古代も現代も、人は物語を見る
遥か昔の話。
ローマの闘技場で、文字通り命を懸けて戦っていた男たち、
グラディエーター。
強き者は、大衆から羨望の眼差しを向けられ、その血や汗が薬として用いられていたという。
「勇敢で強靭なグラディエーターには特別な力が宿っており、彼らの血や汗を摂取することで、その強靭さがそのまま自分にも移ると信じられたためです」
タイトルには『狂気』などと、大げさに書かれているが・・・
別に不思議なことは何も無い。
そこには、大昔のローマだろうと、令和の日本だろうと、同じ「物語」があるだけだ。
強き者の血や汗を薬とすることで、自分も強くなれると信じる。
これは、現代に当てはめれば、
有名スポーツ選手が使っているのと同じ道具を買い求める。
有名女優やインフルエンサーが使っているのと同じ化粧品を買い求める。
そんなところだろう。
グラディエーターが、スポーツ選手や女優やインフルエンサーになっただけだ。
そこにあるのは、優れた者に対する憧れと、
その人の所有物、グラディエーターなら血や汗、スポーツ選手や女優なら持っている道具を手に入れれば、自分もその人のようになれるのではないかという夢だ。
いつの時代も、どの土地でも、理想に近づくというのは物語の基本なのだろう。
人の心の中には常に物語が存在している。
人だけが物語と共に生きている生物なのだ。
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