自転車と雨の相対
僕はクロスバイクを持っている。
買い物に行く時、映画を見に行く時、片道30分くらいならバイクで行く。
暖かくなってきて、ペダルを漕ぐのにちょうどいい季節だ。
だがそれでも、天気だけはこっちの都合など考えてくれない。
自動車と違って、自転車の一番の難敵は雨である。
少しの雨でも当然だが濡れてしまう。
眼鏡を掛けている僕は、レンズが濡れると前も見づらいし、レインコートを着たとしても隙間から雨は入ってくる。
落ちる雨とは逆に不快な感情は上がっていく。
だけどここで気付いたこともある。
雨に濡れることと、不快に思うことは本来イコールではないはずだ。
濡れることは、ただ濡れただけである。
濡れただけで不快に思うのなら、人は風呂に入る度に不快にならないといけない。
雨で体が濡れる、服を着替えないといけない、風邪をひくかもしれない、だから不快な気持ちになっているのかもしれない。
だけどそれも、まだ先の未来の話であって、今ここで降っている雨ではない。
結局、雨と、過去にあったことや、これからの未来のことを勝ってに結び付けて自分で不快になることを選んでいるのだ。
雨は雨。濡れるのは当たり前。雨に当たって濡れないほうがおかしいのだ。
ただそれだけだ。
そしてもう一つ。クロスバイクやロードバイクは、いわゆるママチャリみたいな自転車と違ってスピードが出やすい。
こういう類の自転車に乗っている人なら、経験があるかもしれないが、
走っている時、前方から自分にぶつかってくる雨。容赦なく顔に雨粒は襲い掛かり、先に進むのを邪魔してくるかのようだ。
だけど、赤信号か何かで止まったとき、ふと気付く。
あれ?思ったより雨強くないな、と。
それは、雨が激しく自分にぶつかってきていたわけではなかった。
自分の方から、雨にぶつかっていっていたのだ。
もしかしたら、人生も同じようなものかもしれない。
仕事や人間関係、人生そのものがまるで自分に激しくぶつかってきているように感じる時がある。
でもそれはもしかしたら、自分の方が何か思い込みのようなものを持っていて、自分から勝手にぶつかっていたのかもしれない。
焦っている時、不安な時は、思わずスピードが上がっているものだ。
一度足を止めて、深呼吸して、ただゆっくりと周りを見てもいいのではないだろうか。
今の時期だったら、意外な所に桜の木があったりする。
そんなふうに、普段見ているようで見えていないものが目に入ってくるかもしれない。
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