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piece 9:デイリーアウトラインの運用⑤ 一日がかりで書く日記

アウトラインは変えるためにある

割り込みが次々と入って、やろうと思っていたことが何も終わらないまま終わったある日の午前、そのとき選択ツールとしての「できれば」が活躍する様子で前回は終わった。アウトラインを組み替え、今日中に無理にやる必要のないと思えるDOを「できれば」に落とし、午後は気を取り直してキャッチアップしようとしていたのだった。

今回もその続きなのだが、午後からは順調に物ごとが進み、結果的にすべて終わったのかというと、そんなことはなかった。

もう一度前回までのデイリーアウトラインの変化を見ておこう。前回までの繰り返しになるけれど、朝の時点で作ったアウトラインは以下のようなものだった(piece 5piece 6参照)。

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午前を終えた段階では以下のようになっていた(piece 7piece 8参照)。

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さて、一日を終えた段階でどうなっていたかというと、以下のようになっていた。

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朝の時点のデイリーアウトラインに書かれていた6つのDOのうち、この日に終わったのは3つだけだった。後の3つは「できれば」の下に落ちた。「できれば」以下は「余裕があったらやる」ということなのだが、結局やらなかった(「★」は手をつけて止まっていることを示す)。端的に言えば、できなくてもいいと判断したわけだ。

通常のデイリータスクリストの感覚だと、やるつもりだったことが半分しかできなかった残念な一日ということになるかもしれない。でももちろん、残念さはない。なぜならこれはアウトラインだから。

アウトラインは変えるためにある。現実への対応を考え、ビジョンを常に更新していくための、つまり考えるための補助線のようなものだ。あるいはその時点での現実のスナップショットのようなものだ。文章のアウトラインであってもデイリーアウトラインであってもそれは同じだ。

押し出されたものと残ったもの

この日は午後にはこんなことがあったのだった。

14時30分からの「DさんとのМプロジェクトについてのミーティング」は予定通り行われたのだが、その場でDさんが立ち上げに関わっている別の仕事をいっしょにやりませんかという話になった。それは今まさに進行中で、明日にも今後の方針を決めて動き出さなければならないという。

そういう大急ぎタイプの案件は通常は避けるのだが、その話はとても楽しそうだったし自分にとってもメリットがありそうだった。今後の仕事が大きく広がりそうな予感もあった。Dさんの仕事に対する姿勢も信頼できた(これ大事)。素直にやってみたいと思った。

これは日付の下に書かれている今日の仮サマリー「自分の作業は先にやる。考えはクリアに伝える。生活をゆずらない」に合致するか? たぶんする、と思う。

しかし、何かを入れたら別の何かを出さなければならない。何か落とせるものはあるか? 「お菓子を食べる」は今日でなくていい。午前中に中断されて午後に回した「原稿Tの構成再検討」は、もともと余裕を持って早めに手をつけておくつもりだったものなので、明日に回しても大きな問題にはならないだろう。

ということで、午前中の段階で既に落ちていた「N社依頼案件」に加え、「昼お菓子(夜ルーチン早回し狙い)」と「原稿Тの構成再検討」が「できれば」に落ちた。その日の夜にあらためてDさんとオンラインミーティングをするという(ぼくとしては希有な)ことになり、午後の仕事タイムはそのための準備にあてた。

「つもり」とは大幅に変わっているが、これは割り込みが繰り返されてやるつもりだったことが何ひとつできない状況とは違う。何をしていて、何が入ってきて、何が押し出されて、その選択基準は何だったのか、自分でわかっている。押し出されたものは、押し出されても問題ないと(少なくとも自分の中では)確認できている。それができるのは、状況の変化に合わせてアウトラインが常に更新されているからだ。

何よりも、押し出されるべきではないDOは残っている。「散歩と買い物」だ。「散歩と買い物」はよほどの緊急事態にならないかぎり押し出されることはなかっただろう。その根拠となるのも、今日の仮サマリーだ。

考えた痕跡=メモ

何を残して何を落とすかを考えた痕跡は「メモ」としてアウトラインの各所に残っている(「▼」がついた項目がメモだ)。

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Dさんとの新規案件をやるかどうか「考えた」過程は、アウトラインの中に書き込んだメモそのものだ。

メモはDOと区別しない。違いは「▼」がついていることだけだ。流れの中でその場に書き込んでいく。実行中のDOの下位に書かれる場合も、同じ階層に書かれる場合もある。上の例では、ミーティングの下にはミーティングで話したことについてのメモがあり、「散歩と買い物」の下にはそこで話をしたことのメモが書かれている。どこにあっても「▼」を検索すればすぐに抜き出すことができる。

「Re:vision」のTak.担当記事で「デイリーアウトライン」と呼んでいるものは、『アウトライン・プロセッシングLIFE』の中で「DAYS」と呼んでいたのと同じものだが、当時と少し変わっているのがこのメモの扱いだ。以前はメモをその日のアウトラインの後ろの方にまとめるようにしていたのだが、今は実行中のDOの位置に置くことにしている。

(混ざっているのは気持ち悪いという)生理的な感覚の問題もあるので、どちらが優れているということではないのだが、より「文章を書くようにDOを扱う」ことを意識した結果だ。

一日がかりで書く日記

状況に合わせて変化していくDOと、状況に合わせて書き込まれるメモを合わせたアウトラインは、一日の終わりには「日記」に限りなく近いものになっている。今日は何をしてきたか、何を考えてきたかが時系列に書かれているからだ。

アウトライナーを使って文章を書く作業は、アウトラインが目次になっていく過程だ。そう考えれば、デイリーアウトラインを作りながら一日を過ごすことは、DO(行動への意思、思い)が日記になっていく過程なのだと言える。

ちなみにこのことに気づいたきっかけはセムさん(@ssem1622)、大橋悦夫さん(@shigotano)との以下のやり取りだった。


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