見出し画像

諸法は縁によって起こる

今年35歳になる自分は、自己投資もかねて楽しみにしていたICLの相談に行ったわけだが、まさかのレンズを入れる隙間がないということで、手術を拒否されてしまったのであった。以前、レーシック手術もNGだった自分にとって、まさに渡りに船、ICLには期待していたのだが、無理だったとは・・・

そんな傷心の中、訪れた東寺で見つけたのが「諸法は縁によって起こる」という言葉だった。何事も思いを尽くして思い通りにできたものでもなく、何も思わず勝手に出来てしまったものでもない。すべてはご縁によるというものだ。生まれつき目が悪かった自分としては、さすがに目の悪さは、絶対勝手にできたものだと思うのだが。

仏陀は29歳に出家し、35歳に悟りを開いたそうだ。京都で働いてた時に、寺社仏閣の面白さに気付き、ふと29歳で行動を起こした自分にとって、その時は、ちょっとした出家気分だった。これまでの価値観も、積み上げてきたものも、全てどうでもよくなったことを覚えている。すべてひっくりかえしてやりたかったのだ。

そんな感性で過ごしてきた6年間、全てはご縁によって、と自然に考えてしまうのも、根底には仏教があるように思う。別に、特定の宗教にどっぷりハマっているような人間でもないが、自然と参照しているのかもしれない。教えもしっくりくる。

歴史を感じる。なんとなく、日本人は悲哀を感じるのではないだろうか。

弘法大師空海と、このタイミングで再会し、気づいたらもう今年35歳である。フラフラと過ごしてきたつもりもないが、全てがつながってくる感じを覚えているのは自分だけではないのだろう。最近、周りの同年代はみんな同じようなことに気付いている。

そう、教えは無数にあり、それぞれに、分かりやすく様々な方法で伝えてくるが、行きつく先は一つなのかもしれない。そして、その真理にたどりついた気になってしまっても良くないのだろう。悟りには遠い。35では悟れないだろう。

また一つ、学びになった。目が良くなるチャンスを逃したのは悔しいけど、それもご縁と受け止めて、先に進むしかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?