紫本2―3 嫉妬の正体
嫉妬も、弱さにつながる感情かもしれません。
「なんでアイツばっかり評価されるのだろう?」
「私のほうが、あの人より、あなたのことが好きなのにどうして?」
「あの舞台に立つのは、本当はおれだったのに・・・」
誰かを羨ましがる嫉妬心、敗北感や劣等感、嫉妬に狂う苦しみをサラリと手放すことができたら、どれほど気持ちは軽くなるでしょう?
私は聖人君子ではないですし、悟りを開く予定もないので、嫉妬の感情は無料配布できるほどたくさんもっています。だからこそ嫉妬という厄介な代物を、何とか手懐けてやりたい、とも思っています。
では、なぜ嫉妬の感情があるのでしょうか?
「本来自分に回ってくるはずの資源や食糧などが他人に渡ってしまった状態を回復するため」だと考えられています。
たとえば、自分たちで必死になって集めた食料を他の部族に略奪される。見ず知らずの家族が敷地内で勝手に生活を始める。みんなで力を合わせて栽培した米の配分が不公平である。そういった状況を改善するために必要な感情なのです。
驚くべきことに、赤ん坊にも嫉妬の感情があることがわかっています。赤ん坊は母親が自分以外のモノに目線を向けても特に反応しません。でも人形のような「自分と似た形のもの」に母親が目線を向けると、嫉妬の反応を示すことが実験でわかっています。
乳児にとって母の意識がほかに向くことは、自らの死活問題に直結するというわけです。だから「泣く」ことで嫉妬の感情を表現し、母の関心を自分に取り戻そうとします。
「いいです、いいです、かまいません。大きな心で受け入れます。母上様、私よりも人形のことをたくさん愛してください。それがGIVERたる私の無上の喜びです」
こんな高潔な人格の赤ん坊は、ほどなく餓死してしまうでしょう(あまりに早く悟ってしまうと、過酷な人間社会ではやっていけないのです)。
私たちに「ネガティヴな感情」があるのは、それが人間の生存にとって必要だから。
本来なら得るはずだったであろう「何か」。それは権利、利益、愛情、平穏、機会、名誉、評価、認知、知名度、人気、賞賛、資産など、いろんな形をしていますが、嫉妬の感情は、「失われた原状回復」の行動を起こすためにある。
そう捉えると、「嫉妬の使いよう」も見つかる気がしませんか?
ここでもうひとつ注目したいのは、赤ん坊が自分と似た形(人形)に嫉妬を示すことです。
私たちは知人や同級生といった自分と共通点が多い誰かが、自分が真剣になっている何かを達成すると、心のざわめきを感じてしまいます。
これを逆の方向から眺めてみると「私は今、誰の何に嫉妬しているだろうか?」の問いの答えは「自分の現在地」を教えてくれます。つまり「私は何になりたいのだろうか?」「どこに行きたいのだろうか?」のヒントが嫉妬の感情の裏に見つかるのです。
「行きたい場所」だけを知っていても辿り着くのは難しいですが、現在地を知っておくと「行くべき方向」と「今やれること」もわかるわけです。
嫉妬に飲み込まれてしまうと「アイツさえいなければ」の短絡的思考に陥り、「憎悪」に変わってしまいます。そして対象への攻撃や妨害、誹謗中傷などを正当化してしまい、レンガを投げつけるような破壊的行動に向かってしまうでしょう。
一方で嫉妬の感情を感じつつも冷静にコントロールできれば、嫉妬の対象を上手に「ライバル化」できるでしょう。ライバルの存在は「私にもできるはず」のモチベーションにもなりますし、「私もやらなきゃ」の背中を押してくれるペースメーカーにもなります。
ライバルを研究対象として、優れた行動パターンや人気の秘訣を抽出して自身のものとする。ライバルにはできないテイストをプラスして差別化をはかる。「ライバル化」することで、憎悪の対象から自分のプラスになる存在に変換できるわけです。
第1章で述べたように、私たち人間の脳にポテンシャルの差はほとんどありません。ライバルを「ロックオン」して、レンガを自分の足元に積み上げたほうが得策、というわけです。(強さの磨き方 第2章 ~弱さの見つけ方~より)
弱さの隣に強さが見つかる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?