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笑いとは残酷な攻撃?

物語の中にはギャグと呼ばれるジャンルがある。

僕も子供の頃はコロコロコミックを毎月読んでいた。

コロコロの中には必ずギャグマンガがある。むしろ半分以上がギャグではないだろうか。

毎月必ずウンチネタがあるのだ。
なんであそこまで子供はウンチで笑うのか。今にして思えば謎である。

そう言えば僕が子供の頃のコロコロは、お色気ギャグも多かったな。今はどうなのだろうか。

とにかく、ギャグとはどれだけ笑えるか、それが全てだ。
ギャグ漫画が時々シリアスなストーリーを展開することもあるが、あれはオマケみたいなもので、やはり本質は笑いだ。

そして笑いというものは、一見するととても良いもののように思えるが、案外攻撃的なものでもある。

例えば、子犬や子猫の動画を見たとしよう。

たぶん多くの人はその可愛らしさに頬が緩むだろう。

だが、それは「微笑み」であって「笑い」ではない。

腹を抱えて、息が苦しくなるくらいの大笑いをすることは、子犬や子猫では無理だ。

ではそんな大笑いをするのはどんな時かと言うと、

誰かが失敗したり、痛い目を見ているのを見た時が意外と多い。

例えば、バラエティー番組「アメトーーク」の、運動神経悪い芸人やビビリ1グランプリなどがそれである。

後は、ゲーム実況で実況者が絶叫を上げるホラーゲーム実況とかだろうか。

つまり、僕たちは他人が失敗したり、痛い目を見たりする、無様な姿を見て笑っているのだ。

そうやって笑って、スッキリして、明日を生きる力をもらっている。

笑いとは実は残酷な他者への攻撃でもあるのだ。
だが笑っている本人は、気付いていない。

そして最近は、そういうものに疑問の視線が向けられている。

「誰も傷つかない笑い」と言っているが、それは笑いの本質と言えるのか考えさせられる。

確かに誰も傷つかない笑いを見た人は笑顔になるだろう。

だが、人間が求めている笑いとは笑顔のことなのか。
笑顔を超えて、涙で前が見えなくなり、お腹が痛くなり、息ができなくなるくらいの大笑いは、果たして誰も傷つけずにできるものなのだろうか。

子供の頃読んだコロコロコミックで笑ったのは、キャラがバカなことをやったギャグだ。
つまり、そのキャラを下げることで、ある意味傷つけることで成り立つ笑いだった。

笑いとは間違いなく癒しである。
でもその癒しの裏には案外残酷な攻撃性が潜んでいたりする。

だからこそ、おもしろく感じてしまうんだろうなあ。

天使は微笑みしかしないが、悪魔は大笑いするのだ。

その他の物語
https://note.com/tale_laboratory/m/mc460187eedb5


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