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桜の下でOMを持った女の子に写真を撮ってと言われて、大切なことを思い出す話

満開から数日経過した桜を、毎年儀式みたいに撮影しに行くことにしている。

ご時世的に明るい感じとは言えないけれど、今年も桜が咲いて、春を迎えるというのは悪いものではないなと思う。

僕は満開よりは少し散り始めたぐらいの桜に興味があるものだから、満開の報道があってから数日後の、自分好みの桜に仕上がってるであろう最高のタイミングを測って、今年も都内某所に繰り出した。

そんなこんなで、少しハゲた桜を撮影していたら、僕に呼びかける声が。振り返ると、高校生ぐらいの女の子二人組が立ってて、「これで私たちの写真撮ってくれませんか?」と昔っぽい形のカメラを渡してくる。

まあいいけどねと思いながら、渡されたカメラを見ると、オリンパスのOM-10だった。

このカメラには思い入れがある。

中学生の終わりの頃、僕が人生で最初に手に入れたカメラが、このOM-10とOM-1の2台だった。

今は嘘のように元気で、健康にも自信があるけど、当時の僕は厄介な病気にかかってしまい病歴6年目に突入していた。その病気のせいで激しい運動をすることは許されなかったので、中学では運動部に入りたかったけど難しく、文化部に所属した。

現在では考えれないダサい価値観だけど、僕が中学の時、僕が過ごした地域では男は男らしく、女は女らしくっていう男女区別が宗教ばりに信じられていた価値だった。そしてタチの悪いことに、そのようなある意味全体主義的な価値を背景にし、マッチョなイジメも盛んだった。

そういう環境を丸ごと受け止め、自分が本来持つ価値観と照らし合わせて、いちいち相手していくための時間が、僕はすぐにアホらしくなってしまった。宗教戦争をせず誤魔化すことを選び、速攻で家に帰りレンタルしてきた映画や音楽を毎日観て、聴くという生活になっていった。

余談だが、部活に入らないという選択肢は校則としてありえなかったので、僕は戦わなかったばっかりに、さらに価値観の凝り固まったうざい教員たちに”不良予備軍”のレッテルを貼られるんだけど、まあこの話は面白いので、また別の時に書く。

その頃、今は生きてない祖父がまだ元気で、我が家の近所に住んでいたので、2日に1回のペースで一緒に晩御飯を食べていた。

僕は幼い頃から両親が働いていて鍵っ子だったので、病気になったぐらいの頃、心配した祖父が田舎から引っ越してきて近所に住み始めたのだ。

この祖父が割と趣味の人、収集癖のある人で、現在でいうとオタクと言ってもよいと思う。例えば、NHKや各種ドキュメンタリー映像のコレクションが凄まじい量あり、うず高く部屋中にビデオが積まれいたり、新聞は、複数紙長年購読し続け、その記事のスクラップの量が半端なかったりした。当時では目新しいパソコンを持っていたし、カメラも8mmカメラをはじめ、スチールカメラも割と持っていたと思う。

そんな祖父と、2日1回晩御飯を食べながら、彼の大好きなドキュメンタリー映像を観て、歴史や世の中の話を聞くことは好きな時間だった。そして何より、祖父は偏った意見を僕には言わない人だった。Aという事象に対して、必ず色んな見方を知識として教えてくれた。そのような考え方を色々と聞いていると、学校で疲れていたことの理由も自分で咀嚼できたし、気分的にも救われた。

そんな祖父と一度激しい喧嘩をしたことがある。

祖父は、毎日帰ってずっと映画を見ているような、引退した自分みたいな生活をしている僕を心配していたのだと思う。

ある日「何かしたいこととかないのか?」って質問されて、僕は実際何にも考えてなかったので、「何も考えてないし、興味ないし、どうでもいいし」と答えた。その答え方に、僕が病気で拗ねてると祖父は捉えて、”病気だからって甘えてるんじゃない”的なことを突然言われた。それは言われたくなかったことなのもあるが、いつも平等な意見を大切にする人だと尊敬していたので、その祖父に言われたのがショックで、僕も意地になってしまい激しい言い合いになった。祖父も孫のことだけに冷静になれずにいたんだろう。

実際、祖父の考え通りに、僕は人生に少し拗ねていたのだと思う。

凄まじい喧嘩をしたので、しばらく祖父とは会わなかったのだが、久しぶりに我が家に来た祖父が、カメラを僕に手渡してきた。それがOM-10だった。

「もう目が悪くなってしまったからお前にやる。何か撮ればいい」

疑いもなくこの瞬間に、僕の写真家としての人生はスタートした。それから僕は写真に魅了されっぱなしだ。大学生になるまで、このカメラ一筋で使い続けた。

女の子から手渡されたOM-10を持って、そんなことを思い出しながら、迷いようがない慣れた感覚で、その2人組を撮影した。

カメラを返すとき、

「カメラの操作上手いですね。何も言わずに使えるのびっくりしました」

って女の子に言われ、そういえばそうだなって、何十年経ってんだよって、自分でも少し笑えて、

「俺も昔、じいちゃんにこのカメラもらって、」

と言ったところで、死んだ祖父のことをすごい速度で思い出しちゃってたからか、彼女達の背景にある桜のせいなのか、何だか無性に泣きそうになってしまった。だから言いかけたことをやめて、

「写真はいいよね」

って短めに言ってその場を離れた。

その後自分のカメラで桜を撮りながら、毎年自分は桜に対して何を写したいと切望してるのか理解できた気がした。

多分来年も再来年も春がやってくる。

OMなんて絶滅しかけてるカメラと桜の下で会えること。
今年も桜を撮影しに行ってよかったな。

余談だけど、シャッター音が懐かしすぎて、頼まれてもないのに結構撮影した 笑。フィルム高いのにごめんねと、ひっそりと謝っとく。



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