最も守りたいものは世界
どんな物語にも、舞台となる世界が存在し、そしてそれぞれの世界観が存在する。
過去なのか、未来なのか、現代社会なのか、宇宙なのか、異世界なのか、どんな法律があって、どんな常識や風習があるのか、人間しかいないのか、他にも種族がいるのか・・・
世界観とは物語の土台となるだけに、とても重要な要素だ。
北斗の拳なら、力のある者が偉いという世界。
翔んで埼玉なら、埼玉県民が蔑まされる世界。
そして世界観を大切にする人は大勢いる。
その作品の世界観のファンだという人も多いだろう。
その一つに、少し前に話題になったことがある。
トールキン作『指輪物語』をもとにした、ロードオブザリングの新作に登場するエルフという種族の役に黒人の俳優が起用されたときだ。
その起用に反対の声を挙げたのは、もちろん作品のファンたち。
それは世界観を守るための抗議の声だった。
トールキンの指輪物語の中に出てくるエルフ族は皆白い肌の種族なので、黒い肌のエルフはいないという世界だ。
もし、これが完全なオリジナルのファンタジー作品で、その中にエルフが出てきて、その配役に黒人が当てられたことに反対するのであれば、これは人種差別だ。
ロードオブザリングの件で、ファンたちが望んだのは、世界観を壊さないでくれということで、決して人種差別ではない。
それほど、世界観というものは大事なのだ。
そして世界観というものは物語の中だけの話ではない。
現実の一人一人の人間の中にも世界観がちゃんとある。
その世界観は、喜怒哀楽の感情と一緒に出てくることが多い。
もしその人が、どんな時でもがんばらないといけない、努力を怠らないことこそ人生が良くなる秘訣だ、という世界観で生きている人だったら、好きなことだけをやって楽そうに生きている人を見たら、イラっとするだろう。
その楽そうに生きている人が、自分に何の害も与えていないのに苛立ちが湧くのは、自分の世界観を否定された気になるからだ。
今日も物理世界の至る所で、ネットやSNSの中で、自分の世界観を守るために激しい戦いが繰り広げられている。
原因はそれぞれ違うように見えるけれども、世界観戦争と見ると、ものすごくシンプルになるのかもしれない。
もし、何かの情報が目や耳に入ってきた時に、怒りや悲しみを覚えたら、それを自分に感じさせた相手に意識を向けるのではなく、
そんな時こそ、自分自身に意識を向けてみてはどうだろうか?
自分がどんな世界観を持って生きてきたのかが分かるかもしれない。
自分の世界観が分かれば、じゃあこれからはどうするの?
その世界観のままで生きるの?それとも、設定を変えてみる?と考えることができる。
自分の世界観を変えることができるのは自分だけだ。
映画や本や、偉人の言葉に出会って世界観が変わったと思う人がいるが、その変化を選んだのは紛れもない自分だ。
だから、自分の世界観は自分で決めているのだ。
自分はどんな世界観で生きているのだろう。
ふとした時に、自分の世界に問いかけてみてもいいかもしれない。
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