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萌え、怒り、子供

「物語と心」をテーマにいろいろ語ろうと思う中で、

ちょっと社会的なことも語ってみようと思う。

世の中にはいろいろな表現がある。
そして、たまに炎上する。

多くは萌えとか、セクシー系とか、可愛い女の子が露出の多い衣装を着ている絵が世の中に出てきた時だ。

僕は昔から漫画やアニメが好きだから、こういう表現が炎上すると嫌な気持ちになる。

こういう表現を批判している人がいる。
批判だけならまだしも、それを排除しようとする人までいる。

正直腹が立つことが多い。
何を言ってるんだと思わず声が出そうになる。

だけど、そっち方面の批判は多くの人がやっているので、少し別の方面から考えてみた。

なぜ、萌え絵やセクシー系の2次元表現に怒るのだろうか?

エロいから?性的だから?
でも何でエロや性が表現として出てくることと、怒りが結びつくのだろうか。

怒りの理由の一つに、子供に見せたくないというものがある。

これに少し注目してみた。
正直、子供に見せたくないという理由を挙げる人の大半は、単に自分が見たくないというだけだとは思うが・・・

ポイントは「子供」というワードだ。

萌え絵などに怒りを表す人は、そういう2次元やアニメ的な絵が嫌いなのは間違いないのかもしれない。

だが、そういう人たちは決して「物語」が嫌いなわけではないと思うのだ。

彼、彼女たちの中には、「小さな子供」がいる。
いや、これは全ての人に当てはまることだ。

誰の中にも小さな子供がいる。
大の大人の男が、20になっても30になっても、40になっても、かめはめ波を撃ちたくなるのは内なる子供がいるからだ。

そして萌え絵嫌いの人たちの中にも子供がいる。
その「自分の中の小さな子供」に、そういう絵を見せたくないのかもしれない。

なぜなら、彼ら彼女らは、物語の中の女の子が大好きだからだ。
物語の中の女の子は美しく、まさに理想の存在だ。
だから、そんな美しい女の子を、萌え絵などで汚されたような気がして怒りが湧く。

そしてもう一つの可能性も考えてみた。

なぜ萌え絵にそこまで強い反応を示すのか。
それは、子供の頃の自分がそんなものを見たら、「お母さん」に怒られるという恐怖が心の中にあるのかもしれない。

自分の中にいる、子供の頃の自分と、お母さん。
この二つの存在が萌え絵、その他表現に対する怒りの中に潜んでいるのかもしれない。

まあ、例えそんな理由であったとしても、表現を軽々しく排除しようとする人は到底容認はできないのだが。

その他の物語
https://note.com/tale_laboratory/m/mc460187eedb5

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