青磁

あのとき21歳だった私のことをいつまでも思い出すよ

青磁

あのとき21歳だった私のことをいつまでも思い出すよ

最近の記事

帰国便

空港が見える街で夕日を見た。次々と何でもないように旅客機が飛び立っていった。 その翌日にミュンヘンに向かった。 初めて降り立ったその街には色が溢れていた。建物は殆ど同じ高さとデザインに統一されていて、窓辺に花が飾られていた。石畳には大きな花壇とフルーツの屋台が並んでいた。 人々は親切だった。私たちの拙い英語を一生懸命に聞き取ろうとしてくれた。 時々ニーハオと声をかけられた。夫が「こんにちは」と訂正すると、いつも「ありがとう」と返ってきた。 様々な観光スポットに赴いたもの

    • 2017年

      学生時代の友人たちと京都駅周辺で集まった。5年ぶりに会う人もいた。 大学卒業後、私たちは社会に出てそれなりに仕事をし、それなりに生活した。私に至っては結婚も転職もした。 それでもその5年間が全くの空白だったかのように私たちは談笑した。 彼女たちは昔のことをよく覚えていた。持ち寄った記憶が、互いに確かめ合うことによって現実に戻っていった。 17時の塩小路通で、「もう夏やね」と前を歩く友人が振り返って、その向こうに京都タワーが見えた。 私はそのとき確かに2017年にいた。そう

      • 水色

        高校生の頃、TSUTAYAで借りてiTunesに落として聴いていたアルバムが、いつの間にかiTunesから消えてしまっていた。 最近また聴きたくなったものの、Apple Musicで配信されていなかったからCDを買った。 当時も良い曲だと思ったから聴いていたのだが、あの頃に聴いていたというだけで、そのものの価値以上に良く感じる。たった3年しかない高校生活における、思い出とすら言えないような風景写真が何千枚とこのCDに焼き付いている。 あれから膨大な量の経験をしたはずなのに

        • 会社の窓から大阪城が見える。そしてそれを取り囲むように桜が咲いている。あの木も、あの木も桜だったのかと、花が咲いて初めて知る。 ふと、私はなぜここにいるのだろうかと思う。 幼少期から、両親は私の希望を尊重してくれた。私は望みを叶えるために努力し、その度に納得できる結果を得た。私は人生のほとんど全てを自分で選択してきた。 私はなぜここにいるのか。それは私が選んだからだ。でも、最初からここを目指して歩いてきたわけじゃない。思い描いていた未来とはまるで違う場所にいる。 人生

          一人

          独身の頃は、仕事帰りに10km以上歩いたり、気の向くままに外食したり、自分のためだけに高価な果物を買ったりしていた。就職して初めて住んだ街は便利だけど何もないところで、でも目を凝らせば意外といろんなものがあった。 会社に指定された、築20年を超えるマンションに住んでいた。住んでいる間に給湯器も鍵もトイレも壊れて修理した。ここを早く出て行きたいといつも思っていた。 休日には多種多様な男とデートをした。彼らは私を気に入ったり気に入らなかったりしたが、その全てがそれなりに楽しく

          ポケット

          ダウンジャケットのポケットに両手を入れて歩いている自分が好きだ。 17時半にビルから出るとまだ明るかった。冬の底のような気温でも陽は伸びている。2月と3月の間には大きな隔たりがあるように感じる。地球は同じ速さで周っているが、私が27年かけて築き上げたイメージがそうさせている。 最寄駅で、花束を片手に持って歩いている人を見た。春が近付いている。

          創作

          男に対して、愛情にも性欲にも友情にも分類できない感覚を抱くことがある。一万人に一人か、もっと少ない割合で。 絵画を好む感覚に近く、目が離せない。人間が神の創作物なのだとしたら、神を讃えたい。どんなことを考えて作ったかインタビューしたい。 夫も私にとっては芸術作品だ。全身の造形が、私のオーダーメイドかと錯覚するほど好みだ。 私は夫を愛しており、夫とセックスをする。しかし、前述の感覚は愛や性欲とは全く別のところにある。

          白川

          大阪に引越した。 私は転職が決まっており、退職日まで1ヶ月間有給休暇を取っている。 今日、夫が仕事に行っている間、一人で京都に出た。 出町柳から銀閣寺道まで今出川通を歩いた。京大生らしき男の子たちが何人も私とすれ違っていった。 卒業後も京都には何度も足を運んでいるが、どんな思い出でも上塗りできない記憶が今出川通にはある。 あのアパートには今誰が住んでいるんだろう?

          異常

          他人になったことがないから自分の異常性がわからない。犯罪者がネットニュースに取り上げられて気狂いと呼ばれる。そんなことが年に何度もある。それだけ多くの気狂いがいる世の中で、ある程度の気狂いは正常の範囲なのではないかという気がする。 普通に生きるのは難しいが、普通の範囲は案外広い。普通の人々と呼ばれる集団の中に無数の個性がある。正しい道というものは舗装された道路ではなく、流れる雲が作る影にすぎない。

          プール

          愛知県の地図がそっくり変わってしまって、名古屋市中心部(市営地下鉄東山線沿い)のすぐ南が海になっている夢を見た。 私が住むマンションの近くに南国風のカフェがあり、そこに海水プールが併設されていた。寒い日(季節は不明)だったが、私は数人の女の子たちと水着に着替えてプールで遊んだ。 私は終始水に浸からずプールサイドに座っていた。 プールから上がったばかりの女の子が「水が冷たかったから空気が温かく感じる」と言った。気化熱が存在しない世界であるらしかった。 私は見た夢を現実の記憶と

          別れ

          死んだら「いい奴だった」って言われるし、別れのときには「愛してた」って言う。 見送られるときに言われる褒め言葉は全部嘘だ。だけど嘘でも言葉を絞り出してくれる、その労力が愛情の最後の一滴なのだ。 卒業式でも親元を離れるときも泣いたことはない。悲しまれることが苦手だから悲しまない。 「先輩がいなくなったら寂しいです」そのしずくに私は先輩らしい態度を何ひとつ返せない。

          市役所に行くために休暇をとった。役所で用事を済ませてから、気になっていたカフェの二階でミルフィーユを食べた。学生らしき女の子たちの話を盗み聞きしながら、西陽の陰影を描く住宅街を見下ろした。パンも売っていたから二つ買った。 変わった名前の通りを散歩した。民家の庭に柿が生っていた。季節外れの曲を何度もリピートした。 家に着いて服を脱ぐと、自分に吹きかけた香水が立ち上って酔った。失恋の歌は秋の散歩に合うが、過去の男たちがこんなふうに私を思い出していたらと考えると吐き気がする。

          季節

          それなりに季節の行事を楽しんで生きてきたが、ハロウィーンだけはそれらしいことをしたことがない。 学生時代、周囲にはコスプレ会をするサークルも多い中、私が所属していたサークルは特に何もしなかった。そもそも非常にイベント意識の低いサークルで、新入生歓迎のための花見以外にまともな年中行事はなかった。 貧乏学生だった私にとっては、仮装代がかからないのはありがたかった。しかし、学生時代を逃すと、渋谷に集まるような(全国的に見れば)限られた者でない限りはコスプレをする機会もなく、かと

          若い女

          20代の女だから飲みの場では気を遣われる。 酔った中年男性が愉快そうに話して、私は適当に相槌を打つ。 すると、別の男性にフォローされる。 気にしなくていいよ。あの人は何も考えずに喋っているだけだから。 そう言われても何のことかわからない。中年男性は何か変なことを言っただろうか。私には中年男性自身の健康問題を語っていただけのように見えたのだが、私がそれの何を気にすると言うのか。 私は鈍感だ。とてもサラリーマンに向いている。

          通学路

          眠る前、過去の記憶がスライドショーのように静止画で頭に浮かぶ。何の記録にも残っていない過去は、妄想か現実か区別がつかない。 中学生の頃、私は片道1時間も歩いて通学していた。同じ方向にこんなに長く歩いて通学している友人はおらず、毎日一人だった。校則があるから音楽もカメラもない。通学路の風景以外の情報は何も得られない時間を、私は一日に2時間も過ごしていた。 だから今でも、あの国道を鮮明に思い出せる。郵便局、果物屋、バラック小屋のような古い美容室。長いプリーツスカートが膝を撫でる

          ビュッフェ

          何かしたいと常に思っている。その何かというのが何なのかわからずに4年以上経ち、結局ただの会社員におさまっている。 ずっと同じものに恋をし続けることができない。夜考えた光輝くアイデアが、朝になったら色褪せている。 三大欲求を満たすこと以外何もしたくない日がある。毎日同じように頑張るということができない。全部食べてみたいけどひとつも完食できない。ビュッフェのように生きていけたら良いのにと思う。会社員だけどたまに無職になりたい。既婚だけどたまに独身になりたい。グラデーションの毎日

          ビュッフェ