
( )
のときがあったので。一つの作品の中では、こういった書き方のルールは統一しましょ。記号は、自分がしっくりするのを使えばいいと思います。
伝わりゃいいんです。伝わんないなら、読みづらさの元です。それだけ。
文頭の字下げと、文末の句点のつけ外しも、ルールがあって書いているのだとしたら、規則がよくわからなかったです。単なるミスなら、ドンマイです。
ある程度イメージが漠然としていても文章の上で楽しめるような文芸作品なら良いですが、今作のようにバリバリに会話とアクションで事件を引き立たせるエンタメ小説では、一読して映像がただちに脳内で動かせないのは、もったいない欠点となってしまうかも。特に今作は1シーンに多人数が登場するので、なおさら気を使いたいところ。
主にアクションシーンでの演出の塩梅が、上手いと思いました。やりたいこと、見せたい映像がちゃんと持てているのだと思います。
ここでいう演出とは、ただ光景を記述するのではなく、溜めを作ったり、殊更に細かく描写したり、または風を切るように断片的に書いたりと、読者の『読む時間』に味付けをすることです。
小説の全文で演出をコテコテに効かせてしまっては、胃もたれして読み疲れの原因になるばかりだけど、こういうエンタメ小説で演出が効いていないと、やっぱり物足りなさを感じてしまうもの。
読み応え、良きです。
4)かいじゅうよりもこわいもの 作:新妻ネトラ(にいづま ねとら)
僕なんかが言うこと無いです。対戦ありがとうございました。
すげえ。
息を呑んで全部読みました。ただただ引き込まれていくしかなかった。
過去の記憶、日々の断片、追ってくる男、ぐるぐるする頭の中。それらの散り散りが、「夢」のリフレインで静かにつながっていく。嫌になるくらい。逃げられないくらい。
特段説明を要せずに馴染める男の一人語り。出番は短くとも愛おしい脇役。燻ぶった日常のリアル。他人の日常のリアル。ありえない因習の村と、訳の分からない都会の人間たち。
妹と俺という一本の繋がりで撚られた縦糸が、男の心情を繋いで説得力を持たせます。ただ読み始めるだけでいい。気が付いたら僕は膝を抱えていて、物語は閉じていました。
強い嫉妬と悔しさを感じました。感動も。
読後に配信もちらっと覗かせて貰ったら、どうやら僕と同い年らしい。吐くぞ。いいのか。
終わり方の素敵さにも乾杯。ルール上やるべきこともちゃんとやった上で、胸にずんと来る読後感がある。かつ、不思議に爽快さも感じます。世界なんて壊れてしまえ。
願わくば、他の作品も読みたいと思いました。ちょっと掘れそうなところは自分で掘ってみます。
なんか気持ち悪いポエム感想みたいになりましたが、本当、面白かったです。
5)背虫のバセラ 作:音柴独狼
圧倒的な、怪物映画感。
あくまで状況を描写するだけの淡々とした歯切れの良い文体。成すすべなく歯止めにもならない人類側の多国籍軍。自国の損得により動かない大国。暗躍する組織。人類のあらゆる意思とは無関係に進行する、怪獣という”状況”。そして、その怪獣と交感する女性。
何を取っても、好きなんだなあ、というのが伝わる愛情と興奮に満ちているし、単にそれだけでなく、表現的な技量にも驚かされます。
怪獣バセラが光の人となって、博士と中佐の対峙するビルの前へと降りるシーン。
飛び上がったところまでは視覚的に描写して、地に降りたときは、ただ振動と辺りを満たす光のみ。近くへ来たら見えなくなってしまうほどの、怪獣のスケールがありありと感じられます。
殊更に説明に文を費やすことなく、淡々と描写のみで、しかし読めばそれを感じ取れる表現でした。シーンの緊迫感もあって、臨場感すげえです。
単純に、これだけの要素、情報量をこのページ数に詰め込んだ圧縮力にも感嘆するし、次々と、呼吸するように飛び出る固有名詞にも、半ば呆れるくらいに感心してしまいました。
あとは、なんだろう、一生のうちに言ってみたいセリフがてんこ盛り。僕は、「願ったりだ。防衛線張るならオスロが一番いい」が好きです。
終わり方には、賛否両論あるように感じました。
正直、僕は尻切れトンボな感じがして、映像的にも小説的にも終わり切れていないような物足りなさがありました。けど、これはこれでB級映画っぽさがあって、アジかもしれない、とも思っています。
自分で終わり方を考えるなら、うーん、バセラがどこか(宇宙かな……?)に飛び立ち、焼け野原になったベルリン市街と、もしかしたら遠くに見える最後の光線の跡を見下ろしながら、ジアーナ中佐が何か言って締める。かな。お行儀良くてつまらんかもな。
自分では試みたことのない、かなりカメラを”引き”にした三人称での文章は、小説書きとして刺激を受けました。すげえ面白かったので、僕もどこかでこんな風に書いてみたい。
6)怪獣インタビュー 渡柏きなこ(わたがし きなこ)
他にも大いに趣味的な好みの強い作品が並ぶアンソロジーですが、分けても本作には”性癖”という単語が良く似合います。
終盤に明らかになる、主人公自身の性癖や、それを満たすための行動のことだけじゃあありません。
男性教師と委員長の死に方。ラーメン屋の奥さんが”食われる”シーン。ひとによっては眉を顰めて顔を背けそうですが、確かな”エロさ”を感じてしまいます。絶対に意図的だと思うんだよなあ(ほぼセクハラ)
終始、性癖に付き合わされた感があります(誉め言葉)が、読んでいて違和感やストレスを覚えることは無く、全体的に読みやすさは強く感じました。あっさりした読後感というものが、却って娯楽作品として好感が持てました。
読み終えた後に、タイトルの意味も分かってひとつ楽しかったです。怪獣”による”インタビューの作品なのだ、という逆転の構図。シンプルなアイディアだけど、でも、そこからこうはならんやろ普通。
ライダー愛も良いですよね。僕もクウガは世代なのだけど、あまり真剣に見ていなかったのがなんとなく悔やまれます。
色んな性癖に彩られた作品だと感じました。
しかし、このアンソロは怪獣の幅がひろくて良いなあ。
7)わたしたちのエンドサマー 作:春火文学(はるひぶんがく)
いじめ小説というものが好きになれません。もちろん小説に限らず。
むろん、あらゆる作品に目を通したわけでもないし、というか代表作ですら殆ど触れていないと思います。なので、どこかに面白いと思える作品もあるかもしれないし、それをきっかけに見る目が変わったりすることもあるだろうとは思いますが。
他人の人生の嫌な時期を本人の望み関係なくひけらかしているみたいで、それを見ることも、嫌なことに加担しているように感じてしまうせいかもしれないです。
とにかく、そういう前提でいかせてください。
変な話、エロに振っていれば、そういう目的として作られていれば、また話は違ってて、美味しく頂けるゲテモノとして味わえると思うんです。現実とは関係のないまったくの創作世界のキャラクタに対して、そういう愛し方はありですし。しなくていい話をするならリョナはストライクゾーン内だし、肉体的リョナのエロ小説なら書いていましたし。
でもエロで書いてないなら、そういうエンタメではないんでしょう?
ヒロインは犯される必要があったのだろうか?
作中に、それによる痛みや苦しみとか、それによって誰かとの関係に変化が生じるみたいな物語上の動きがあれば、鮮烈なイベントとして強い印象になるのではと思います。
いじめはすべからく唾棄すべき行為だと思うけど、いじめと性的いじめと突発的暴力とレイプはそれぞれ違うもののような気がしています。特に、加害者のもつ被害者への感情(こだわりかた)の違いとして。
また、被害者側の受け止め方にも違いが出てくるのだろうとは思います。僕は実体験に乏しいし、これ以上は論旨から離れていくためこのくらいに留めるけど。
そういった描写に踏み込まないのであれば、うーん、ちょっとアンソロ全体の対象年齢を引き上げてまでするべきだった描写とも思えない、というのが正直な感想でした。
主人公が反撃するシーンにスカッとする気持ちはあったけど、それだってあんまり趣味の良い娯楽でもないでしょうし。
タイトルが面白いな、と思いました。
個人的に夏が好きなのと、「サマーエンド」っていうワードが好きだったり。夏の終わりのエモさや、爽やか系じゃない、鬱陶しい青空とか入道雲というところにも味わいを感じて好きです。
特別不思議な言葉ではないのに、「エンドサマー」って聞かなくて。正統に行くならサマーエンドかエンド・オブ・サマーですし。作者のワードセンスだと思うけど、程よい引っかかりがあって好きです。「私たち」で閉じている感じも。
あと、主人公が怪獣教室(障がい者学級?)の子にイライラしてしまう描写とか、お祭りの夜に罪のない老人の首を絞めてしまうシーンが生々しくて良かったです。内面の変化が淡々と表層に現れていて綺麗ごとじゃない説得力を感じます。
全体的には、主人公が怪獣なのか人間なのか、あるいは本当に怪獣という存在はあるのか(遺伝的に残っているのか単に逸脱した人間なのか、またはその両者に区別はあるのか)も含めて、提示されたものがあまり片付けられていない印象を受けました。
何も始まりきれていないのに終わってしまった感があって、起承転結でいえば『起承』あるいは『起』までしかない感じを食らったなあ、と。物語としても、ここからが作者の表現の見せ所なので、もっと先まで読みたかったです。キャラクタには感情移入出来たし、主人公もヒロインも好き。
最後に弁解させてほしいんだけど、作品を否定する気持ちは無くて、ただ作品について議論がしたかっただけなんです。それでもし不要に傷つけてしまっていたら、申し訳ありません。
■最後に
どの方の切り口も面白くて、もし自分だったらどんな風に作るだろう、とワクワクしながら楽しませていただきました。
天野さん以外はこの本で初めて触れさせてもらったのですが、色んな作家さん、活動者さんを知るきっかけになりました。
表紙のイラストも不穏さと爽やかさがあって良いし、中にあるイラストも一枚一枚楽しい。
同人誌づくり、楽しそうでいいなあ、って単純に羨ましかった。いや、作るとなったらそれは大変なんだとは察しますが。
随分と勝手なことを書き連ねてきましたし、後半にかけて大分キモくなっていたような気もしますが、意見・感想がありましたら是非コメント下さい。
次回の予定は立っていませんが、作品は「ひきこまり吸血姫の悶々1」をレビューしようかな、と思ってます。なんか取り上げる作品がてんでばらばらですね。
以上
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