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石徹白Life1858日目【作り手がごく僅かになった絶滅寸前のかんじきを遺し、復活させ、次世代へ手渡すためにプロジェクトが動き出しています。その2:堀内勝秀さんから】

名城大学 都市情報学部 准教授の田口さんが発案し、石徹白地区地域づくり協議会や住民有志が連携して少しずつ動き出しています。

石徹白地区のかんじきは、材料にクロモジを使い、先端が2段階に曲げられていることで、雪に埋まることなく歩けるように工夫されています。

2023年1月20日(金)は2時間30分ほど、ここで生まれ育った堀内勝秀さん78歳に様々なお話を2人で伺いました。

12人兄弟の末っ子として育った勝秀さんは、18歳から山仕事をしていました。
大きな鋸で木を伐倒し、当時は珍しかったチェーンソーで短く切って、それを勝秀さんは橇引きの役割で運んでいたそうです。

「一本橇」と呼ばれるものに多い時は原木を1トンほども積んで、雪の上を滑らせて下すことがあったそうです。

1日4食も食べるほど、山の仕事は大変だったと、
そんな話をしている勝秀さんの顔はどこか充実感に満ちた、
苦労はあれども生きる意味を感じさせる雰囲気でした。

橇を引く仕事は自分が最後だった。
そうおっしゃる言葉には、少しの安堵と少しの寂しさがありました。

お兄さんの仁太郎さんがカンジキ作りの名人として知られていましたので、2,3回見たことを自分でやってみたこともあるそうです。

ここが凄いのですが、観たからできる。
そんなに簡単なことではありません。

そうして、持参してくださったご自分のかんじきの紐をほどいて、
長さを測るように言われました。

身長168センチの私が両手を広げて一尋が、
だいたい同じぐらいの長さです。
それで四尋半の紐を使っているようでした。

それから勝秀さんは紐をもとのように巻き始めたのですが、
これは、私たちがまさに学びたかった知恵、技です。

ものの10分ほどで紐を巻き終えてしまわれて、
私と田口さんの2人だけの見学者は、ただただ、
感心して、放心したような状況になりました。

ものすごい!とは、このことです。

私たちにとっては歴史的な瞬間ともいうべき時間でした。

次回は、実際に紐を準備して巻き付けるところを教わりたいとお伝えして、この日は解散となりました。

今やこの集落でかんじきをどれぐらいの方が使われているのか。
それさえも定かではありません。

しかし、この豪雪地帯で生きるために歩き、
暮らしに必要なものを山から生み出し、
必要があれば町を往復してきた先人たちの歩み。

そこには、この「かんじき」が必ずあったのです。

物が遺されるだけではなく、
そこに刻まれてきた精神性や、生態系とのつながり、
そうしたものを私たちが身体性をもって継承できるのか。

どれほど便利な世の中になっても、
そこは私たちがここで暮らすことの根っこになるようにも感じます。

石徹白地区に古きものを保存・記録するだけではなく、
泊まって遊べる博物館を作りたいものです。

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