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言葉に引っ張られる

「言葉と実体のズレ」を感じることはないだろうか?

いきなり格闘技の例になるけれど、たとえば「カカト落とし」という蹴り技がある。

この名前を読めば、誰もが「踵を振り下ろす技」だと思うだろう。

だが、この技を格闘技界に広めた張本人であり、オリジネーターであり、この蹴り技を極めし達人、アンディ・フグは、「カカトを振り下ろしつつ、カカトから先の足先でも引っかけるように」蹴っている。

相手に少し距離を変えられて、カカトが直撃しない場合でも、足先で相手の顔面を捉えることができる。十数センチも蹴り技の届く範囲が拡大することになる。

つまり「カカト&足先落とし」というのが技の実態なのだが、それを第3者が「カカト落とし」と名付け、言葉が浸透したため「カカトを落とす技」ということになっている。名付けた第3者のフィルターを通した名前が流布されている、というわけだ。

僕は「オリジナルと違うから良くない」と言いたいわけじゃない。

その変化がいい場合もあれば、そうでない場合もある。言いたいのは、名付けることで「変容してしまう」「抜け落ちてしまう」ことがある、ということ。で、それを忘れがちになるということだ。

もし「言葉ありき」でスタートしてしまうと、ずっとカカトを当てよう、カカトを当てようとしてしまうだろう。そうなると「足先、つま先も使っていいんだよ」という車線には永久に入れない。これってかなり勿体ないことだと思うのだ。

言葉に引っ張られる。

こういうことって結構ある気がする。

よく観察してみて、「言葉が追いついていない」「言葉が適切ではない」と感じるようならば、新しい言葉にアレンジしたり、思い切って再定義をしてみていいのだと思う。


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