味わい深い3ヶ月
ここ3ヶ月位、2週間に一度、会社からの福利厚生で内省支援というか、コーチングのようなものを受けさせてもらっている。「合う人には合うけど、合わない人には合わない。」と事前に聞いていて、半信半疑で始めてみたが、自分には良い効用があったようで、この3ヶ月、自分の思い込みや弱点を認識しながら、コトに向き合えてきていると思う。
その振り返りの中で「味わい深い3ヶ月だったんですね」というコメントがあった。なるほど、そういう振り返り方が出来るのかと、やけに感心してしまった。別に食べ物に限定して使わなくても良いこの表現は、今後もよく使うことになりそうだ。
そもそも「味わい」という言葉を知っているようで知らなかったので、調べてみた。ただ単に「味」だけでなく、香りなども交えたものを「味わい」と表現するらしい。
この3ヶ月、様々な感情が渦巻いていた。停滞感、不安や焦燥感から始まり、自分の想いや信念の言語化に取り組みつつ、東京滞在やGWのリセット期間をうまく活用しながら、再度、業務に集中し、着実に成果を得た。間違いなく、前進はしていて「良かった」「楽しかった」と味覚的なアプローチで、短絡的に振り返ることができるが「味わい」という観点で考えてみると、もう少し違った見方が出来そうだ。客観的に見てどうだったのか?違った立場や、観点から捉えると、この3ヶ月はどうだっただろう?
自分は本質的には至極単純な人間で物事は好きか、嫌いかで捉えていた。「仕事が早い」と評されることが多く、事実、事務作業が早いのも、物事の判断、白黒つけるのが早いだけで、それが正しい保証などどこにもないし、自分の処理能力にだけ頼ってここまで生きてきた。でも、それでは多分限界がある。もっと、食べ物を味わうように、物事を多角的・多面的にとらえて、しっかり意味付けをすれば、短期間ではなく、人生を味わい深いものにできるのかもしれない、と気づけた3ヶ月だった。
不思議と、人生レベルで前に物事が進んだときに再会するのがアルカラだが、今宵は京都MUSEの33周年イベントだった。w.o.d.という若手でめちゃくちゃかっこいいバンドとの対バンで、30周年から、空白期間を経て33周年を祝うことが出来た。ライブハウスはやはり楽しい。ライブハウスはマナーはあるけど、ルールはないのだ。皆そんな感じでゆるく生きれたら、平和なのになと思う。
「はじまりの歌」で始まり、思い出の1曲でもある「秘密基地」も聞けて、「交差点」で締める、理想のライブで味わい深かった。新しいかっこいいバンドに出会えたのも、音楽鑑賞生活に彩りが加わった。
2010年から使っていたアカウントが今朝、凍結された。普通に過ごしてきただけなので、何かのミスかと思うが、もしかするともう使えないかもしれないと思うと、記念に取っておこうという気持ちになった。でも、不思議と「え、もう使えないの?まだまだ使いたいのだけど!」という気持ちにもならなかった。この13年、思い出はたくさんあって、Twitterでのコミュニケーションも楽しかったが、違った側面から考えると、TwitterやSNSとの付き合い方を考え直すチャンスだし、もっと味わえる出来事なのかもしれない。
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