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ありがとう→有り難い

SNSの使い方はさまざまだ。

人や才能と出逢うためにも使えるし、コミュニケーションの場としても有用だ。誰かに見つけてもらうための発信もあるし、専門家が広く啓蒙している場合もあるだろう。

フラストレーションの捌け口として使われる場合もあれば、攻撃や反対に使っているケースも見られる。誰かのマウントをとることも、アイディアを盗むこともできれは、心からのリスペクトを示すこともできる。

鏡がその人の姿を平面上に映し出すように、「SNSへの態度がその人の輪郭を感じさせる」ということもあるだろう。

僕はSNSを「僕の分身を置く場所である」とMy定義している。

僕の全てがそこにあるわけではないけど、断片、思いつき、影、お礼、プラン、確認、宣言、記録、変遷、矢印、方角などが、SNSに積み重なっていく。

そんな感じで、分身を置き続けていると、ときどき思いがけないことが起きる。分身が誰かに届き、その人の中で育ち、帰ってくることがあるのだ。

まるで放流したサケの稚魚が、成長した姿で海から戻ってくるように。

その典型例が、「ゼロの紙さん」とのキャッチボールかもしれない。

ある時期からTwitterでお名前を頻繁に拝見することになったのだけど、純度の高い言葉がとても印象的で。

ゼロの紙さんが紡がれる言葉には「ご自身の内的会話」を相当な回数通過したであろうしなやかな強度を感じた。

そしてDMや引用リツイートからはGIVERマインドが感じられる。

「きっと面白い何かが起きる」

そう直感した僕は、すぐに行動に移した。その過程は、ゼロの紙さんがnoteにご記載くださっているので、もしよかったらぜひ。

このようなキャッチボールを通じて改めて感じるのは、「創造をGIVEしあえる心地よさ」だ。

奪い合うではなく、競い合うでもなく、削り合うでもなく。
閃きを得たり、感謝したりしながら、創造し合い、表現し合う。

すると自分のベクトルを「新しく生み出す方向に」定めることができる。

特に僕はいろんな方向に気が散ってしまう弱さがあるから、
この真っ直ぐなベクトルが実にありがたい。

さらにお互いの間に「創造」が重なることで、どんどん面白くなってくる。
そう、何かを創造すると、その創造がベースになって、次がみえてくるような。

 そして僕の好きな音楽が、僕の中で「それ以上」に進化するのもエキサイティングな経験である。

 プリンスのパープルレインは、それこそ数え切れないくらいの回数を聴いているけれど、2004年のライヴ映像は「ゼロの紙さんがプリンスの音楽に再会した時の曲」というページが加わった。


 嬉しいことに、そして幸運なことに、ゼロの紙さんはじめ、僕とつながってくれる多様性にあふれまくった回線が今、いろんな形で発展しているのを感じている。1年前にはほとんど想像できなかったことが、次々と形になり始めている。

そんな僕は、今日生まれた僕の分身を、今日のWeb上に置いてみる。

「ありがとう」を積み重ねると「有り難い」がきっと起きる。

2024年は、2023年の気づきの上にスタートできる。
ひとつひとつの有り難いに、ひとつひとつのありがとうを。

PS. 書でつながれる有り難さ。





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