敵とは誰だ?
物語には必ず敵がいる。
敵とは呼ばなくても、障害と呼べる何かがある。
ドラえもんで言えば、のび太の終わらない宿題とかがそれである。
その敵、もしくは障害を排除するために、物語は動いていく。
その過程で、キャラクターが成長していったり、何かを手に入れたり、逆に何かを失ったりすることをドラマと呼ぶのだ。
つまり、物語には敵や障害が必ず必要と言える。
では実際の人生ではどうだろうか?
敵や障害が多い人もいるだろう。もしかしたら人生そのものをまるで敵のように思っている人も多いかもしれない。
人生は厳しいとか、人生は思い通りにならないとか口癖のように言っている人は、まさに
人生を敵認定していると言ってもいい。
しかし、それは本当だろうか。
何かを敵や障害、壁のように思っているのは他ならない自分だ。
自分が特定の対象を敵だとか、障害だとか、邪魔な壁のように見ているのだ。
嫌いなタイプの人間のように人生を見ている。
油断も隙も無い、まったく信用できない相手のように思ってもいる。
それなのに、その相手が自分の都合がいいように振る舞ってくれないと苛立って仕方がない。
だが、やはりそれも自分が相手をそう見ているから、それに応えているのではないか。
だったら、見方を変えればいい。
ほんの少し、見方を変えるだけで違う意味を持つこともある。
ドラゴンボールのベジータは最初は、悟空と戦って死ぬ予定の敵だったそうだ。
それが、予想以上に人気が出たから、そのままレギュラーキャラになった。
かつて死ぬ予定だった敵は、作品を代表する人気キャラになった。
いろいろな見方ができるのだ。
それは人生においても言えるはずだ。
それは自分を痛めつけることしかしない敵なのか、それとも優しく寄り添ってくれる味方なのか。
人生が自分に厳しいことを突き付けてくるのではない。
人生とは厳しいことしか突き付けてこないんだと、自分が拗ねているだけなのかもしれない。
本当は人生は僕たちに優しくしたくて仕方ないのかもしれない。案外甘やかしてくれるところもあるかもしれない。
いつもそんな風には思えないかもしれないが、たまにはそんなふうに思ってみるのもいいのではないだろうか。
物語も、そこに出てくるキャラクターも一面性しか持っていないものはないのだから。
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